「午前0時の小説ラジオ」・「公的と私的」

「午前0時の小説ラジオ」・「公的と私的」
11
高橋源一郎 @takagengen

本日の予告編1・さて、今日は久しぶりに「午前0時の小説ラジオ」をやろうかと思います。だんだん間隔が開いて、月に1度か2度ぐらいになってますが、秋になって少し元気になってきたので、なんとか週1ぐらいではやりたいと思っています。考えたいことはいくらでもあるので。

2010-10-10 23:08:23
高橋源一郎 @takagengen

本日の予告編2・この間が「反小沢」、ついこの間は「尖閣」問題で「反中国」、怒濤のような感情の波が間欠的に押し寄せます。ずいぶん感情的な国民なんだなあと思います。なににいらだっているのでしょう。でも、今日はそれを直接考えるのではなく、「公」と「私」について考えてみたいと思います。

2010-10-10 23:12:02
高橋源一郎 @takagengen

本日の予告編3・「新しい公共」というような言葉も、少しの間だけど使われていました。でも、ほんとうのところ「公共」って何を意味しているんだろう。それがわからないと、その反対の「私(的)」のこともわからないのかもしれない。今晩はそのあたりのことを考えたいと思います。では、24時に。

2010-10-10 23:15:16
高橋源一郎 @takagengen

午前0時の小説ラジオ・「公的」と「私的」1・「尖閣諸島」問題(中国にとっては「釣魚島」問題)でマスコミに「売国」の文字が躍った。「尖閣諸島はわが国固有の領土」といってる首相が「売国奴」と呼ばれるのだから、「中国のいってることにも理はある」といったらどう呼ばれるのだろう。非国民?

2010-10-11 00:01:01
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」2・「尖閣」諸島はもともと台湾に付属する島々で、日清戦争後のどさくさに紛れて、下関条約で割譲されることになった台湾の傍だからと、日本が勝手に領有を宣言した、ということになっている。だとするなら、台湾を返却したなら、「尖閣」も返却するのが筋、というのも無茶な理屈じゃない。

2010-10-11 00:04:00
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」3・というか、領土問題は「国民国家」につきまとう「不治の病」だ。日本も中国も、同じ病気なのだ。国家は病気(狂気)でいることがふつうの状態なのである。国民は、頭のイカレた国家に従う必要はない。正気でいればいいのだ。だが、今日したいのはその話ではない。関係はあるけれど。

2010-10-11 00:08:01
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」4・「尖閣」問題のような、あるいは、「愛国」や「売国」というような言葉が飛び交う問題が出てくると、ぼくは、いつも「公と私」はどう区別すればいいのだろうか、とよく思う。「公共」というような言葉を使う時にも、自分で意味がわかっているんだろうかと思う。そのことを考えてみたい。

2010-10-11 00:10:07
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」5・この問題について、おそらくもっとも優れたヒントになる一節が、カントの「啓蒙とは何か」という、短いパンフレットの中にある。それは「理性の公的な利用と私的な利用」という部分で、カントはこんな風に書いている。「どこでも自由は制約されている。しかし啓蒙を妨げているのは…

2010-10-11 00:14:17
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」6・「…どのような制約だろうか。そしてどのような制約であれば、啓蒙を妨げることなく、むしろ促進することができるのだろうか。この問いにはこう答えよう。人間の理性の公的な利用はつねに自由でなければならない。理性の公的な利用だけが、人間に啓蒙をもたらすことができるのである…」

2010-10-11 00:16:13
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」7・「…これに対して理性の私的な利用はきわめて厳しく制約されることもあるが、これを制約しても啓蒙の進展がとくに妨げられるわけではない。さて、理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使する…」

2010-10-11 00:18:08
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」8・「…ことである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである。公的な利害がかかわる多くの業務では、公務員がひたすら受動的にふるまう仕組みが必要なことが多い。それは政府のうちに人為的に意見を一致させて…」

2010-10-11 00:20:09
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」9・「…公共の目的を推進するか、少なくともこうした公共の目的の実現が妨げられないようにする必要があるからだ。この場合にはもちろん議論することは許されず、服従しなければならない」

2010-10-11 00:21:31
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」10・ここでカントはおそろしく変なことをいっている。カントが書いたものの中でも批判されることがもっとも多い箇所だ。要するに、カントによれば、「役人や政治家が語っている公的な事柄」は「私的」であり、学者が「私的」に書いている論文こそ「公的」だというのである。

2010-10-11 00:24:20
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」11・ぼくも変だと思う。実はこの夏、しばらく、ぼくはこのことをずっと考えていた。そして、結局、カントはものすごく原理的なことをいおうとしたのではないかと思うようになったのだ。たとえば、こういうことだ。日本の首相(管さん)が「尖閣諸島は日本固有の領土だ」という。

2010-10-11 00:25:58
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」12・その場合、首相(管さん)は、ほんとうにそう思ってしゃべったのだろうか。あるいは、真剣に「自分の頭」で考えて、そうしゃべったのだろうか。そうではないことは明白だ。首相は「その役職」あるいは「日本の首相」にふさわしい発言をしただけなのである。

2010-10-11 00:28:16
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」13・自民党や民主党や共産党や公明党やみんなの党の議員が、政治的な問題について発言する。それが「問題」になって謝ったりする。その時、基準になるのは、彼らの個人的な意見ではない。「党の見解」「党員の立場」だ。それらを指して、カントは「私的」と呼んだのである。

2010-10-11 00:31:29
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」14・国家や戦争について話をするから自動的に「公的」や「公共的」になるわけではない。しかし、それを「私的」と呼ぶのはなぜなのだろう。それは、その政治家たちの考えが一つの「枠組み」から出られないからだ。そして、その「枠組み」はきわめて恣意的なのである。

2010-10-11 00:35:58
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」15・「尖閣」問題を、日本でも中国でもない第三国の人間が見たらどう思うだろう。「そんなことどうでもいい」と思うだろう。国家を失った難民が見たらどう思うだろう。「そんなくだらないことで罵りあって、馬鹿みたい」と思うだろう。「私的な争い」としか彼らには見えないはずだ。

2010-10-11 00:38:30
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」16・カントは、一つの「枠組み」を設定した上でなされる思考を、すべて「私的」であるとしたのだと思う。だから、カントは、上官の命令に従う軍人も、神の言葉を仲介する牧師も、国家の未来を憂う政治家も、みんな「私的」であり、それ故、真の啓蒙に至ることはないとしたのである。

2010-10-11 00:42:11
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」17・では「私的」ではない考えなどあるのだろうか。なにかを考える時、「枠組み」は必要ではないだろうか。カントの真骨頂はここからだ。「公的」であるとは、「枠組み」などなく考えることだ。そして、一つだけ「公的」である「枠組み」が存在している。それは「人間」であることだ。

2010-10-11 00:46:29
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」18・「啓蒙とは何か」の冒頭にはこう書いてある。「啓蒙とは何か。それは、人間がみずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないかではなく…」

2010-10-11 00:52:58
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」19・「…他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから、人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる」

2010-10-11 00:54:14
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」20・「自分の頭で」「いかなる枠組みからも自由に」考えることの反対に「他人の指示を仰ぐ」ことがある。カントは別の箇所で「考えるという面倒な仕事は、他人が引き受けてくれる」とも書いた。それは、既成の「枠組み」に従って考えることだ。それが「公的」と「私的」との違いなのである

2010-10-11 00:56:58
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」21・国家や政治や戦争について考えるから「公的」なのではない、実はその逆だ。それが典型的に現れるのが領土問題なのである。「日本人だから尖閣諸島は日本の領土だと考えろ」と「枠組み」は指示する。同じように「中国人だから釣魚島は中国領だと考えろ」と別の枠組みも指示する。

2010-10-11 01:00:29
高橋源一郎 @takagengen

「公と私」22・もちろん、ぼくたちは、思考の「枠組み」から自由ではないだろうし、いつも「人間」という原理に立ち戻れるわけでもないだろう。知らず知らずのうちに、なんらかの「私的」な「枠組み」で考えている自分に気づくはずなのだ。「公」に至る道は決して広くはないのである。

2010-10-11 01:09:50