- windcompas
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山のシューレで原研哉さん(@haraken_tokyo)は「白」について語っていました。「空白(emptiness)」について考えるのに「空(くう)」でもいいが、「空」はよくも悪くもあまりにも使い古されてしまった言葉なので、「白」について考える、と。
2013-07-31 12:57:28その途中、「紙」について語る場面がありました。その語りがあまりにも見事だったので、あの場で紙を売られたら、普段の数倍の値段でも喜んで買うだろうなと思ってしまいました。逆に言うと、僕らは普段、紙をあまりにも安売りし、軽率に扱いすぎているかもしれない。
2013-07-31 12:57:47真っ白な紙。それは「書く人のやる気を掻き立てるメディア」であると原さんは言います。それは、単にメッセージを運び記録するものである以前に、身体に直接はたらきかけるものである。そして僕らは、そんな紙の奇跡的な白の質感を、墨汁で汚す。それは取り返しのつかない行為である。
2013-07-31 12:58:01そんな紙の白の奇跡と、そこに「書く」ことの危険な喜びを、あんなにドラマティックに語る人を、僕ははじめて見ました。「書籍の電子化が云々と言われているが、紙はそんな世知辛いものじゃない」と言い切っていた原さんの言葉が、実に印象的でした。
2013-07-31 12:58:20もうひとつ印象的だったのは「掃除」のお話でした。僕らが日本庭園を見て、それを美しいと感じるのは、それがよく「掃除」されているからである、と。掃除とは、何を残し、何を払い去るかの、選択の蓄積である。その選択の来歴に、その刻まれた「記憶」に、私たちは「美」を感じる。
2013-07-31 13:05:00世界から到来するものと、私たちが産出するもの。その境界に「庭」がある。あるいは、一切の人工物が、そういうものなのかもしれない。人間の本質は掃除をすることである。別の言い方をすれば、環境を「手入れ」することである。
2013-07-31 13:05:11それは環境を支配し、都合よく操作することではなく、自然との対話において、身体を取り囲む環境の中に、何を残し、何を払い去るかを、生命を賭して、選択し続けることである。
2013-07-31 13:05:30