〈引用〉時間軸を今2012にあわせるならば、100歳代の女性までです。 (略)90歳くらいの女性では、月経の時に外から綿花などをナプキンのようにして当てていたのですが 100歳くらいの女性では、簡単なつめものでしか使わず、
2013-08-19 15:12:29〈引用〉 道をあるいていても、ポトっと落としてたりするような粗相がないように 『骨盤底筋』を使って、排血を抑えて生理の時は1時間おきにトイレで出すように 我慢できたというもの
2013-08-19 15:13:41いろいろ調べてたらこんなの発見→『沖縄における生理用品の変遷-モノ・身体・意識の関係性をめぐって-』 http://t.co/RLxkvQ6I0F
2013-08-19 15:19:17〈引用〉江戸後期の風俗誌『守貞漫稿』には、「手綱」や「お馬」とよばれる手製の月経帯である丁字体や、「もっこふんどし」とよばれる下帯の使用についての記述がみられる。これらは<ひもで締める>型の月経帯といえる。またあてものについては、当時は古布や粗悪な紙などがその中心であった。
2013-08-19 15:26:19江戸時代の女性の下着は「湯文字」という細長い布を腰に巻くもの。あてものをするためには丁字体のふんどしみたいなのを使ったというわけですね。
2013-08-19 16:16:36〈引用〉明治維新を経て明治中期頃になると、あてものに新しく脱脂綿の使用が開始された。(略)さらに、明治末期から大正初期にかけては市販の月経帯(「安全帯」や「ビクトリヤ」など黒ゴム引き)が薬局に出回った。ただし、それらは大変高価で、一部の都市の裕福な女性のみ使用できたという。
2013-08-19 15:28:14〈引用〉やがて第二次世界大戦へと突入した昭和一○年代には、脱脂綿やゴムの不足が起こり、それらの代用品として黒ちり紙やワラ灰・米糠入りの布袋などが使用され、生理用品は昔の時代に逆行した。
2013-08-19 15:30:32〈引用〉さらに、戦争末期の昭和一七年から昭和一八年にかけては、消毒液をしみこませた圧縮綿や綿球が、タンポン式生理用品として市販された。また、この時期自己流タンポン式の処置も増加したという。これは、物不足とあいまって、月経処置に余裕がなくなったためと思われる。
2013-08-19 15:31:36〈引用〉戦争が終わっても物不足は解消されず、脱脂綿やゴムの入手は不可能に近かった。このような状況のもと、総同盟婦人対策部は政府に「一般成人女子への衛生用品配給確保」の陳情を重ね、脱脂綿や月経帯の配給確保を訴えた。
2013-08-19 15:32:38明治大正生まれ=1900年代生まれの女性は不便な生理用品に苦労しながら手当てしていた模様。月経血がコントロールできるなら生理用品を手作りしたり陳情したりはしなかっただろう。
2013-08-19 16:38:27がしかし、布ナプキン愛好者のブログなどでは月経血コントロールに挑戦、成功を報告している人も見受けられる。もしかしたら記録に残っていないだけで口伝によって月経血コントロールを身につけた女性たちが存在したが時の権力者に弾圧され(以下略)だったりして(笑)
2013-08-19 15:53:20