上山和樹 連投と、@schizoophrenie氏への反論 2013年12月27日~30日
念のため、最初の呼びかけにまつわる経緯を整理します(2014年1月7日記)。
(1)2013年7月13日のイベントで、上山は自分のレジュメに psychose ordinaire の訳語として、「普通精神病」と記した(@schizoophrenie氏のネット発言を参照して) http://bit.ly/10zkIZc
イベントの最中に、会場の皆さんにも聞こえる形で、立木康介氏から「これはまずい」としてご指摘を受けた。
立木氏ご自身は、診断カテゴリみたいに見えてしまう「普通精神病」(漢字熟語だけ)を避けて、「ふつうの精神病」と記す。
(2)2013年12月27日に、@schizoophrenie 氏が「普通精神病」とツイートしておられるのを拝見し、7月のイベントでの立木氏の指摘を思い出して、それを(上山じしんが同意していることも含めて)お伝えした。これが本まとめの冒頭のツイート。
(3)そうしたところ @schizoophrenie 氏から、「普通精神病でいい」「勘弁してくれ」と反論を受けた。該当ツイート→ http://bit.ly/JCFRvx
【発端】 2013年12月27日 「psychose ordinaire」の訳語について
失礼します。あるイベントにお招きいただいた際、@schizoophrenie さんの言葉づかいを参照して「普通精神病」とレジュメに記したのですが、→ http://t.co/1sY0HBALA6 ▼イベント中に、会場の皆さんにも聞こえる状態で、立木康介さんから強く咎められました。
2013-12-27 12:56:06「これでは診断カテゴリみたいになってしまう」と(大意)。――正確な言葉づかいは忘れましたが、「これはあくまで作業的な、予備的な概念であって、確立されたフレームとして位置づけるのはおかしい」ということだったと理解しています。 @schizoophrenie
2013-12-27 12:57:32私は、この立木さんのお考えに同意します。――もっと言うと、診断カテゴリはすべてが「作業に役立つ限りにおいて」意味を持つと考えるので、病跡学のような「メタ的な診断のおしゃべり」は、それ自体が臨床的に有害と考えます。 @schizoophrenie
2013-12-27 12:59:02ひとまずラカン派の枠内でも、psychose ordinaire は「神経症と精神病のどちらに位置づけるかがよく分からず、対応には慎重を要する」ぐらいのことで、《神経症/精神病/倒錯》とは別に「何かもう一つ設定した」わけではありませんよね。 @schizoophrenie
2013-12-27 13:00:21以前には @schizoophrenie さんご自身がそうした解説をされていたので、「そんなことは分かってるよ」でしょうけれど――《普通精神病》と書いてしまって、診断枠の熟語みたいに流通するのはまずいだろうということで、ご指摘してみました。長々とすみません。
2013-12-27 13:02:25【※注】↓これは上山和樹や @schizoophrenie 氏や 立木康介氏とはまったく無関係に呟かれた、別文脈にあるツイートだが、上山が勝手にRTした。
ある視点で対象を切り取りました、というのは、その視点がどれだけ独自でも研究としては初歩段階。そういう人にかぎって、たんなる自己防御のために「・・と視点が違う」と喧嘩を売ってくるが、苦笑するのみ。対象からの逆作用で、一度そういう「視点」が壊れた人の文章しか読む気はしない。
2013-12-27 20:21:04上の呼びかけから8時間あまり後。
@schizoophrenie氏からの抗議のレスポンスを受けて。
2013年9月28日の早稲田大学現代文学会でのご講演は、ネット動画で全編を拝見し、レジュメも読ませて頂きました。ご講演末尾でも学会を勧めておられますし、病跡学の言説に、コミットしておられると思うのですが。 @schizoophrenie
2013-12-27 21:23:15私は病跡学に疑問を感じていますが、少しずつ変えてゆくしかありません。もし問題意識にご賛同いただけないなら、ひとまずそれで仕方ありません。性急な呼びかけで失礼しました。 @schizoophrenie
2013-12-27 21:23:54いただいたコメントは鍵つきでもありますし、@による言及はやめにして、以下は自前の見解を書いてみます。(批判的にも書きますが、どうか全否定みたいには取らないでください。私としては拙ブログのエントリとも連動し、ずっと続けているモチーフです。) @schizoophrenie
2013-12-27 21:25:32私じしんが「日本病跡学会」で批判的発表を行なうというのは、たしかに検討しているアイデアです。しかし、医師や大学教授も名を連ねる学会で、その学問趣旨そのものを批判的に検討するのですから、私の人生にかかる負荷はたいへんなものです。
2013-12-27 21:27:53それをやり切るまでは、《病跡学にコミットしながら、しかし学会には所属していない個人》については、批判してはいけない――これではあまりに順応主義的で、アンフェアです。
2013-12-27 21:29:35社会体制に承認された言説側に立ち、その言説を駆使しながら、学会に属していなければ、責任を問われない――これではその学問に事寄せて、いくらでも誰かを批判できます。
2013-12-27 21:31:45たとえば、ラカン派への正式所属がない人による「ラカン的議論」について、疑念を口にしてはいけないのでしょうか。▼「文句があるなら私みたいな素人に反論せず、フランスのエコールか『日本ラカン協会』で発表しろ」 「それができないなら黙れ」――こんな言い分を通すべきですか?
2013-12-27 21:34:23権威的言説を振りかざす人に囲まれて、しかも「学会員ではない相手には反論してはいけない」――これでは、やむにやまれぬ疑問を抱え込んでしまった側は、徹底的に追い込まれます。
2013-12-27 21:35:01思ってもみなかった疑問にとらわれた人は、 生活圏でそれを口にすることは許されず、アカデミック・サークルに入る手続きを踏んで、学会員の全体を敵に回すような議論を、一人で引き受けなければならない。
2013-12-27 21:39:46あと、「psychose ordinaire」について。 私はこの言葉が出るたびに、「ふつうの精神病」とでも書いて、さらに口頭で長々と事情説明を入れるぐらいのしつこさで、丁度だと思っています。
2013-12-27 21:44:05名詞的にカテゴリー化された診断枠は、メタ気取りの勘違い言説を鼓舞しがちで、いくらでも暴走します。――そういう問題意識じたいが、病跡学への疑念と重なるわけですが。
2013-12-27 21:46:02