長束恭行(@nagatsuka_hrv)氏 による、ディナモ監督ハリルホジッチインタビューまとめ4

(1)http://togetter.com/li/49408 (2)http://togetter.com/li/51402 (3)http://togetter.com/li/55014 に続く、@nagatsuka_hrvによる、ディナモ監督ハリルホジッチ語録、今回はテレビのトーク番組からの発言まとめです。
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長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

ディナモのハリルホジッチ監督が日曜昼の硬派なトーク番組に出ていたことを知る。うむー、見逃した…。放送時間中は栗拾いに行ってたんですわ(苦笑) ネットに動画を上げてくれる神がクロアチア人にいればいいなあ。

2010-10-11 06:26:38
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

やはり神はいるもので、昨日のハリルホジッチ監督のトーク番組がyoutubeにアップ。まだ5分の2までアップされてませんが、とても興味深い内容。若き日のハリルホジッチの映像も見られます→http://bit.ly/cS31kh

2010-10-11 08:40:22
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長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

1987年にハリルホジッチがパリ・サンジェルマンで急に現役引退したのは、母親が亡くなったのが理由。故郷に戻って病気の父親を支えるため。その話を口にした直後にハリルホジッチの目に涙が。

2010-10-11 08:41:45
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

ハリルホジッチが最初にプロ生活を送ったヴェレジュ・モスタルでは1981年にユーゴ・カップ優勝。ジェリェズニチャールとの試合で2得点を決め3-2で勝利。既に彼はナントの移籍に合意しており、移籍が怪我で台無しになる可能性がありながらも、全身全霊を掛けて最後となる試合をプレーしたとか。

2010-10-11 08:47:13
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

戦争で選手時代に得た財産を失い、監督として一からキャリアを築いていくハリルホジッチの壮絶な人生はまさにドラマ。本人も「イバラのような」と振り返るほどですが、戦前のユーゴ・リーグの話になると彼の顔をほころぶのを見ると、当時はサッカー界にとって良い時代だったのだなと感じます。

2010-10-11 08:56:35
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

日曜日に出演したハリルホジッチのトーク番組の動画も一通りチェック。指導者としてスタートした頃の辛った話には、つい私ももらい泣きしてしまいました。辛辣な司会者のアレクサンダル・スタンコヴィッチ氏が珍しく、「貴方はとても心地良い話し相手だ」と最後に讃えたのが印象的でした。

2010-10-12 01:32:22
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

ということで、そのトーク番組から日本の深夜にハリルホジッチ語録を。残り100まであと49か…。

2010-10-12 01:33:24
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 52】 「ドレッシングルームは他人が入ってはならぬ聖なる場所だ。監督や選手、あと会長だけ入ることが許される。ドレッシングルームは寝室のような場所であり、守られるべき内密な場所なのだ」

2010-10-12 01:47:38
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 53】 「私は自分を信じ、フットボールを信じている。そして人を信じているんだ。しかし、人の中にも人間と非人間があり、残念ながら私は両方の存在を知ってしまっている」

2010-10-12 01:54:58
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 54】 「私の人生は正にイバラの道だった。とても厳しい時期もあったんだ。忌々しい戦争に巻き込まれてしまい、なぜ私が生き残ったのか今でも分からないほどの瞬間すらあった」

2010-10-12 02:01:31
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 55】 「私は有名な元スポーツ選手ということで、大臣が法律を変えてまで無理やり私を軍隊に従軍させようとした。しかし、従軍するためには肩を手術することになり、その手術で心肺停止になったんだ。三度目の電気ショックで私は蘇生した」

2010-10-12 02:08:59
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 56】 「私の人生には色んな問題が起こった。しかし、人生を振り返ると本当に美しい瞬間もあった。サッカーに私は本当に感謝しているよ。私にとって政治、宗教、観念、哲学がサッカーと繋がっている。私が人生で得たもの全てがサッカーに負うものなんだ」

2010-10-12 02:14:19
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 57】 「ヴェレジュの最後の試合でユーゴ・カップに優勝すると、モスタルの街はお祝いムードに包まれ、人々は7日間働かなかったほどさ。皆で飲んで歌った。それだけにあの街に戦争が起こるなんて最後の最後まで信じていなかった。民族同士が強盗し、殺し合うなんてね」

2010-10-12 03:13:54
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 58】 「戦争で私が目にしたものは恐ろしいものだった。今でもあの戦争で起きたことを信じることができない。ことわざで"人は人に対して狼である"というのがあるが、私にとっては"人は人に対して人"なのだよ。あくまで私は人を信じている」

2010-10-12 03:17:04
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 59】 「現役引退を決断したのはパリサンジェルマンでプレーしていた頃、私の母親が急に亡くなった時だった。それが私には本当にショックだった…。父は重い病気を患っていただけに、父に残された日々を付き添うことに私は決めたんだ。クラブも私を理解してくれた」

2010-10-12 03:25:42
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 60】「ヴェレズは誰もが愛したクラブだった。誰がどんな名前でどの民族かなんて私自身は気にしたことがない。家族にはムスリム人、クロアチア人、セルビア人のそれぞれがいるが、あくまで人は人なのだよ。それだけにどの民族も共存できると考えていた」

2010-10-12 03:34:28
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 61】「戦争では50人のセルビア特別部隊が私に銃を向けた。私は彼らを"お前達はファシストだ"と侮辱し、家族を守るために後ろのポケットに拳銃を入れたが、抜こうとした際に暴発してお尻を怪我をしてしまった。それが唯一、私がトリガーを引いた時だ」

2010-10-12 03:39:31
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 62】 「モスタルでは金銭面であらゆる人々を助けたが、偶然にもモスタルを離れていた際に部隊が私を殺しに家までやってきた。そして17年間のプロ生活における稼ぎを費やした家が燃やされた。全てを失ったんだよ。あれはモスタルで最も美しい家の一つだった」

2010-10-12 03:50:02
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

ちなみにハリルホジッチは言明しなかったものの、彼の自宅を燃やしたのはクロアチア人と思われる。戦争が起こると思わなかったために全てのものを自宅に残しており、現役時代のトロフィーから写真まで全てを失ったとのこと。

2010-10-12 03:51:40
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 64】 「あの戦争忘れられない過去だが、私は泣くつもりも嘆くつもりない。しかし、どれだけの犠牲や悲劇があったのか、過激な人々がいて、運命や別れもあり…。今の私は当時よりも金持ちになった。だが、あの時代を思い出すと心が痛む。口にしたくない話だ」

2010-10-12 03:58:29
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 63】 「しかし、私はあの戦争で恥じることは何一つない。私があの街(モスタル)とあの国(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に与えたものに誇りを思っている」

2010-10-12 04:01:07
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 65】(93年にモスタルを離れフランスへ。しかし人々の助けはなかった) 「新たな人生が始まった。しかし、新たな人生というより、家族や子供を養うための義務だった。泣いたり、悔やんだりしたところでも、食べ物が無くてはお腹が空く。私は働かねばならなかったんだ」

2010-10-12 04:07:39
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 66】「フランスに一緒に渡った子供達は辛そうだった。なぜ父親が殺されそうになったか、家が燃やされたかは理解できなかった。トラウマが残り、2年間は夜中に目が覚め、泣き叫んだ。辛い時代だったよ。500平米の家だったのが、29平米の家に家族4人で生活したんだ」

2010-10-12 04:14:41
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 67】「私はフランスのパスポートも労働許可証もなかった。仕事を見つけるのは大変だったよ。二部のクラブが雇ってくれたが、コーチのシンジケートのせいで外国人が働くことは許されなかった。許可を得るためにフランスのアカデミーを3年かけて卒業せねばならなかった」

2010-10-12 04:19:02
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv

【ハリルホジッチ監督語録 68】「しかし、学校に通いながらも家族は養わなくてはならない。私は友人の車を借り、ヨーロッパのビッグクラブを見学に周った。アヤックス、ドルトムント、バイエルン、ユベントス、バルセロナ、ミラン、パルマ…。車で寝泊りし、食事はもっぱらサンドイッチだった」

2010-10-12 04:23:36