芦田先生と渡邊先生の議論まとめ

勉強になります
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渡邊芳之 @ynabe39

研究が自分自身の認識の変容と深く結びつく(というかそれを必然的に求める)という点が心理学の人文学性だと思います。RT @oshio_at: そういう意味では、心理学科にいることで考え方は変容させられている。

2010-10-15 12:14:42
渡邊芳之 @ynabe39

だとすれば「心理学の本質」は「心理学的な認識論(ものの見方)」とそれを支える「方法論」だろうと思う。ただそれは明確に言語化されずに「心理学科で学ぶこと」のなかで周辺参加的に獲得されていく。

2010-10-15 12:22:12
渡邊芳之 @ynabe39

さいきん「行動なんとか学」をはじめ多くの学問が「心理学的な方法論」を盛んに取り入れている。しかしそのときにその前提になる認識論も輸入されているわけではなく,各学問の認識論と心理学的方法論が接ぎ木されていることに,とくに正統的な訓練を受けた心理学者は違和感を持つ。

2010-10-15 12:23:58
渡邊芳之 @ynabe39

私がやってきた仕事はその「心理学的な認識論」を言語化することだったと思うが,いまのところまだごく限られた分野のごく限られた問題についてだけしか言語化できていない。しかし伝達するためには言語化が重要だと思う。

2010-10-15 12:25:36
渡邊芳之 @ynabe39

「心理学的な方法論が正当となるようなさまざまな条件や限定」を心理学者は自然に認識しているが,心理学的方法だけを導入した人々はその条件や限定を認識していない。そこに問題が生じるかも知れない。

2010-10-15 12:27:13
渡邊芳之 @ynabe39

方法論と認識論が不可分であること、認識論抜きで方法論だけを採用することが生み出す問題、というのは心理学的方法論の特殊問題ではなく、普遍的な問題だと思います。

2010-10-16 06:14:39
渡邊芳之 @ynabe39

すごく大きな例をあげれば、自然科学以外の学問への自然科学的方法論の導入がまさにそうです。客観的データに基づく実験的検証、という方法論の導入は、当然、機械論的宇宙観、還元主義、客観主義、実証主義といった自然科学的認識論の導入を伴わねばなりません。

2010-10-16 06:18:23
渡邊芳之 @ynabe39

極端な話、例えば宗教が創造主の存在とそれによる世界の目的論的創造と支配という認識論はそのままにして、方法論だけ実験的検証を導入したとして、それは科学になるでしょうか?

2010-10-16 06:21:18
渡邊芳之 @ynabe39

ある方法論の導入に伴ってその前提にある認識論を導入することは「有用であれば行う」ようなことでなく、必然的なことです。同時に、方法論の導入は好むと好まざるとにかかわらず認識論の導入を強制する傾向もあります。

2010-10-16 06:25:28
渡邊芳之 @ynabe39

歴史的に、自然科学の方法論を導入した諸学は、次第にそれまでの認識論を自然科学的な認識論へと変化させていきました。同じことは心理学的方法論を導入しつつある諸学にも生じるでしょう。

2010-10-16 06:29:57
渡邊芳之 @ynabe39

たとえば経済学が、経済学的な認識論はそのままにして「便利な道具」としてだけ心理学的方法論を導入できると考えるのは、かなり甘い考えだと思います。心理学的方法論の導入は必然的に心理学的認識論の導入を伴います。

2010-10-16 06:32:53
渡邊芳之 @ynabe39

その時に経済学者が「自分たちは本当に心理学的認識論を導入するのか、それは経済学にとって何を意味するのか」を考えることは重要だと思います。

2010-10-16 06:35:29
渡邊芳之 @ynabe39

思い切って極端な言い方をすれば、心理学的方法論を導入するということは「心理学の一種になる」ということです。認識論的にもそれでいいのか、という議論なしに心理学的方法論の導入だけに走る人々にはそれを問いたいのです。

2010-10-16 06:39:13
渡邊芳之 @ynabe39

議論を先取りしておけば、その問題を考える義務は心理学者にはありませんし、心理学者がそれを「考えてあげる」こともできません。なぜなら大多数の心理学者にとって心理学的認識論は「意識して論じる」ものではないからです。

2010-10-16 06:47:22
渡邊芳之 @ynabe39

同じことは自然科学と他の諸学との間にも生じます。私がここで繰り返し書いているように,自然科学者の大多数は自分たちが持っている「科学的な方法論や認識論」を明示的に意識したり論述したりしませんし,できません。「科学とはなにか,どうすれば科学になるか」を説明できる科学者は少ない。

2010-10-16 06:51:04
渡邊芳之 @ynabe39

科学の方法論と認識論を意識し論述する必要を感じるのは典型的には科学哲学者であり,あるいは心理学者のように「自然科学の方法論を導入して科学をめざす」人々でした。同様に,心理学の方法論と認識論の明示化は「心理学者以外」によってしか行われないのかもしれません。

2010-10-16 06:53:56
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学以外の学問が科学の方法論を導入したのも最初は「便利な道具」としてだったかもしれません。しかしそれは現実には「認識論的にも自然科学になっていく」ことを意味しました。心理学の方法論を導入しようとする諸科学には「認識論的にも心理学になるのでよいのか」を考えてほしいと思います。

2010-10-16 06:58:14
渡邊芳之 @ynabe39

心理学者が「心理学への経済学者の参入が本格化する」というある種の危機感を述べることがあります。実際,経済学の訓練を受けて心理学的方法論を手にした人々の「心理学プロパー」への参入,という傾向は止められないと思います。

2010-10-16 06:59:58
渡邊芳之 @ynabe39

ただこのことは「業界論」としては危機ですが「学問論」としては危機ではありません。なぜなら「心理学的方法論を手にした経済学者」は肩書きやアイデンティティが経済学であっても,方法論的認識論的には「心理学者」だからです。

2010-10-16 07:02:19
渡邊芳之 @ynabe39

単に「心理学の発展の担い手」が文学部から経済学部へ移るだけ。心理学そのものは発展し続けます。まあ心理学という名前は消えるかもしれませんが,経済学そのものが換骨奪胎して心理学になってしまうんだから学問的には問題ありません。困るのは「心理学業界」だけ。

2010-10-16 07:03:55
渡邊芳之 @ynabe39

現実はそう簡単にはいかないでしょう。経済学者は「経済学的認識論」をそう簡単には捨てられないからです。そこに方法論と認識論とのかい離や矛盾が生まれます。

2010-10-16 07:06:18
渡邊芳之 @ynabe39

私の身近な経済学者は「行動経済学」を評価し,今後の経済学の有望な方向性と考えつつも,「人間は(客観的な意味で)合理的に行動する」という基本テーゼはまったく捨てていないように見えます。心理学の方法論と認識論は人間の「合理性」をそのようには考えません。

2010-10-16 07:08:30
渡邊芳之 @ynabe39

頭に「行動」という言葉のついた学問は,出自や目的はともかくすべて方法論的には心理学であり,心理学的な認識論を導入する運命にあります。それらの学問がこれから辿るであろう苦難の歴史に思いをはせます。

2010-10-16 07:10:44
渡邊芳之 @ynabe39

しかし経済学者まで「参入」してくるくらいだから「心理学」ってのはいまやよほど大きな可能性のある「市場」なんでしょうね。私自身はその「可能性」自体がある種のバブルなんだろうと思いますが,心理学の方法論にだけ興味があって認識論について無視する人たちはバブルにも気づかないでしょう。

2010-10-16 07:14:54
渡邊芳之 @ynabe39

「心理学的方法論を手にして経済学から心理学に参入してくる人々」というのは「数学が少しできて,心理学に強いアイデンティティを持たない心理学者」であって,それ以上でもそれ以下でもない。ただその「小さな違い」に対して心理学業界が持つ恐怖感は相当に大きいだろう。

2010-10-16 07:26:25
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