カルトと宗教と、親と、そして虐待。

佐々木あやみ (@ayammin) さんのツイートより。 親(逃げるのが困難)と虐待に、 さらに、宗教、カルトが入ると... # この例は宗教ですが、確信的信条が優先されるもの、 続きを読む
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もりたま/ayammin @ayammin

児童虐待の問題に、親の宗教が絡んでくると話はもっとややこしくなる。ストレスでとか子育ての悩みとかじゃなくて、宗教の教えのもとに確信犯的にやっているから、本人に虐待だという自覚はないし、それを「虐待」だと言われることが本人を尚更頑なにし、外部の介入を拒否してしまう。

2013-11-03 09:42:02
もりたま/ayammin @ayammin

「宗教」が入ってくると、善悪の基準が完全に変わってしまう。法律が定めていようが、社会常識的に悪とされることであろうが、「これが正しい」と教えていればそれが法律にも優先する絶対正義。誰になんと言われようが、たとえ逮捕されようが、自分が悪いことをしているなんてこれっぽっちも思わない。

2013-11-03 09:44:07
もりたま/ayammin @ayammin

大人が自分の意志で宗教を選ぶのは、それが「宗教」の範疇に収まっていれば(犯罪行為に加担しなければ)、カルトだろうが伝統的宗派だろうが本人の自由だと思う。でも、その子供については話が別。カルトの中で育てられる子供が抱える問題を「信教の自由」という言葉で見過ごしてはいけない。

2013-11-03 10:03:24
もりたま/ayammin @ayammin

カルトの中で育てられた子供は、幼いころから徹底的に教団の価値基準を叩きこまれる。それは親の愛情と引き換えにした「要求」であったり、体罰による「教育」であったりして、その教えに逆らうことはおろか、教えに疑問を持つことすら許されない。

2013-11-03 10:03:33
もりたま/ayammin @ayammin

カルトの中で育てられた子供は、往々にして、幼いころから教団以外の世界を知らない。不信者の友達と遊ぶことや、テレビや音楽などのごく一般的な娯楽さえ禁じられて、ごく限られた狭い範囲での人間関係しか知らずに育つ。自分のいる世界の異常さに気付かないし、気付くことを許されない。

2013-11-03 10:04:25
もりたま/ayammin @ayammin

そのため、子供は往々にして、教団から追い出されることを恐れる。外が悪い世界だと教え込まれているというのもあるけれど、教団の中だけで育った子供にとって、教団から追放されることは自分の生きてきた社会から抹殺されてしまうに等しい。

2013-11-03 10:05:17
もりたま/ayammin @ayammin

それでも、成長するにつれてだんだんと外の世界が見えてきて、自分のいる世界の異常さに気付く。それでも、抜け出すのは容易ではない。教団外の交友関係を厳しく制限されてきた子供にとって、宗教から抜け出すことは往々にして、それまでの友人・親戚・家族関係のすべてを断ち切ることを意味している。

2013-11-03 10:05:34
もりたま/ayammin @ayammin

ようやく一大決心をし、カルトから脱出したとしても、その後の生活は決して楽じゃない。いざ教団から抜け出して一般社会に出ていくと浦島太郎状態。社会生活の一般的な常識さえ身に付いていないことも多く、学業や仕事よりも宗教活動を優先するよう強いられてきたことで、就職でも苦労する人が多い。

2013-11-03 10:06:10
もりたま/ayammin @ayammin

精神的な面でも問題が多い。幼少期に刷り込まれた価値基準を捨て去るには時間と努力が必要。教わってこなかった、一般社会で生活していく最低限のマナーを身に付けるにも大変な努力が必要。精神的・身体的暴行へのトラウマを背負っている場合もある。

2013-11-03 10:06:37
もりたま/ayammin @ayammin

幼いころから、成功も失敗もすべて、その教団の価値基準で判断されてきたため、社会に出るとそれまで自分が「正しい」と思っていたことがいともあっさりと覆されることを知る。その価値観の違いを受け入れられず、自分の居場所は教団の中にしかないと考えて、結局教団に戻ってしまう若者も多い。

2013-11-03 10:07:02
もりたま/ayammin @ayammin

カルトから完全に解放されて自由になるには、その教団関係者と完全に離縁するしかないのだけど、子供の場合は「親が信者」だという絶対的なデメリットがある。親と完全に絶縁して暮らしていくしかない。でも、この社会はなかなかそれを許さない。だから、子供はいつまでも苦しみ続ける。

2013-11-03 10:10:16
もりたま/ayammin @ayammin

この話をはっきり書いたことは今までなかったけど、ちょっとした自分語りです。

2013-11-03 10:24:35
もりたま/ayammin @ayammin

私の母親は、そういう宗教の信者だった。当然私も子供の頃からその教団の中で育てられた。 その宗教は子供を「鞭打つ」よう教えていて、親たちは「何を使って叩けば一番痛くて自分の手が疲れないか」を相談し、ベルト、皮ひも、物差し、靴べら、はてはガスホースを切り分けたものまで取り揃えてた。

2013-11-03 10:25:23
片瀬久美子🍀 @kumikokatase

前RT。同様の話は、『ドアの向こうのカルト』(佐藤典雅著)にも書かれていました。→”その宗教は子供を「鞭打つ」よう教えていて、親たちは「何を使って叩けば一番痛くて自分の手が疲れないか」を相談し、ベルト、皮ひも、物差し、靴べら、はてはガスホースを切り分けたものまで取り揃えてた。”

2013-11-03 10:32:00
片瀬久美子🍀 @kumikokatase

(『ドアの向こうのカルト』の著者である佐藤典雅氏の母親が嵌ってしまったカルトは「エホバの証人」でした。佐々木あやみさんのお母さんが「エホバの証人」の信者なのかは分かりません。同様な性質を持つカルト教団である可能性もあります)

2013-11-03 10:36:14
片瀬久美子🍀 @kumikokatase

『ドアの向こうのカルト』(佐藤典雅著 河出書房新社)は、母親が「エホバの証人」の信者で、子ども時代からその組織の中で過ごしてきて、成人後に教義の矛盾に気が付いて脱会した人の経験談です。ずっと自分を縛り続けてきたものからの呪縛から逃れるまでの経緯が書かれています。

2013-11-03 10:40:42
片瀬久美子🍀 @kumikokatase

『ドアの向こうのカルト』(佐藤典雅著 河出書房新社)を読んでの感想は、こちらに簡単に紹介しています。 http://t.co/D6bQPKdDeP

2013-11-03 10:42:31
リンク はてなダイアリー 読んだ本の紹介 - warblerの日記 ツイッターでつぶやいていた読後感想のうち、お薦め本を選んでまとめました。 『「カルト宗教」取材したら..

...ツイート続き。

もりたま/ayammin @ayammin

子供が悪いことをすれば、「泣き止むまで」「悪魔が出ていくまで」何度でも打ち叩いた。ちなみに「悪いこと」というのは、たとえば4つや5つの子供が、長時間の「集会」や「大会」の最中にウトウトしたとかペンを落としたとか、布教活動に一日中連れまわされて「反抗的な顔をした」とかいう理由です。

2013-11-03 10:26:29
もりたま/ayammin @ayammin

一日一度は「鞭」をしなければならないと、子供の悪いところをわざわざ探す親もいた。どれだけ「いい子」にしても、必ず何か悪いところを見つけられて叩かれると決まっているのだから、子供は委縮して何もできなくなる。

2013-11-03 10:28:05
もりたま/ayammin @ayammin

そうやって子供を完全に支配し、表情までコントロールするようになった親は「模範的な子育て」と称賛される。「親に従順な子供」がその宗教のトレードマークだった。「こんな従順な子に育てたい」という入信してくる人がたくさんいた。当前ですよ、あれだけ叩かれたら反抗なんかできるわけがない。

2013-11-03 10:29:08
もりたま/ayammin @ayammin

信者ではない父の葬儀で、10年ぶりに信者である母親と会った。もう二度と会わないつもりだった。両親のどちらかが死んでも戻る気はなかった。事実、妹は、実の父の危篤の報を聞いても会いには来なかった。

2013-11-03 10:32:20
もりたま/ayammin @ayammin

父はおそらく、母親の狂信的な部分は知らなかっただろう。母親は父の前では絶対に子供に手をあげなかったし、子供にも「普通の母娘」の演技を求めた。父はおそらく最後まで、娘が相次いで連絡を断った本当の理由を知らなかったはずだ。

2013-11-03 10:33:00
もりたま/ayammin @ayammin

父に恨みはない。でも、父が今も母親と夫婦でいる以上、関わるつもりはなかった。しかし、自分の信仰を理由に父の仏壇を簀巻きにして放り出し、雨ざらしにした母親が、父の葬儀を執り行うはずもなく、それを思うと父があまりに気の毒で、戻って葬儀を執り行うことにした。

2013-11-03 10:33:51