長束恭行(@nagatsuka_hrv)氏 による、ディナモ監督ハリルホジッチインタビューまとめ3

(1)http://togetter.com/li/49408 (2)http://togetter.com/li/51402 に続く、@nagatsuka_hrvによる、ディナモ監督ハリルホジッチインタビューまとめです。第三弾と第四弾をまとめています。
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長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

土曜日のディナモのハリルホジッチ監督のインタビューから、彼の語録集第3弾を。

2010-09-21 19:53:01
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録29】 (どこに住んでいるのか?の問いに)「ゼレニャク地区だよ。でも、アパートは少し寝るだけの場所で、私の家はスタジアムだ」

2010-09-21 19:54:01
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録30】 「経験は充分にあるが、監督経験は15年と長くない。しかし、私は名門クラブがどんな練習をするか自腹を払って学んだものだ。生まれるものが選手ならば、なるものが監督だ。もし君が最高級の選手ならば、その時点で他より40~50%のアドバンテージがある」

2010-09-21 19:57:47
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録31】 「監督の選手の間で鍵となるのは相互の信頼とリスペクトだ。選手が私を真っ直ぐに見ていると気がつけば、自分がやっていることが適切だと分かる。そこでもう半分は成功だよ」

2010-09-21 20:01:08
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録32】 「私はどこと対戦しようが、相手が我々より強いクラブだとは認めない。ビジャレアルではなくてバルセロナを相手に迎えようとも、私はそのように考えるだろう」

2010-09-21 20:04:15
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録33】 (コートジボアールの監督解任に関して) 「あれは代表レベルで二度目となる失望だった。最初の失望は1982年に起きた。当時の私はユーゴを代表するFWだったのに、スペインW杯ではベンチに置かれてしまったのだ」

2010-09-21 20:09:03
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録34】「故郷に近いモスタルでは大きな家を所有し、私は街一番の富豪だった。しかし、(ボスニア)戦争ではズボンとシャツだけ残して命からがら逃げ出した。心の傷跡は少しずつ小さくなっている。しかし、決してこの傷跡がなくならないのではと私は恐れている」

2010-09-21 20:16:39
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録35】「戦火では誰だろうと私は助けた。どちらの民族も私の助けを欲していると感じたからだ。しかし、あの戦争は本当に異常だった。私は今でも誰の目を見ることはできる。しかし、誰もが私の目を見ることができるのかね…」

2010-09-21 20:21:58
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録36】 「私の政党、私の宗教はサッカーだ。私は本質的なことでもサッカー用語を使っているし、この先もそうだろう。サッカーとコーヒー、それが私の習慣だ。それで誰かが迷惑になるかなんて気にしないよ」

2010-09-21 20:27:14
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録37】(ボスニア代表監督になりたかったか?の質問に)「何度か連絡はあったが私った。ディナモの監督も引き受けるつもりはなかったのに、ほら、今はここの監督だ。やっぱり旧ユーゴの地域は私にとって魅力なのだよ。リスペクトを受け、大事にしてもらえることに感動している」

2010-09-21 20:32:02
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ語録38】(ビジャレアル戦の終わり際、客席から監督へのコールが繰り返されたことに)「試合中は観客が1万人だろうが10人だろうが、客席は何も見えないし何も聞こえないんだ。アシスタントコーチが教えてくれたことで、手を上げて挨拶をした、ってわけさ」

2010-09-21 20:36:37
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

とりあえず今回はここまで。長いコメントやディナモ事情に絡むことが多いので、140文字でまとめるのは難しいですね。ちなみにハリルホジッチ監督が現在乗っている車は日産のインフィニティだそうです。

2010-09-21 20:43:30
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

シャキーラのW杯公式ソング「ワカワカ」にちなみ、ディナモのハリルホジッチ応援ソング「ヴァハ・ヴァハ」(ヴァハは愛称)が作られたよう。サビは「全員かヴァハに賛成、ヴァハ、ヴァハ、エーエー。ハリルホジッチ、君は巨匠だ。アフリカが君をくれた」。http://bit.ly/diqQeB

2010-09-28 22:20:51
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

ヨーロッパでディナモと対戦するPAOKの関係者が楽勝宣言しているのに対して、ディナモのハリルホジッチ監督は「我々にチャンスがないって相手から聞こえてくるのはいいね。そういうのが特に大好きなんだよ」とコメント。PAOKはビジャレアル戦の結末を知らないのかな。

2010-09-28 22:47:29
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 39】 「私は楽観主義者だが、あくまで現実の範囲内だ。我々は誰も過小評価しないが、同じことを我々にするのは良くないだろう。まず我々は自分自身と自分のクオリティを大事にする。それが何かを実現するための条件なのだよ」

2010-09-28 22:53:53
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

先ほどのハリルホジッチ応援ソングはボスニアのサイトでも紹介されており、歌詞にある「コートジボアールからやってきた」「アフリカが君をくれた」という台詞が気に食わないらしい。あげたのはボスニア・ヘルツェゴビナだろ、って理由。

2010-09-28 23:00:00
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

今日のクロアチアのスポーツ紙「Sportske Novosti」のトップは、昨日のディナモのハリルホジッチ監督の記者会見。またして唸らせる言葉が多く、辛口のスティプコヴィッチ記者も「ハリルホジッチの話を聴くことは、まずは鉛筆の先を尖らせ、そして耳を傾けるということだ」と表現。

2010-09-29 20:05:25
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

ということで、ハリルホジッチ語録やります。いずれ100ツイート到達したら終わらせます。

2010-09-29 20:07:02
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 40】 「シャガールは力強い色を散らばせることで強調した。私も絵を描くんだ。戦術板の上でね」

2010-09-29 20:09:21
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 41】 (ELのPAOK戦に関して)「我々は大事な試合を今か今かと待っている。この試合はディナモ史に入るかもしれないが、その必要があるわけでもない。大事なのはその試合が決勝トーナメント進出の階段になること。階段を飛び越さないよう、全てをやるつもりだよ」

2010-09-29 20:17:10
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 42】 「おや、(会見上に)美しい女性がいることに私は気付いたよ。ギリシャ(相手チームのPAOK)のために来たのかね、それとも…。私のために来たのではないことは分かっているさ」

2010-09-29 20:19:16
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 43】 (PAOK戦の笛を吹くフランス人ファウトレル氏がどんな主審か知っていることから) 「彼はピッチ上でサンタクロースであるかのように振る舞うんだ。直ぐにカードを出すってことだよ」

2010-09-29 20:23:42
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 44】 「彼ら(相手のPAOK関係者)が"ディナモにチャンスはない"と言っているのはグッと来るね。そういう過小評価が私は大好きなんだ。大好きというよりも熱愛しているのだよ!」

2010-09-29 20:26:55
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 45】 (PAOKサポーターが熱狂的なことに)「選手達が対応できるよう新たなメンタリティを植え込もうとしているが、一晩で変わるものでもない。練習では選手達のテンションを落ち着かせているよ。スポーツでテンションが相手の脅威になるなんてことは稀なんだから」

2010-09-29 20:35:21
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 46】「現役時代、ジェンティーレ、コロバッティ、カブリーニといったイタリアDFと喜んで張り合ったさ。私を倒すことはできなかったが、偶然にも潰すと我々の言語で汚い言葉を吐いてきたものさ。私はフェアな選手だったものの、同じ手法でやり返すことに躊躇しなかった」

2010-09-29 20:43:04