昔は、映画監督になりたかったら、映画会社に就職するか、就職できなかったら、新藤兼人のようになんとか撮影所に潜り込んで、そこで修行して監督になっていくというのが一般だった。というが、これももうずいぶん昔の話である。
2014-03-28 02:25:33いまの一番オーソドックスなコースは自主映画をコンペに出して認められるというものだろう。では、自主映画コンペというのはどういう作品を好むのだろうか、ということは押さえておいた方がいい。
2014-03-28 02:26:17コンペの主催者がこんな映画に賞をあげたいというのは、欲を言えば ①若い感受性に溢れていて、斬新であること。 ②それが時代を反映していること。 ③作品としてとても面白いこと。 と三拍子そろった作品だ。
2014-03-28 02:27:06しかし、考えてみたら、こんなものなかなかプロにだって作れやしない。しかし、無理だろうなとは思いつつも心の片隅で、このような映画を待ち望んでいるのである、主催者というものはそういうものだ。
2014-03-28 02:28:06では、そのような映画が半分はないものねだりだとして、いったい自主映画のコンペで一番重要視されるのはなにか。はい、ここからが大事です。
2014-03-28 02:29:24三つの要素を確認しよう、つまりこういうことだ。 ①若い感性→若い作り手の「いま・ここ・この私」の表現。つまり実存。 ②時代・社会→作品の時事性。 ③面白さ→プロットの巧みさ、映像による語りのうまさ。
2014-03-28 02:30:32で、自主映画コンペでの重要度は以下のようだと俺には思われる。 ①若い感性→重要度大 ②時代・社会→重要度大 ③面白さ→重要度小~中
2014-03-28 02:31:26つまり、若い感性があって、それがまたイマドキの若い感性ならば、あんまり面白くなくてもつい賞をあげたくなるのが自主映画コンペであるということになる。逆に、あまり手慣れていると「若さがない」などと言ってグランプリが取れない可能性が高い。
2014-03-28 02:32:21しかし、若い感性って何だろうか。まあ有り体にいうと若者の「実存」である。つまり、物語の構造(Narrative Structure)よりも実存を優先するということだ。ということは、これを追求すると③の面白さはある程度犠牲になると思った方がいい。
2014-03-28 02:33:58これは文学史でいうところの、物語(ロマンス)から近代文学への移行と重なる。近代文学とは、<小さくてリアルな話>である。歴史など大きな物語に対して個的で小さなエピソードを指す中国語の「小説」を、坪内逍遥が「ノベル」の訳語として当てたのである。ま、そんなことはどうでもいいか。
2014-03-28 02:35:22一つ目は日常を少しだけ特殊なものにシフトさせるということである。日常からささやかに跳躍した時間と空間をうまく捉えることである。たとえば、停電。たとえば、まちがい電話。
2014-03-28 02:37:26二つ目。できたら前半にちょっとした謎を仕込んだ方がいい。井上ひさしbotも仰っているように、物語は基本的にはミステリーなのである。
2014-03-28 02:38:11正直に告白すること、別の言い方をすると挫折を描くということに近い。その赤裸々さがプレゼンサスを産む。この手の作品では、むしろこここそが勝負どころなのだ。
2014-03-28 02:40:05最後に、1時間未満のこのような作品にはあまり無理をしてオチをつけなくても構わない。三幕構成は状況設定→葛藤→解決だと、どのシナリオの教科書にも書いてあるが、例外もある。この手の作品は、解決しなくてもかまわない。ズバンとぶった切る方がいい時もある。
2014-03-28 02:43:23キャラクターは、シナリオの基本においては、ラストに変化しなくてはならないことになっているが、これもあまりはっきりした変化はいらない。むしろ、30分程度の作品で劇的な変化をつけるとご都合主義に見えてしまうことが多い。
2014-03-28 02:45:44昨今、PFFのスカラシップ作品に商業映画として通用する力を求められているように感じられる。しかし、そもそも受賞者はそのような力を評価されて受賞にいたったのではないのある。ここが、非常に悩ましいところである。
2014-03-28 02:47:42但し、商業映画になると、①②③の重要度は激変してくる。ここが難しいところなのだ。つまり、③の重要性が飛躍的にアップするのである。
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