WW2でドイツ海軍が行った、大規模な自国民救出作戦について
- gryphonjapan
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1945年 1月後半219,210人 2月前247,248人 2月後半228,240人 3月前半246,759人 3月後半295,184人 4月前半276,335人 4月後半244,225人 これは独海軍がバルト海沿岸地域からの人員救出数。まずその規模に驚く。
2013-09-02 05:18:50艦艇281隻、商船509隻を動員して行われた救出作戦では 人員満載の船が沈没することで怖しい損害が出ていても救出人員の総数が余りにも多いので損害のパーセンテージはびっくりするほど低い。これだけの規模の作戦能力が1945年春のドイツ海軍に残されていたことにも驚いてしまう。
2013-09-02 05:21:26人員救出作戦が長期にわたって継続的に実施されてしかもペースが落ちていないその理由の半分は、往路には増援部隊と補給物資が満載されていたから。 けれどこれだけの人数を救出した実績がある、ということで 旧独海軍の活動に感謝する人々があり、それだけで戦後の旧海軍は相当に株を上げている。
2013-09-02 05:24:12補給増援作戦と表裏一体とはいえこの作戦の本気度がわかる数字がある。 1945年 5月1日~5月9日 200,699人 こんな時期のたったこれだけの期間で20万人を救出。しかも輸送ペースがグッと上がっている。これが「デーニッツ総統時代の第三帝国」が成し遂げた最大の作戦。
2013-09-02 05:27:43@JS_Susumu 実績があるから「デーニッツ釈放嘆願運動」なんてものが大っぴらにできたんです。ナチの二代目総統の釈放運動なんて、戦後の西独では考えられない事ですよね。
2013-09-02 05:30:48今紹介した数字は東プロイセンやクールラント半島からドイツ海軍が輸送した兵員と難民のうち記録が残っているものの合計数で、実際にはもっと多いというのが有力な説。これだけの実績があるので戦後のドイツにおける「海軍善玉論」には明快な根拠があったということ。それにしても、すごいねぇ。
2013-09-02 05:41:15@Kominebunzo デーニッツ提督の「11年と10日」(書名はうろ覚え)を読むと,「救出はどうなってる?」と気にし作戦の続行を命令するするシーンが幾つか有ったように思います。
2013-09-02 06:49:15ドイツ海軍のバルト海での救出作戦は正義を含んだ戦いであるがゆえに魅力的で僕も興味あるんだけど、ドイツ人の知り合いによると、「あれがネオナチにとっての錦の旗になっちゃってる(ソ連は外道!=俺たちは正しかった!)からやっかい」と言っていたなぁとか。あちらはあちらで大変だ。
2013-09-02 08:35:46このあたり、ギュンター・グラスの「蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件」で(どういう意図があったかはともかく)生々しく描いちゃっているので、興味のある方はどうぞという感じで。グロスもいろいろ毀誉褒貶な人間だけどね。http://t.co/6LL2iTIoeO
2013-09-02 08:37:32#艦これ バルト海での独海軍の史上最大の難民救出作戦については古いけど「死のバルト海」が日本語資料としてはおすすめ。http://t.co/MnI22FnjlK ちなみに救出作戦のなかには「魔女の夜作戦」(オペレーション・ヴァルプルギスナハト)という中2病全開の作戦名もある。
2013-09-02 08:53:38作戦名は大人が見せていい厨二マインドの発露なんじゃないかな、と思う。これにくらべると日本海軍とかの作戦名は発想に乏しいと言われても致し方…あ、あれ? 「FS作戦」「あ号」とかだもんなぁ・・・・。
2013-09-02 08:56:47@uchidahiroki いやぁ、子供心に「FS作戦ってフィジー=サモア? まんまやんけ、防諜とか考えて、星一号とかにしときゃいいのに」とか思ったもんですが汗;;;
2013-09-02 08:58:57あー、ちなみに「魔女の夜」作戦の舞台になったのはポーランドのグディニア湾とヘル半島で、「シュヴァルツェスマーケン」3巻後半の舞台になった場所です。グディニア湾は多数の港があり、洋上からの救助を待ちながら立て籠もるには最適の場所だったんでしょうなぁ。
2013-09-02 09:00:08@BARSERGA あくまで個人の印象ですが、大戦末期になると、へなちょこな作戦なのに勇壮な作戦名が増えてくるので、「FS」作戦くらいが日本海軍の官僚主義的な冷静さを示していて好感が持てます。
2013-09-02 09:01:22