創世記3章9節「あなたはどこにいるのか」
- suzutuki1980
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承前)創世記3:9「あなたはどこにいるのか」という神のアダムに対する問い掛け(神から隠れているアダムに対する問い掛け)は、一見奇妙です。全知全能の神には知らない事など無い筈。なぜこのような問いかけをしているのでしょうか。この記述から神の「全知全能」を否定する方も居るようですが続
2014-03-13 20:47:19承前)そもそも聖書を口伝や写本で守って来た人々は、「神は全知全能である」事を信じていた人々です。その大前提付でこの記述が残されて来た事を見落とすとおかしな事になります。今のように「情報だけが人と離れて成立し得る」時代では無かった事を外して、どんな理解も有り得ません。続
2014-03-13 20:49:00承前)ちょっと例を出してお話します。授業中に焼きそばを食べている女子生徒が居ました(実話として聞いた話です)。それに対して先生は「お前、何食ってるんだ!」と言いました。生徒は「焼きそばだよ!!」と答えました。続
2014-03-13 20:51:07承前)この場合、先生は「何を食べているか分からないから質問した」訳では無いのは明らかです。しかし生徒はそれを知ってか知らずか、「質問」であるかのように扱って「返答」をしています。ここに「おかしさ」があります。続
2014-03-13 20:52:17承前)そう考えますと、創世記3:9における神の「どこにいるのか」という質問も「質問」では無かったのです。なのにアダムは「隠れております」と「返答」してしまいました。アダムは素直に、言いつけに従わなかったことについて「御免なさい」と言うべきでした。先生と焼きそば生徒の例の通りです続
2014-03-13 20:54:56承前)「神は質問している、だから全知全能ではないのだ」と聖書について「素直に」解釈する人が居る。「先生は『何食ってるんだ!』と質問している、生徒が何を食べているのか分からなかったのだ」と考える人は居ないでしょうに…。「素直な解釈」とは、実はこのようにとても難しいのです。続
2014-03-13 20:58:50承前)聖書は様々な問いかけを私たちにしています。これを素直に「単純な質問」として捉えるのではなく、「お前、何してるんだ!」と学校で先生に叱られていた事に似たように受け取って、日々の生活を自省すべき時が多々あります。アダムへの神の問い掛けは、私たちに向けられたものでもあるのです。
2014-03-13 21:07:34