茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1044回【教育の本質は、ガバナンスにはない】連続ツイート

2013.9/24 茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【教育の本質は、ガバナンスにはない】連続ツイート …首長や、文科省が、教育について自分たちのコントロールを及ぼそう、と思った時に、どうしても余計なことをする。しかし、学びは、子どもたちのいきいきとした生活時間の中で、同時多発的に、到るところで、ガバナンスなど関係なく起こっている。何も手を出さないというのが最高の見識だ…
3
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第1044回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日新幹線の中で考えていたこと。

2013-09-24 06:39:40
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(1)新神戸からの新幹線で、刑事コロンボを見始めた。名古屋あたりで眠くなって、いつの間にか眠っていた。はっと目が覚めると、小田原を過ぎたと言っている。席の前を見ると、ウエッジがあった。教育改革が、なぜあまり進まないのか、というような見出しの記事に、思わず手に取った。

2013-09-24 06:44:19
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(2)ウエッジの記事は、いつも楽しみに読んでいる。しかし、今度の教育改革の記事は、どうもピントがずれているように思った。しばしば出て来た論点は、「ガバナンス」が、キーワード。しかし、ガバナンスと、教育、もっと言えば学びは、対極のものだと思う。学校は工場ではないのだ。

2013-09-24 06:45:33
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(3)私自身の学びの履歴をふり返ってみると、確かに、公立小学校、中学校で検定教科書を使って受けた授業もありがたかったが、同時に、カリキュラム外の学びが重要な意味を持っていた。たとえば、小学校高学年で接したアインシュタインの伝記、相対性理論、量子力学が決定的な意味を持った。

2013-09-24 06:46:53
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(4)それで私は科学者になったが、似たような出会いは、さまざまな人にあるだろう。ロック音楽との出会い、アートとの出会い、サッカー選手との出会い。そのような出会いは、文科省や教育委員会が「ガバナンス」という言葉で実行する一連の措置とは、全く関係がない。

2013-09-24 06:48:00
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(5)教育、学びについての政策の本質は、つまりは、ランダムな出会いを促進する豊かで複雑な環境整備にあると言ってよいと思う。だからこそ、図書館が大切で、オンラインの学びについての示唆やガイダンスが重要で、検定教科書は、その学びの生態系の一部分に過ぎないと私は考える。

2013-09-24 06:49:35
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(6)教育に「ガバナンス」が持ち込まれる時、大抵センスが悪いし、学びの本質とは逆を向いている。たとえば、教員が「君が代」を斉唱しているかどうか校長が口元を見る、などというのはカフカ的冗談ないしは悪夢である。そんな「ガバナンス」で教育が促進されると思うのは想像力貧者だけだろう。

2013-09-24 06:50:55
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(7)政治家や役所が教育について何かする時、何しろ他に手がないんだから、「ガバナンス」に頼る傾向がある。全国の大学で、文科省の通達により、年間の授業日数を確保せよ、そのためには祝日にも授業せよ、みたいなナンセンスが行われているが、これなどその典型だ。

2013-09-24 06:52:04
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(8)首長や、文科省が、教育について自分たちのコントロールを及ぼそう、と思った時に、どうしても余計なことをする。しかし、学びは、子どもたちのいきいきとした生活時間の中で、同時多発的に、到るところで、ガバナンスなど関係なく起こっている。何も手を出さないというのが最高の見識だ。

2013-09-24 06:53:23
茂木健一郎 @kenichiromogi

きが(9)強いて、首長や文科省が出来ることがあるとするならば、教員の資質向上。海外の異なる教育環境を経験させるとか、グーグルやアップルのキャンパスの雰囲気を味合わせるとか。感動した教員は、必ず子どもたちにそれを伝える。もちろん、そのプロセスはガバナンスとは全く関係ない。

2013-09-24 06:55:23
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第1044回「教育の本質は、ガバナンスにはない」でした。

2013-09-24 06:55:47