道で美女とすれ違ったら――フィリップ・トルシエ氏インタヴュー「工場の機械のような日本のセックス」をめぐる皆様の反応
良い記事です。コンパクトに必要なことがぜんぶ書いてある。 フィリップ・トルシエ 「工場の機械のような日本のセックス」 「不思議の国のエロティシズム」オール讀物より | 著者インタビュー - 本の話WEB http://t.co/PxoTeU7KPx @hon_webさんから
2013-09-22 21:20:58「たとえば道を歩いていて美しい女性とすれ違ったとき、ヨーロッパ人は必ず振り返って見返すが、日本人はその美しさに魅力を感じていないように見える」(前出トルシエ氏インタヴューhttp://t.co/UHXfy8n2dn)。そうなのか…。私は不審に思われるぐらい振り返りまくるけれど。
2013-09-23 04:32:51「われわれヨーロッパの人間は女性に挨拶するとき、まったく知らない相手であってもそこに男女の関係があることを感じている」(前出トルシエ氏インタヴューhttp://t.co/UHXfy8n2dn) これも私にとっては当然だが、皆さん日本の同朋諸兄は違うのか。
2013-09-23 04:38:57「そこには女性の対象化がある。日本では女性をひとつの人格ではなく対象として捉える。コミュニケーションは一切抜きにした、よりストレートにセックスへと到達する、欲望の対象であり官能の対象だ。セックスの観念が、ヨーロッパに比べ機械的だと私は感じた」(トルシエ氏インタヴュー、同前2頁目)
2013-09-23 04:45:30一つ前の引用は、日本では男女の性愛感情よりも社会構造から来るコードを踏み外さないことが重視されている一方で、書店には女性のヌードが満載された雑誌があふれかえっている状況を受けての発言。
2013-09-23 04:49:19「工場の機械のような日本のセックス」というタイトル(編集部がつけたものであろう)は、どことなく「美しい日本の私」を念頭に置いているのか…。
2013-09-23 04:53:50@okumura_d ちなみに「女性の対象化」「対象として捉える」にも違和感を覚えましたが、要するにオブジェクト(オブジェ)ってことですね。
2013-09-23 09:01:51@omarihajoto あ、あれは私も思いました。objetなのだろうなと。だから「モノ化」とか「モノとして扱う」と訳してもよいでしょうね。とても良い記事なのだけど、訳が少し荒いかもしれません。
2013-09-23 19:14:59↓されどサッカーコーチ、たかがサッカーコーチ。ひどい勘違いの羅列である。欧州ブルジョワ土着の紋切型を「人間社会」へ敷衍する70年代世代仏人お得意のなんちゃって人類学。別の言語を持つ民族について自分の価値観で因果を含める前に、この人はまず自国の感情体系の非普遍性から学ぶべきだろう。
2013-09-23 10:16:36↓↓有名かどうかなんて関係ない。職業で言葉の軽重が決まる。傲慢で啓蒙主義的な態度を露にし、アフリカと日本の田舎の中高年に拝み倒されたトルシェにしても、実のところ「たかが」サッカーコーチ。ヨーロッパの人は、他国のスポーツ選手に自分の国の文化基盤についてのコメントを求めたりしない。
2013-09-23 10:22:11フィリップ・トルシエ「工場の機械のような日本のセックス」 「不思議の国のエロティシズム」オール讀物より | 著者インタビュー - 本の話WEB http://t.co/X10Z2xcPSy @hon_webさんから
2013-09-23 16:45:09トルシエ氏インタヴューについては皆様お考えあるようですが、とにかく、美しい女性と道ですれ違ったら振り返って見てもいいですよねということです(欧州の男性が実際にそうするか、それはトルシエ氏だけのことなのかはこの際さておき)。うっかり目があって怪訝な顔をされることがありますが。
2013-09-23 19:57:21ところで「見返り美人」という言葉は、菱川師宣の場合は美人が見返っている図で、中島みゆきの同名作品の歌詞には「見返す」という含みがあるようですが、もともとは「すれ違う人が思わず見返るような美人」という意味ですよね。いま適当なレフェランスが手許にないので確認できないのですが。
2013-09-23 20:03:35