お風呂事情、勝手に語りますよ。 ローマ時代に公衆浴場が沢山あったのは某マンガの通りですが、そこで消費される大量の水、これを調達していたのは(ヨーロッパあたりでは)有名な水道橋だったのです。 ですが国が乱れて水道橋が機能しなくなってくるわけです。
2013-11-14 00:25:42ごく一部、現代でも使用可能な水道橋もありますが、ほとんどの水道橋は整備もされず、あるいは破壊されて石材として再利用されました。 このようにして有能な上水道がなくなったため、ローマ式の大規模な大衆浴場は成り立たなくなります。
2013-11-14 00:28:41とはいえ公衆浴場が無くなるということはなく、各地では川や井戸から水を運びパン焼釜の余熱で湯を沸かし、週に一度くらいのペースで公衆浴場が営業していたようです。 ちなみにローマ時代から繰り返し続けられた混浴禁止令ですが、小さい風呂に村人全員が入るので、必然的に混浴が多くなりました。
2013-11-14 00:35:24一応時間制で男女の入浴は分けているという建前はありましたが、男性の背中を流すサービスをする女性がそれ以外のサービスも提供するというのは都市部ではよく見られたようです。 あ。パン焼釜式お風呂が多かったというだけで、薪でお湯を沸かすタイプの浴場もありました。
2013-11-14 00:40:09@centurio_P 実は水道橋という地上の建造物に頼っていたヨーロッパとちがって、ビザンツ帝国や中東あたりは地下水道がローマ時代以前からあって、ローマ式公衆浴場が存続していたりします。 地下水道の資料が非常に少ないので詳しくは分からないのですが。
2013-11-14 00:47:33しかして一般市民は狭い公衆浴場を利用し続けるわけですが、水が媒介する皮膚病などの病気が流行るのは必然と言えましょう。 当時細菌などは発見されていないのですが、経験則で教会の人々(知識層)は病気を防ぐために風呂を控えるように言いはじめます。
2013-11-14 00:54:05@centurio_P 地下水道(地方によってはカレーズと呼ばれる)は、どうもローマ隆盛依然から現代まで続いているようで恐れ入ります。 地下水道の整備には、整備に各村落共同体から何人かずつ出すという、国の動きと無関係であったことも長続きした要因かと。
2013-11-14 00:58:02豊富な水があれば浴槽の水を入れ替えたりと病気の予防もできたでしょうが、まっとうな上水道もないのではそれは困難。感染は止まりません。 更に婚姻もしていない男女があれやこれやしているので、キリスト教会は「公衆浴場は悪の巣窟だ!」と言い始めるわけです。
2013-11-14 01:02:09とは言っても神父も人間ですから、適度に布で体を拭いたり風呂に入っていたようですよ。 とある修行内容に「一ヶ月間風呂に入らないこと」というのがありましたので、それを辛いと思うくらいはお風呂に入る習慣があったのでしょう。
2013-11-14 01:06:08@centurio_P カナートの縦穴は本来整備用なんですが、キャラバンの飲み水確保にも使われていたようで、影響力は計り知れませんね。
2013-11-14 01:08:28あと、旅をしている騎士が風呂に入っているかどうかでしたっけ。 結論としては、お金持ちで従者がたくさんいれば、お風呂に入ってました。 人が入れるくらいの大きさの樽/木の器に二つ穴の空いた取っ手がついていて、普段は取っ手に棒を通して従者が運びます。
2013-11-14 01:16:02川の側など水が確保できたらお湯を沸かして湯船にみたし、ついでに香り付にカミツレの花を浮かべれば完成です。サボンをたっぷり使って体を洗いましょう。 ぬるくなったら従者がお湯を継ぎ足してくれます。 ですが、もちろんこういう騎士はごく一部であって、大半の騎士は…お察しください。
2013-11-14 01:19:41後々、大勢で同じ湯に浸かるのは病気が移ったりしてマズイとなったのか、お金持ち騎士さんが使用していた湯船をずらっと並べて、一人に一つの湯船というシステムの浴場ができたりしましたが、料金はお高めでした。 代わりにワインなどの飲み物や軽食を湯船の中で楽しめるようになっていました。
2013-11-14 01:26:39