茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1061回【今ここにないものを、想像すること】連続ツイート
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いそ(1)昨日、ある街に行って、空き時間があったので、ぶらぶら散歩した。そしたら、本屋さんがあったので、入ってみた。そしたら、想像以上に大きくて、どーんと広がっていた。それで、ここだったらあるかもしれないと思って、ぶらぶら「文芸書」の方に歩いていった。
2013-10-11 06:06:14いそ(2)東浩紀さんの『クリュセの魚』か、保坂和志さんの『未明の闘争』のどちらか、あるいは両方を買おうと思ったのだ。ところが、じぇじぇじぇ! いくら探してもない。そんなバナナチップ! と思って、文芸の棚を隅から隅までずずずいーと探したが、やっぱりない。
2013-10-11 06:08:47いそ(3)こんなことがあるんだなあ、と思った、こんなに大きな本屋さんなのに、最近ある筋の文芸周りで話題になっている本が、両方ともない。別にその街を非難しようとも思わないし、その本屋さんの品揃えが悪い、とも思わないけど、ただ、出会わない、ということはあるんだな、と思う。
2013-10-11 06:09:52いそ(4)最近、地方や田舎を歩いているときのイメージが違っていて、何しろネットでどこにもつながっている。だから、これからの生活は、サイバー空間でBig Dataへのアクセスを確保して、その一方で緑いっぱいの中で暮らすのが一つのソリューションだと思う。その時気をつけることがある。
2013-10-11 06:11:38いそ(5)「今、ここ」にないものを、想像すること。自分がまだ出会っていないものを、夢見ること。この点だけ気をつければ、どこに住んでいても大丈夫だと思う。一方、地元の本屋の棚を見て、それが世界の全てだと思っていると、思わぬ井戸の中に陥ってしまう。
2013-10-11 06:12:56いそ(5)もっとも、「今、ここ」にないものに気づかないというのは、単に都会/地方という差ではなく、どこにいても同じことなのだと思う。たった一つの態度が必要で、自分がまだ知らないこと、出会っていないことを想像し、たくらみを持って迎えることさえ知っていれば良い。
2013-10-11 06:14:14いそ(6)「今、ここ」にあるものだけがすべてで、それで充足している、と思い込んでしまうと、アンニュイの罠に陥ってしまうのは、どこでも誰でも同じだ。だったら、どうすればいいか。まずは、アンテナを遠くに張り巡らせておくことだろう。できるだけ遠くに、自分の触手を伸ばす。
2013-10-11 06:15:49いそ(7)それから、自分が尊敬する人、好きな人、あこがれる人が、どのような触手を伸ばしているかを、観察する。人間、一人の嗜好には限界がある。他人の嗜好から学ぶことはたくさんある。音楽でも、本でも、絵でも、映画でも、あいつは何を見ているんだろうと、常にきょろきょろする。
2013-10-11 06:16:45いそ(8)そのきょろきょろが、物理的空間の限定を超えて行えるのが今である。たとえばツイッターでフォローして、TLに並ぶというのもそれで、TL上に、自分が心惹かれる人のツイートが並ぶことで、知らずしらずのうちに志向性のポートフォリオを充実させていくことができる。
2013-10-11 06:17:52いそ(9)というわけで、新居浜のモールの横にある巨大書店では、東浩紀さんの『クリュセの魚』も、保坂和志さんの『未明の闘争』も手に入れることができなかったが、おかげで限定を超えるという普遍的な問題について、道後温泉で朝風呂につかりながら考えるきっかけを得た次第である。
2013-10-11 06:18:55