嫌われていることを証明したがる人について
嫌われることと自己肯定感について(http://togetter.com/li/525555)
でカバーしたいと思ったことの一つは「相手を攻撃してしまう心理」でした。結果的に埋まってしまったけれど、そこははっきり書いておきたいな、ということで改めてつぶやいてみたのが以下になります。
そろそろ半年になるけれど、改めて読んでみた。色々と思うところがあるので、少しずつ書いていきたいと思う:嫌われることと自己肯定感について - Togetter http://t.co/mPqX7iGXLr
2013-11-26 11:35:14「自分が嫌われている事実を証明しないと気が済まない人」というのがいると思う。これは嫌われることを恐れる人とはカテゴリが異なる。彼らは一言で言えば、怯えて極度の興奮状態になった野生の動物に似ている。
2013-11-26 11:35:19疑心暗鬼になって、自分が嫌われている理由だけをひたすらに探し続ける。そして自分が弱者であることを盾に、無防備な相手に体当りし続ける。「私は拒まれている」という、望んだ解答を自分がそれに依って得られるまで。
2013-11-26 11:35:26嫌われている事を証明したがる人の中でも厄介なのは「嫌われる自分が居場所」になっちゃってる人のパターン。改善したいような素振りを見せつつも結果的に自分が被害者である事と、弱者でいることのメリットが大きいことをわかっているのでそこから離れようとしないので何をしてもだいたい徒労に終わる
2013-11-26 23:45:05「誰かに嫌われることを恐れる人」が恐れているのは、「自分が好かれるに値する人間である可能性」が否定されることなのだと思う。これに対して、「嫌われていることを証明したがる人」というのは、未知である自分が受け入れられる可能性を潰すことが目的になっている。
2013-11-26 11:35:32でも、どちらにしても人は誰かを嫌うのだ。何をしても批評する人はいるし、何をしても嫌う人はいる。でも彼らは自分ではない。彼らに意思決定の権限はない。自分のあり方を手放すのは、傷ついた自分だけなのだ。
2013-11-26 11:35:37人は自分でいる限り誰かに嫌われ、誰かを嫌う。だけどそれは仲良くなれない、ということではない。仲良くしないことを選んでいるのも、不快感を手放せないのもまた自分なのだと思う。
2013-11-26 11:55:03生きるのにあたって、自分は誰である必要もないのだ。けれども、誰かでいたいと欲する心を無視する必要もない。そもそも、なくてはならないことやしなくてはならないことに従い続けて潰れるひつようなんてないのだ。どちらも、目的のあとに付いてくる影のようなものなのだから。
2013-11-26 11:47:17