山本七平botまとめ/他力本願(ではどうしろと言うのか)からの脱却/~日本人を”精神的”奴隷にしてしまった、明治以来の長い「前提を絶対化」する生き方とは~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第七章 啓蒙時代の果て/他力本願(ではどうしろと言うのか)からの脱却/176頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【他力本願からの脱却】大分前のことだが私の書いた小論に対して 「では一体どうしろと言うのか」 という非常に面白い批評があった。 いうまでもなくこの言葉は、この評者が、そしてまた一部の読者も「どうしろ」と命令してほしいことを示している。<『存亡の条件』

2013-07-13 06:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

②あるいは、本書をここまで読んで、読者の中には 「では、どうしろと言うのか」 という質問をすでに心の中で行っている人がいるかもしれない。 一体なぜこの質問が出てくるのか。

2013-07-13 06:57:55
山本七平bot @yamamoto7hei

③「では、どうしろと言うのか。」 いうまでもないが、この言葉は全く無意味な言葉であり、それは 「私は人間でなく奴隷である」 と宣言しているに等しいのである。

2013-07-13 07:27:44
山本七平bot @yamamoto7hei

④といえば、 「『どうしろ』と言われたからといって、それに従うわけではない。 従うか従わないかの選択の自由は自分にある、 従って、『どうしろというのか』と言ったところで、それは奴隷であることにはならない」 という反論は、実は成り立たないのである。

2013-07-13 07:58:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤というのは奴隷にも隷属の自由と反逆の自由はある。 従って反逆不服従の自由があるという主張は、その人が、自らは奴隷だと明確に宣言したにすぎないのである。 いうまでもなく、奴隷とは、売り渡されて前提を確定され、それによって自らの思考も行動も拘束されている存在である。

2013-07-13 08:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥従って明治以来の長い「前提を絶対化」する生き方は、いつしか「では、どうしろと言うのか」という質問が出る事を、誰も不思議に思わない奴隷の世界を作ってしまった。 恐らくわれわれにとって現在必要な事の第一は 「では、どうしろと言うのか」 という世界から、まず脱却する事である。

2013-07-13 08:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦そこにとどまっている限り、前述の思索も探索も一切ありえない。 ナザレのイエスも同じ質問を受けた。 これに対する彼の返答は、一言でいえば、実に皮肉である。 彼はその人にまず 「お前が一人前の人間なら、自分のなすべき事ぐらいは知っているであろう」 という意味の事を言った。

2013-07-13 09:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧相手は、知っており、全部やっていると答えた。 イエスはそれに対して 「では、財産を全部捨てて貧しい人に施し、無一物になって、自分の意志を一切棄却して私について来るがよい」 と言った。 一言でいえば「私の奴隷になるがよい」である。 その人は、去った。

2013-07-13 09:57:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨だがイエスは、 「では、どうしろと言うのか」 といった意味の質問をしなかった者には、こういう答え方はしていない。 この答え方は当然であろう。

2013-07-13 10:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩少なくとも人に自由意志があり、その人にその人の判断があるなら、自分の責任で自分の判断に基づいて自分で決心し、自分で実行してその結果は自分が負えばよいだけのことで、他人に 「どうしろと言うのか」 という質問をする必要は一切ないはずである。

2013-07-13 10:58:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪そしてもしその人が、以上の質問をするならば、その場合には、奴隷の如くに服従するか、服従しないで去るか以外に道はないはずである。 そしてその状態自体が、すでにその人が、精神的には奴隷であることを示しているにすぎないであろう。

2013-07-13 11:27:49