nosさん @unspiritualized による「アンネの日記ねつ造説」の検証(その2)
- AnomalaCuprea
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これから、『アンネの日記』が捏造だというデマについて検証しようと思います。どなたか心ある方、のちほどまとめていただけると幸いです(まとめ方が分からないので・・・)
2014-02-22 22:09:06東京各地の公立図書館で『アンネの日記』が破かれる事案が発生している。犯人は不明だが、その背景には、レイシズム・歴史守勢主義・陰謀論があると思われる。例えば、そうしたデマをまき散らすこんなツイートがある。https://t.co/EwPWFz4iGh
2014-02-22 22:14:22アンネ捏造説にはまる人びとは、どうも以下のサイトを参照しているようだ。https://t.co/EwPWFz4iGh http://t.co/FuxuelSTXz ネトウヨや陰謀論者の中でも最底辺に位置するリチャード・コシミズのサイトなどである。
2014-02-22 22:16:41さて、どちらのサイトも「アンネの日記」は父オットー・フランクがメイヤー・レビンという小説家に発注し代筆させたものだという捏造説が主張されている。結論から言えばむろん間違いで、欧米ではもはや裁判資料により立証する意味すらない古典的なデマである。@unspiritualized
2014-02-22 22:21:07メイヤー・レビンは米現代文学を読む者の間ではそれなりに知られた作家である。レビンは『アンネの日記』に惚れ込み、書評で絶賛し、舞台化や演劇化を主張した。1952年、父オットーはレビンを日記のアメリカにおける著作権代行者に任命する。@unspiritualized
2014-02-22 22:26:40レビンは「日記」の舞台化に向けて自ら脚本を執筆するが、のめり込みすぎるあまりか、うまくいかなかった。ブロードウェーに持ち込むも軒並み断られてしまう。業を煮やしたオットーは、ハリウッドのカーミット・ブルームガーデン経由で二人の脚本家に委ねられる。@unspiritualized
2014-02-22 22:32:20アルバート・ハケットとフランセス・グッドリッチによる脚本は当たり、56年度のピューリッツァー賞とトニー賞を勝ち取る。ところが、これにメイヤー・レビンは激怒し、自分の脚本を盗んだとして告訴。ニューヨーク州最高裁ではレビンの主張は認められなかった。@unspiritualized
2014-02-22 22:35:53しかしながら怒りさめやらぬレビンに数年を費やされたオットーは示談に応じ、レビンに対して5万ドルを支払い、その代わりレビンは『日記』の著作権や舞台化権を放棄することに合意。レビンの執念についてはグレイヴァー『「アンネの日記」もう一つの真実』に詳しい。@unspiritualized
2014-02-22 22:40:43こうした、レビンの偏執的愛によって起きた騒動における、オットーからレビンへの5万ドルの和解金をもって、「オットーがレビンに日記執筆を依頼した!」と騒いでいるのがデマ信者なのである。嘘だと思うなら、裁判記録を調べてみるといい。@unspiritualized
2014-02-22 22:42:41そういう訳で、いまだにメイヤー・レビンによる『アンネの日記』捏造説を唱えている連中は、欧米でとっくの昔にケリがついているデマをあたかも検証されていないかのように繰り返しているアホ。@unspiritualized
2014-02-22 22:48:03ちなみに、有名なホロコースト否定論者フォーリソンがこの件にからんだことがある。75年にあるネオナチがレビンによる日記捏造論を唱え、オットーが西ドイツの裁判者に提訴。被告のネオナチ側の切り札がフォーリソンによる日記捏造論の論文だったけど却下されたw @unspiritualized
2014-02-22 22:46:02オランダ国立戦時資料研究所による研究版には、詳細を極める筆跡・筆圧はもちろん紙やインクや糊の科学的分析。さらになぜ日記が複数バージョンあるのかを解説しつつそれらを掲載している。これを読みさえすれば「ボールペン」否定論なんて恥ずかしくて言えない。@unspiritualized
2014-02-22 22:57:20さて、否定論サイトでは、おなじみの「日記は戦後のボールペンで書かれていた!」という主張がある。結論から言えばこれももはや古典的なデマであり、その検証は日本語で読むことができる。それがオランダ国立戦時資料研究所『アンネの日記 研究版』(文藝春秋)。@unspiritualized
2014-02-22 22:52:53「ボールペン」否定論が湧いた背景には実はBKA(西ドイツ警察捜査局)の責任がある。77年、日記捏造説をまき散らして逮捕された事件があり、BKAは日記が戦前のものか調査を行った。結果は使われた文具が戦前のものとしつつ、戦後のボールペンの校訂を指摘。@unspiritualized
2014-02-22 23:01:46これを受け、シュピーゲル誌が日記に手が加わっていることについての疑念を伝える記事を出した。ここが大事なのだが、ボールペンによる校訂、追加はオットーによる日記の編集と修正の程度が問題だったのである。@unspiritualized
2014-02-22 23:08:14アンネ自身、小説家を夢見ており、日記が後世出版されることを想像して清書したバージョンを日記本体とは別に作っている。オットーはといえば、それらをミックスしつつ、日記を編集した(その中には母親への悪口や性的な話題の削除も伴っていた)。@unspiritualized
2014-02-22 23:11:57現在は、『アンネの日記』研究においてそうした異同や編集の過程はほぼ明らかにされ、父オットーが削除した部分の復活も行われている。また「研究版」を見ればそれぞれのバージョンのどこが異なっているかも詳細に把握することができるのである。@unspiritualized
2014-02-22 23:14:09ちなみに日記の原本はオランダ国立戦時資料館に展示されており、いっさいの後世の加工は不可能である。「ボールペン」否定論は、こうした複数回徹底的に行われてきた筆跡やインクの分析および編集過程の解析を無視した、まったくのデタラメなのである。@unspiritualized
2014-02-22 23:18:29日記への「ボールペン」筆記は26カ所。正確には日記本体ではなく、アンネが別に書き直していたバラバラの紙で、文法上の訂正の他、削除を意味する傍線などがあった。これらは筆跡から父オットーによる編集作業において為された蓋然性が高い。@unspiritualized
2014-02-22 23:26:48おっと忘れていた。念のため「ボールペン」否定論の検証も少々紹介しておこう。「日記」に戦後のボールペンによる加筆が行われていたのは、まず日記本体のページ番号。これは60年代に筆跡鑑定を行ったドロテア・オッケルマンが便宜上書き加えたものである。@unspiritualized
2014-02-22 23:23:39@unspiritualized 延々とTWしてるけど、「そもそも筆跡が全く違う」「オランダで学校教育受けたアンネがこんな格調高い古典の香り漂うドイツ語を書けたのか?」という最大の疑問にはどう答えるの?
2014-02-22 23:37:25完全版の日記を読めば分かるけど、アンネは自らの作品と信じていた日記において、未熟な揺れ動く心と、勉強で必死に身につけた教養とを同居させている。父オットーはそこに困惑し、やや過剰に綺麗な編集を施そうとした。@asapykadan
2014-02-22 23:45:26僕ですら小学校の頃、ゲーテをパクった文章書いていたけどw @asapykadan 私が聞いてるのは「古典の香り漂うドイツ語」についてなんだが。
2014-02-22 23:54:26@unspiritualized ガキが古典パクって書いたなんてレベルのものじゃないらしいじゃん。そもそも学校教育をオランダ語で受けたアンネは、ペンフレンド宛の手紙もオランダ語で書いていた。そんな子が何でドイツ語で日記書くの?
2014-02-22 23:56:29