80代のTwitterユーザの語る戦前・戦中・戦後の話

ミゾイキクコさん(@kikutomatu)…1934年生まれ osakihirokoさん(@hiroloosaki)…1932年生まれ Twitterには色々な方がいらっしゃいます。その一端をご紹介。
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ミゾイキクコ @kikutomatu

昭和の初め、社会はまだ情報の伝達手段はごく弱く、ラジオのある家はごく少なく、新聞の購読者も少なかった。田舎の人では中央のニュースに接する人はほとんどいない状態で、その意味で無知な人が多く、お上の意向で大衆をどちらにでも引っ張って行けた。勇ましいことがワーッと受ける状態だった。

2014-02-19 15:59:52
ミゾイキクコ @kikutomatu

@harukisheena こんばんわ。1944年といえば昭和19年、敗戦の前の年ですね。私は10歳。どの時代でもいろいろな場合があります。当時は多く世話する人がいて、結婚を決めるものが大部分でしたが、恋愛結婚もありましたし、できちゃった婚もありましたよ。続く

2014-02-19 17:55:31
ミゾイキクコ @kikutomatu

@harukisheena 続き 朝のドラマの場合可なり極端ですが、女性からの申し出も、男性にその気があれば成立しますよ。当時縁談は世話人がそこの家へ話を持ってゆくものなので、親も本人も一緒に話を聞くわけです。これはいいかもしれないとなってから顔合わせ。続く

2014-02-19 18:02:15
ミゾイキクコ @kikutomatu

@harukisheena 続き、その結果は両方が世話人を通してそれぞれ相手に知らせます。決めるのは本人。顔合わせするかどうかは親と本人で考えるわけです。たいして考えもなく会って断ったり断られたりしないように考えるわけです。

2014-02-19 18:07:24
ミゾイキクコ @kikutomatu

@harukisheena 昭和19年といえば結婚適齢期の男性は徴兵にとられて数が少なく、娘しかいない家では婿養子探しに懸命でした。そうしないと家がつぶれると考えました。この時期に適齢期の女性には他の世代よりも独身で過ごした人が多いです。若者が戦死したので。

2014-02-19 18:15:22
ミゾイキクコ @kikutomatu

@harukisheena 当時の結婚にはつり合いが重視されました。家庭の釣合です。釣り合わぬは不縁元といわれました。家風、などが合わないと何かともめごとが起こります。家と家のお付き合いがあるわけですから、あまり違う家同士は問題が起こりがちです。

2014-02-19 18:19:39
ミゾイキクコ @kikutomatu

NHK朝のドラマ、間もなく出征する人と結婚した。子供を身ごもって、夫が出征して、戦死した場合確かに子供を抱えて敗戦後を生きるのは大変だったと思うが、子供がいればこそ未来が開けたという人も多かった。子供は父親の顔も知らない。こういう子どもも数多いと思う。

2014-02-19 19:01:51
ミゾイキクコ @kikutomatu

私が子供の頃、周りに若い頃フィリピンに出稼ぎに行っていたという老人がいた。当時田舎の次男三男は土地もなく、仕事もあまりなかったと思われる。

2014-02-20 10:53:54
ミゾイキクコ @kikutomatu

@sota_hizume 跡取り(当主)以外は部屋住みで資産や収入がない(なんか役についていないと)んですよね。江戸時代なんかの役職に就くのはなかなかチャンスがなかったようです。婿養子の口があればその家の家督を継ぐことができますが。

2014-02-20 11:17:22
ミゾイキクコ @kikutomatu

今から50年くらい前は、認知症に対する認識が社会になかった。だから認知症の人を介護する人が非常に負担が大きかった。家族に理解があれば少しは慰められたのに。そのころ介護疲れで認知症の舅を殺してしまうという事件の裁判が話題をまいたことがある。夫も夫の兄弟も無関心でいた。続く

2014-02-21 09:42:11
ミゾイキクコ @kikutomatu

続き 当時は長男の嫁が舅姑の世話をするのが当たり前であった。そして認知症の人の世話の大変さが認識されていない。心身の疲れで追い詰められ、これから逃れるのは舅を殺すしかないとまで追い詰められたのだ。家族が世話するのが理想といわれるとこういう事になりかねない事を心配してしまう。

2014-02-21 09:46:11
ミゾイキクコ @kikutomatu

私の世代、長男が結婚相手として敬遠された。舅姑の世話始めいろいろな負担があった。だがそれらの負担が嫌だからではなく、周りに大変さに対する認識がないことなのだ。だからそういう立場に立たない事を本人よりも娘の親が考えたのだ。

2014-02-21 09:58:48
ミゾイキクコ @kikutomatu

NHK朝の連続ドラマの舞台は知識階級の家庭。あそこに登場する子供達は私よりいくつか上の世代の人達。当時の庶民からしたらすごく豊かな生活です。おいしいものを食べる工夫するどころか、何とか食べられれば結構な家庭がほとんど。其れと兵隊に志願する事に対する考え方について言えば、続く

2014-02-22 07:52:43
ミゾイキクコ @kikutomatu

続き 私の周りの人々でいえば長男は家を継ぐので親の仕事を手伝うのは当然として、次男三男はどこか勤め口があって勤めている人もいたが、勤め口のない者は親の手伝いをしていた。だから徴兵で召集されても仕事ができて助かるといった感じが多かったと思う。戦争で戦死という感覚が乏しかった。続く

2014-02-22 07:59:53
ミゾイキクコ @kikutomatu

続き 昭和初期田舎ではほとんど小学校卒業程度の人が多く、勤めの仕事には向かない人が多かった。工場もないので、工員の職もなく、家を離れて工場で工員になるてずるも少なかった。そして軍隊の生活は日ごろの家の生活より良かったと軍隊経験者が語っている。戦死という考えがなかった感じ 続く

2014-02-22 08:09:11
ミゾイキクコ @kikutomatu

昭和初期、田舎の人は職業についてあまり知らなかった。どんな職業があるかなど。身の回りにある職業は、農村でいえば農業、大工、左官、八百屋、魚屋、理髪、荒物店、呉服店、お巡りさん、役場職員、そして教員。この中で教育を受けたものがなるのが教員。教育を受けられるのは資産家の子弟

2014-02-22 09:53:36
ミゾイキクコ @kikutomatu

@gonnyoy 大正15年(4月2日以後の生まれの人は、大正15年、昭和元年、昭和2年4月1日までに生まれた人達が同一学年にいるという特殊な学年です。昭和元年がごく短かったから。今も昔も公務員は優位だったんですよね。自分たちが国・社会を動かしているという意識ですから。

2014-02-22 10:22:31
ミゾイキクコ @kikutomatu

昔の文学書なぞにはよく書生というのが登場する。今は書生を置くような家はなさそうだが。子供の頃よく母から聞かされた歌があり、大きくなってそれが英国の国歌だと知った。教えてくれたのは母の身内で書生をしながら第一高等学校を卒業し東京帝国大学を卒業した人。いつごろまで書生というのが居たか

2014-02-22 10:51:07
ミゾイキクコ @kikutomatu

私の妹の義兄(夫の長兄)は書生をしながら千葉大の医学部を卒業しているのでそのころは書生というのがあったことになる。この人存命なら90歳近いかも。

2014-02-22 10:55:15
ミゾイキクコ @kikutomatu

@Yooseku ガスが使われたのは都会で、ドラマの西門家でも始めはなかったが宣伝を兼ねて低価格で設置できたようです。一般にはこれから普及するような感じですね。戦前東京の親戚でははガスを使っていました。私は田舎で育ちましたので、薪を燃やしていました。戦後石油コンロになり次いでガス

2014-02-22 11:23:54
ミゾイキクコ @kikutomatu

@digital_comic12 @akuseku_now 師範学校や士官学校、海軍兵学校は国費で学べました。国費で学べてもそれよりも今今働いてほしいという家庭が多かったですね。先々のことより今今という状態。資産家の子弟は中学校に行ってから師範の二部へ入る者が多かったです。

2014-02-22 14:21:27
osakihiroko @hiroloosaki

私の子供の時は電話なんてなかったのです。普通の家には無かった。 公共施設か金持ちの家、自分の所にあっても、かける所がないのです。電話が入ると呼び出しを頼まれたり::今や大人は一人一台に近い時代!おそるべし。

2014-02-22 14:51:48
osakihiroko @hiroloosaki

自動車も少なかったですよ。町内にもそんなにはありませんでした。その代わり自転車はどこの家にも2・3台はありどこに行くにもチャリ、今は自転車代わりに小型自動車。替われば替わるものです。

2014-02-22 14:59:06
osakihiroko @hiroloosaki

昭和25年頃の東京の住宅事情は  木造の2階建てアパート 玄関は一緒、ベニアの引き戸に6畳か4畳半一間 トイレも台所も共同でした。風呂つきキッチンつきは夢のよう 電話つきなんて嘘〜って感じでしたね::皆これからのスタートでした。

2014-02-22 17:03:26
ミゾイキクコ @kikutomatu

@deep_deep_red @venusparadox 兵隊さんは公共事業の感じですね。幹部の人達は厳しい鍛錬を受けていて出世コースを歩む。昔の軍隊も士官学校や兵学校を出た人は出世コースで戦死しても保証が多かった。士官学校や兵学校の入試は厳しかったし人数も限られていた。

2014-02-23 07:57:23