元捕虜がその捕囚体験を語ることについて

福岡俘虜収容所について取材した朝日新聞岡田玄記者による取材後記
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岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

29日付朝日新聞西部本社版に、戦時中に九州などにあった「福岡俘虜収容所」についての記事を書きました。記憶が風化しつつある一方、慰霊碑建立などの動きもあります。当時、収容施設があった23自治体のうち、案内板や慰霊碑などがあるのは6自治体。中には、その歴史を知らない自治体も。(続く

2014-01-29 18:42:14
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)長崎では、香焼にあった造船所で亡くなった72人の捕虜を弔う慰霊碑の建立計画が進んでいます。「加害の歴史に向き合わねば、被爆者の被害に耳を傾けてもらえない」という被爆者でもある井原東洋一市議。(続く

2014-01-29 18:45:46
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)「記憶は薄れるが、記録は残る」という井原さん。自身の被爆の記憶も変わったり、聞いた他人の被害が自分の被害のように信じてしまうことがあるといいます。だからこそ、「わかったときに、きちんと記録に残すことが大切だ」と。(続く

2014-01-29 18:48:17
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)福岡県田川市には、戦中に捕虜収容所として使われた建物が、ほぼ当時のまま現存していました。現在は、建設会社の倉庫としてつかわれています。戦後、病院の結核病棟として使われたため、解体をまぬがれたようです。(続く

2014-01-29 18:49:46
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)何人もの元捕虜にも話を聞きました。口をそろえるのは「いまの日本は好きだ」「日本は友人だ」と。だからこそ、「過去にあったことをきちんと知り、歴史として残してほしい」と言います。「軍人はひどかった。でも、一般の市民にはやさしくしてもらった」という人も何人かいました。(続く

2014-01-29 18:52:38
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)記事で取り上げたのは、昨年10月に来日したオーストラリア人の元捕虜、チャールズ・エドワーズさん(95)。捕虜のため、番号で呼ばれていたエドワーズさんはある日、使役企業の職員「くまさん」に呼び出されました。連れて行かれたのは、山の上。(続く

2014-01-29 18:54:40
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)「くまさん」は散歩に連れ出してくれたのでした。エドワーズさんはそこから見た周防灘の美しさが忘れられないといいます。「捕虜でいた4年間で唯一、自由を感じた瞬間だった」と振り返ります。くまさんは、海を見ながら泣いていたそうです。(続く

2014-01-29 18:58:17
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)大牟田の収容所にいた別のアメリカ人元捕虜は終戦後、住民が服や布団をくれたと話していました。食糧もほとんどない時代。赤十字からの物資を、住民とわけあったそうです。(続く

2014-01-29 19:00:58
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)国内にあった捕虜収容所は、多くの日本人にとって、初めて外国人に触れる場でもありました。そこには、人として対等に接しようという人も少なからずいました。こうしたことも知ってもらいたいと感じます。(続く

2014-01-29 19:03:53
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)何人もの元捕虜やこの問題にかかわってきた人に話を聞くと、かれらが必ずしも謝罪や賠償を求めているわけでもないと感じます。自分たちの身に起きたことを聞いてほしい、そして忘れないでほしい、と言います。(続

2014-01-29 19:06:43
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)祖国の土を踏めず、異国の地で亡くなった元捕虜を忘れないようにすることは、日本に帰れぬまま亡くなった多くの日本兵を弔ってくれている、戦場となった土地の人々の思いにつながるはずです。

2014-01-29 19:11:12
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

日本政府は毎年、元捕虜を日本に招いています。で、関係者から聞いた話。数年前、日本を訪れた元捕虜。来日しても、日本が憎いと言っていたそう。いよいよ、自分がいた収容所にいくことになりました。(続く

2014-01-29 19:28:51
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)自分をこき使った企業はいまもそこに。さらに怒りに震える元捕虜に、従業員が言ったのは「私たちの先輩がどのようにみなさんを扱ったのか教えてください」。元捕虜は話すうちに涙し、最後は「もう終わったことだ。ただ繰り返さないでほしい」。(続く

2014-01-29 19:31:39
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

承前)従業員の方は謝罪したわけでもなく、ただ、静かにうなずきながら、聞いていたそうです。帰り道、元捕虜は「自分の体験と向き合ってくれた」と感謝していたとのこと。こううまくいくことばかりではないのでしょうが、和解の一つの形なのではないかと思います。

2014-01-29 19:35:57
岡田玄 Gen Gregorio OKADA @OkadaG

今回取材して改めて感心したのは、戦時中の捕虜ら戦争被害者を招待する外務省の事業。元捕虜は退役軍人で、社会的地位が高く、政治への影響力もある。ここから対日感情を良くしようというのは実利的でもある。問題がないわけではないようだけど、目立たないながらも積み重ねられる努力に頭が下がる。

2014-01-29 20:37:46