横井小楠の『国是三論』にみる武士と武術について

横井小楠の『国是三論』にみる武士と武術についてまとめました。
3
武心インデックス @g369

国是三論 人ー士道論より抜粋「文武は士(さむらい)たる者の職分にして、治道の要領たる事は誰しも称道する処なれ共、今其の分と指す者は、経史に通じ古今に渉る芸にして、多くは空理に入り博通に流れ、甚だ敷(はなはだしき)は記誦詞章(きしょうししょう)に止まる。」

2013-07-01 12:10:50
武心インデックス @g369

「其の武と称する者は馬を馳せ剣を試みる術にして、徒らに意味を談じ高妙を説き、或いは刺撃猛烈を尚び、甚だ敷は勝敗を競ふるに至る。是故に学者は、武人の迂闊粗暴にして用ふるに足らざると鄙(いや)しめ、武人は学者の高慢柔弱(こうまんにゅうじゃく)にして事に堪へざるを嘲り、互ひに相容れず

2013-07-01 12:12:24
武心インデックス @g369

治具却って争端を啓(ひら)き、矛盾を事とするは、日本国中の通弊にして、其の道の原頭明らかならざるによれり。唯国を治むるに文武を以てするといへる虚声に吠へて、其の実理を体察せざる故、今の文武は相争ふの媒(なかだち)となるのみにて、治を図るに用ゆべからず。」

2013-07-01 12:17:14
武心インデックス @g369

(略)本朝も中古争乱の時に当つても、有識の将士は権謀・智術・強勇而已(のみ)を以て衆を服し国を治むるに足らざるを悟り、心を雨矢霰弾(うやさんだん)の中に治め、肝を千槊万刀(せんさくばんとう)の下に練り、自ら反して己を修め人を治むるの方法を工夫自得せる故、克く開国創業の功を成し、

2013-07-01 12:26:05
武心インデックス @g369

或いは輔翼賛成の勲(いさお)を建てたり。是、尚武の本意(ほい)、心術に在りて伎芸にあらざる所以にして、加藤清正主の大十文字・本多忠勝主の蜻蛉切、師伝あつて、修行せられしといふ事も聞かざれども、一心の鍛錬より発して、先頭陥陣(せんとうかんじん)、八面無敵、武名を汗青に伝へ、

2013-07-01 12:30:05
武心インデックス @g369

君を輔け乱を払ふの功業一時を掩(おお)ひしも、皆武道の致す所にして、武術の為す処にあらざるを見るべし。」

2013-07-01 12:31:38
武心インデックス @g369

今の武術の興るや、織・豊二氏の時に当りて、転化漸く定まり、戦争特に息まんとす。是において上泉氏を初め、刀・槍其の他の武伎に精絶すせる徒、各々流祖と成りて、戦闘の実地に擬して其の伎術を伝へ、心を死生の外に鍛錬する事を教ゆ。

2013-07-01 12:56:05
武心インデックス @g369

天下の将士も、已に心を実戦の地に鍛錬する事を得ざるの時となつては、各師を求めて学ばざる事を得ず。然りと雖も、教ふる者学ぶ者、此の心法を先として伎芸を後にす。依りて昔時、其の伎に長ぜる者は、必ず時事も達す。就中、北条房州・小幡景憲の兵理を説く、専ら経綸に任して行伍進退に止まらず。

2013-07-01 12:56:39
武心インデックス @g369

続き「柳生但州の、猷廟(ゆうびょう)につかへて大政に参与し、宮本武蔵の細川家に賓師(ひんし)として国事を謀りし如き、皆一時の人材俊傑にして、後世の兵家武人を以て称する類にあらず。武蔵の武を教ゆるを聞くに、一向心法に本づき、反求・克己・斉家・治国士道の本意を講究するを常とす。

2013-07-01 16:37:03
武心インデックス @g369

れども、空手の坐論(ざろん)而已(のみ)にては、禅家の観法に類し空理に落つるを以て、時としては敵手に逢ひ、撃に当り、学ぶ処の心術の治否を鍛錬せしむ。故に木太刀の演習は一月中僅かに六次にして、其の外は武士たるの実体を講習切磋せしとぞ。

2013-07-01 16:37:20
武心インデックス @g369

唯武蔵のみならず、当時の武人大約此くの如くなりしは、各々其の伝書の奥旨(おうし)を見て知るべし。併しながら乱後不文の世態、理を説き道を談ずるに、多くは手を仏氏に仮れるを以て、止むことを得ず仏理に似たるも亦少なからず。古人、武を学んで文なる事、大旨此の如くなりき。

2013-07-01 16:37:55
武心インデックス @g369

爾後(じご)、昇平久敷(しょうへいひさしき)に随ひ文華日々に開け、文学を業とする者出で来りて、就いて学ぶ者亦多し。

2013-07-01 16:38:43
武心インデックス @g369

これに依りて武人と称する者多くは、文盲にして偏武の伎芸に局し、只管其の術の精妙を得んと欲するを終身の務めとし 、有文の世に生れて一丁字を知らず、其の拙劣を極むれども敢て羞辱(しゅうじょく)たる事を知らず、

2013-07-01 16:38:54
武心インデックス @g369

剣を撫で疾視(しっし)して、唯敵に勝ちて君恩に報ぜん事を志願とし、其の汚れるに至りて数家の許状を得て名を干め、職に就くの階梯となさん事を心とするに至れるわ、痛歎(つうたん)の極みといふべし。

2013-07-01 16:39:00
武心インデックス @g369

ざっくりと解説。昔時の武将が勲功を挙げたのは武芸を修業したのではない。教わったが修業したとは耳にしない。戦場で胆を練り鍛錬した事で培われたものでつまり武道(=武士道)によって生じたものである。天下泰平となって実戦で養う事も出来ないので、流儀というものが次々に起こった。

2013-07-01 16:44:22
武心インデックス @g369

これは技術を云々ではない。まず生死を超越した精神を養う事から始まる修業である。技術は後回しでまず精神を養うものであり、だからこそかつては師も弟子も政治や社会にも通じていたものだ。

2013-07-01 16:46:02
武心インデックス @g369

柳生宗矩や宮本武蔵がまさしくそうであった。後世の兵法家武人などというものとはひと味違ったのである。しかし実践を伴わなければ空論に終わる。故に武蔵は修めた心術を試すために、稽古を行ったという。だから武芸などは一ヶ月に六回程で十分であり、他は武士としてのあり方を学ぶ時間とした。

2013-07-01 16:54:00
武心インデックス @g369

武蔵に限らず、当時の武人が皆そのようであった事は、各流の伝書から識る事が出来る。しかし乱世から間もない時代であり、決して知識が豊かな時代ではなかった。そのために仏教の教えを借りたりしたのである。決して文武偏らぬのはこのような事である。

2013-07-01 16:56:21
武心インデックス @g369

しかし後の世となって、文芸が発達し、それを専門とする者が出てきて文武はわかれてしまった。まともに文字も読めず文章も書けないままん、ただひたすら技藝の巧みさを目指してしまう。その無知な事を恥とも思わず敵に勝つ事が君主の恩に報いる事と考えて、またいくつもの流儀の免状を得て名を挙げ

2013-07-01 16:59:45
武心インデックス @g369

それを就職活動に用いる為の修業としている輩もいる昨今を見れば、なんと嘆かわしいことか。

2013-07-01 17:00:25
武心インデックス @g369

このように痛烈である。この国是三論の著者である横井小楠は儒学者であり維新の十傑の1人に数えられる偉人であるが、幼少時にはもちろん武藝を嗜んでいる。熊本の時習館で剣術に居合、槍術、犬追物、游(水術)を学んだというが、インテリだったせいか、何か武骨な気風への怒りが感じられる

2013-07-01 17:02:51
武心インデックス @g369

さらに次のように戒めている「中略) 今の文武譬えば、源の濁れるを措きて末流より清ましめんとするが如し。其の本源を誤り来れば、治乱に益なき事勿論なり。古人の心法により糟粕(そうはく)を嘗め、伎術を差置きて唯高妙を談ずるは素より空論にして、いふに足らず。」

2013-07-01 17:04:15
武心インデックス @g369

まあ心法化というか、立派な心得を説いても技が伴わないのは言うまでもなくどうしようもない。 これでは下流を清らかにして、水源たる上流を蔑ろにする行いであると。

2013-07-01 17:05:29
武心インデックス @g369

続けてさらに厳しい「伎によつて武人の強壮を求むるといへるも亦非なり。今、身休の強健を是とせば、漁樵農夫(ぎょしょうのうふ)に如(し)くものあるべからず。暑寒を冒し難苦に堪ゆ、士人の及ぶ処にあらず。 」

2013-07-01 17:11:40
武心インデックス @g369

中に就きて其の丁壮を選び、武伎を訓練する事三、四月、節制を設けて敵に当らば、堅きを摧(くだ)き鋭を挫く事、恐らくは士人に勝るべし。士人もし強壮をとせば、野に狩りし海川に漁(すなどり)りし身を雨露霜雪(うろそうせつ)に晒さば、演武場中霎時(しょうじ)の試業に勝ること万々なるべし」

2013-07-01 17:12:02