お笑いと暴力

面白かったのでまとめました。 @で受け答えしている部分はよく読んでないのでリストに加えていません。
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@yuno1986

共感や発想の飛び方に快感を覚える純粋な表現である「お笑い」に於いて正当性は必ずしも必要ではない。しかも正当性が必要のない笑いの中に差別や暴力は内在している。その時、その差別や暴力は「おもしろい」という一点でその存在を肯定される。危ない。と同時にそれは人間の本質とは言えないだろうか

2010-02-13 00:36:21
@yuno1986

初めに出した「表現において差別や暴力はその存在を認められるべきであるし、表現は差別的、暴力的であることを避けられない」という趣旨の発言に至った過程というのを一から説明していければと思います。

2010-02-14 06:01:52
@yuno1986

まずこれについて考えるきっかけになったのは、おろちょんさん(@orochon56)のブログを読んでいて、ある記事に対して違和感を持ったのがはじまりです。その記事はこちら。http://d.hatena.ne.jp/orochon56/20061108

2010-02-14 06:02:28
@yuno1986

で、「働くおっさん」シリーズについての非難というのは実際ネット上でもよく出ている(コメント欄をご覧ください)。http://blogs.dion.ne.jp/mmbon/archives/4366279.html

2010-02-14 06:04:39
@yuno1986

僕は個人的に「働くおっさん~」シリーズではよく笑ったし、このシリーズは松本人志の仕事の中でもかなり重要で本質的なものだと思っていました。その危うさも含め。

2010-02-14 06:06:50
@yuno1986

松本人志は映画初監督作品「大日本人」について、「あれは本当のことを言えば出来れば素人さんでやりたかった(でも吉本が許さないので主演した)」という発言をしています。その素人さんというのは、野見さん(「働くおっさん」シリーズのメインの素人おっさん)のような人ではないのかと思っていて。

2010-02-14 06:07:45
@yuno1986

僕は松本人志の笑いのひとつとして「悲しおもろい」というジャンルがあると思っていて、「大日本人」の大佐藤や、ごっつに於ける「とかげのおっさん」は、“普通の人間にはなれないある種異質な人間を笑いの中で存在肯定する”という方法論のもとで作り出されていると捉えています。

2010-02-14 06:08:58
@yuno1986

で、それを最もリアルにドキュメントしたものが「働くおっさん」シリーズではないのかと。これが笑えるか笑えないか、イジメなのかイジメでないのかというのはかなり微妙なラインだし、客体によってその捉え方は変わってくると思う。僕は笑えるしイジメではないと思っていた。

2010-02-14 06:09:43
@yuno1986

けれども尊敬するブロガーであるおろちょんさんの「あれは“イジメ”になってしまっているから笑えない」という発言には揺らがされた。

2010-02-14 06:11:52
@yuno1986

一方でお笑い評論家のラリー遠田さん(@owawriter)は「あれはイジメではない」という発言をされています。http://owa-writer.com/2006/10/post_139.html

2010-02-14 06:12:49
@yuno1986

また「悲しいものがきりぎりで笑える、笑えないものを笑う」という考え方もされていて(http://twitter.com/owawriter/statuses/8498728856)、これには共感するし、松本の狙いもそこにあるのではないかと思っているんです。

2010-02-14 06:14:38
@yuno1986

で、ここで話はまた少し変わるのですが、銀杏BOYZというバンドが自分たちで製作したPVに「ボーイズ・オン・ザ・ラン」というものがある。未見で、気になる方はご覧になってください。http://www.youtube.com/watch?v=8Co1EGNSGTM

2010-02-14 06:16:37
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@yuno1986

このPVを初めに見たときに僕が連想したのは「働くおっさん」シリーズのことでした。勿論、これは笑いを取ろうとしているものではないけれど、“普通の人間になれないある種異質な人たちの存在を肯定する”という意味でベクトルは似ているのではないか、と。このPVに関しても様々な意見が出ています

2010-02-14 06:17:52
@yuno1986

YouTubeのコメント欄にも出ているし、またツイッター上でもこのPVに関しての議論が出ています。http://togetter.com/li/4215

2010-02-14 06:20:17
@yuno1986

「これは社会的弱者を嗤い者にしている」(イジメである)という意見と、それに対して「彼らは特殊ではないし、これは彼らへの応援なんだ」(イジメではなく、共感である)という意見も出ている。これがイジメかイジメではないかというのもまた受け手によって変わってくるのだなあと思います。

2010-02-14 06:22:33
@yuno1986

僕はこれに関しても、銀杏BOYZというバンドのスタイルや彼らがこれまで表現してきた音楽の内容を鑑みると、弱者かどうかはともかく社会的に異質に見られている人たちの存在を肯定していることは違いないと思っています。

2010-02-14 06:25:46
@yuno1986

松本にしても峯田にしても、説明こそはっきりしていないけれど、問われれば、恐らく「これは愛情だし共感だ」と言うことでしょう。それは確かにそうだと思います。ただ同時にそれが差別的で暴力的である(イジメに繋がる)可能性も孕んでいるのは確かだと思います。そして僕はそれで良いとも思っている

2010-02-14 06:27:34
@yuno1986

その価値観はどこから学んだかというと、太田光と、彼のフィルター越しに見るチャップリンの表現が念頭にあります。

2010-02-14 06:28:40
@yuno1986

太田光は二年ほど前に「たけしの教育白書」という番組の座談会に於いて「笑いはイジメではないか、我々はイジメで笑っているのではないか、笑いとイジメの違いが自分には分からないままやっている」という主旨の発言をしていました。

2010-02-14 06:31:40
@yuno1986

それに対してその場にいた東国原氏とたけしは「笑いはイジメではない、笑いというのはいじる側にも受け手にもテクニックが必要だし、それを素人が安易にやるとイジメになる可能性があるけれどプロはそうではない」という発言をしていた。

2010-02-14 06:33:45
@yuno1986

その場は話がまた違うものにすぐ変わっていってしまったのでそれ以上の議論にはならなかったけれど、僕はあの場での太田の危うい発言には救われる部分があったし、あれはかなり本質的な話であったと思います。

2010-02-14 06:34:59
@yuno1986

「笑いはイジメではない、そこにはいじる側と受け手のテクニックがある」という話は萩本欽一の口からも聞いたことがあります。でも僕はそこには欺瞞を感じる。イジメで笑う可能性は充分にあると思うし、笑いは時にイジメを内包していると思う。

2010-02-14 06:36:13
@yuno1986

チャップリンの「街の灯」にはチャップリン演じるプライドの高いお馴染みの浮浪紳士が登場します。彼は街の少年たちに苛められる。同時に、あまりフューチャーされていないけれど、彼が劇中で市井の通行人に暴力をふるうシーンも出てきます。彼は映画の中で花を売る盲目の少女に恋をする。

2010-02-14 06:38:30
@yuno1986

彼女は浮浪紳士のお陰で盲目が治る(彼女は盲目なので彼が浮浪者であるとは知らない)。映画のラストで、目が見えるようになった彼女は花屋で働き、たまたま近くで街の子供に苛められる浮浪者を見て純粋に笑う。そのあと彼女はその浮浪者が実は自分の盲目を治してくれた紳士であることに気付く。

2010-02-14 06:39:13
@yuno1986

「あなたでしたの」という彼女の言葉とショックを受けた表情と共に映画はハッピーエンドともバッドエンドとも付かずに終わっていく。これをハッピーエンドと捉える向きもあります。しかし、太田光はこのラストをバッドエンドと捉えている。そしてその上でこの映画は素晴らしいと言う。

2010-02-14 06:40:04