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はい、それでは本日の「鳳翔の艦娘講座」、始めたいと思います。 つたない説明ですが、酒の肴程度と軽くお聞き頂ければ幸いです。
2013-06-30 21:22:09この金剛さんは、昨日の潮ちゃんと同様、2代目の金剛さんにあたります。 また、この後の世代、つまり3代目の「こんごうさん」も存在してます。 ですので、今日の講座はちょっと長くなりますので、時間が延びそうな場合は分けて行こうと思います。
2013-06-30 21:25:00時代はかなり遡り、明治一桁時代まで遡ります。 1872年当時、明治政府が保有する艦船は江戸幕府や諸藩から引き継いだ軍艦14隻と輸送船3隻しかなくて、しかもその多くが練習艦として使用されていました。 その為、日常的な警備活動に使えるのは「日進さん」と云う帆船1隻のみでした。
2013-06-30 21:27:50海洋国家としてはこれはまずい、と思ったのでしょうね。1875年に海軍省設立後、初の海外発注として、イギリスに3隻の装甲艦を発注しました。
2013-06-30 21:29:09建造開始からおよそ1年半後の1877年4月に進水。日本には翌1878年に到着して、三等艦として指定されます。 この時の金剛さんは、3本マストに煙突1本と云う、この当時の標準的な帆船+エンジンと云う外見を有していました。これに、舷側装甲を施していました。
2013-06-30 21:32:01武装は、 17cm単装砲を3基3門 15cm単装砲を6基6門 7.6cm単装砲を2基2門 3.7cm単装砲を4基4門 25mm4連装機砲を4基 11mm5連装機銃を2基 そして35.6cm水上魚雷発射管単装1門を備えていました。
2013-06-30 21:33:07今から考えると何やらハリネズミみたいな武装ですが、これは当時の武装の標準的な仕様でした。 要するに、両舷にこれらの砲をずらっと並べて、艦を横に向けて撃ちあうと云う感じでしょうか。
2013-06-30 21:34:52初代金剛さんのサイズとしては、全長70.4m、全幅12.4m、常備排水量が2250トン。 最大速度が13.7ノット、主燃料は石炭で最大330トンを積載出来ました。
2013-06-30 21:36:17さて、日本に到着してからの初代金剛さんの活躍ですが。 まずは1882年の壬午事変、そして1884年の甲申政変に出動して居ます。 その後、1889年から少尉候補生のハワイ方面遠洋航海従事を皮切りに以後1902年まで7回の遠洋航海に従事しました。
2013-06-30 21:37:29その間の1890年10月、先ほどの菊月ちゃんの説明にも出ていましたが、トルコ海軍のエルトゥールル号生存者を送還し、なおかつ同時に遠洋航海の為、僚艦の初代比叡さんと共にコンスタンチノープルを訪問しています。
2013-06-30 21:39:47また、1893年のハワイ王国におけるクーデター発生時、当時ハワイ王国と親善条約を結んでいた明治政府は、邦人保護を名目として巡洋艦浪速さんと金剛さんを派遣して居ます。 この時アメリカを牽制する為、米艦ボストンさんの真横に投錨して、クーデター派を牽制していたそうです。
2013-06-30 21:40:51当時はまだ日英同盟が結ばれていた時代。アメリカが日本を敵に回すと、自動的にイギリスも敵に回す事になる。 と云う事で、この牽制は一定の効果を発揮した、と云われています。
2013-06-30 21:43:06これらの「エルトゥールル号遭難事件」と「ハワイ王国」のお話は、それだけでお店の時間を埋めてしまうほどのお話がありますけれど、今日は割愛させて頂きますね。
2013-06-30 21:44:45その翌年1894年、日清戦争に出動。大連・旅順・威海衛等の作戦に参加します。 1898年、三等海防艦に指定。 続いて1904年から、今度は日露戦争に出動。鎮海湾・旅順港の警備任務に従事します。
2013-06-30 21:46:32日露戦争終了後の1905年に、海防艦から測量艦へ指定変更がなされ、1908年まで日本近海の測量任務に従事します。 そして、1909年に除籍となり、1910年、売却されて、その後解体されました。
2013-06-30 21:47:41