2014/4/2 #DOMMUNE 爆クラ 第31回 『冨田勲ダイヴ ~スケールと官能の音楽』発言まとめ
開演
湯山玲子「父で作曲家の湯山昭は冨田先生と同い年、良く一緒にスキーに行ったと言ってましたが」冨田勲「志賀高原ね」湯山「作曲家は他の人の作品は聴かず家ではモーツアルトばかりかかっていたが、冨田先生の作品は別格で『月の光』を一緒に聴いていた」 #DOMMUNE #冨田勲
2014-04-04 20:42:31冨田勲「戦時中までは軍歌ばかりで音楽がなかったが、終戦直後に接近してた米航空母艦に乗ってる移動放送局の音楽がラジオから聴こえてきた。『センチメンタル・ジャーニー』や『G.I.ブルース』みたいなのにはあんまり興味なかったが」→ #DOMMUNE #冨田勲
2014-04-04 20:50:07→「グレン・ミラーの『ムーンライト・セレナーデ』のサックスのコードが聴こえてきた時は何かと思ったね。絶対軍歌には出てこないハーモニーですごくビックリした。」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 20:50:48→「戦後、進駐軍放送で西洋音楽をちゃんと聴き始めた。つまり自分の子供の頃は『音楽がなかった時代』で空白だった。つまり『音楽とはこういうものだ』という観念が僕には無かったわけで、これが良かったのでは。」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 20:59:34→「コンサート(サウンドクラウド)でもヘリコプターや船を使ったり。『惑星』の木星なんかも『宇宙でああいうことが起きてる』という実況中継的な音楽ですよね。ステージ上にきちっと演奏者・指揮者がいて客に音が聴こえていくという枠がなかったので」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:07:32湯山玲子「昭和7年生まれというと冨田さんの他に林光さん、小森昭宏さん、ちょっと上に武満徹さん。名曲を生み出してる方々は小さい時に豊かな音楽環境がなかった。(音楽的な)空白があってポーンと西洋音楽に触れるようなことはもう史上無いのでは」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:15:32→冨田勲「僕らの小6から中1の間ってのは大人の世界を垣間見る時代。下士官に軍事教練でしごかれた。終戦で時代がひっくり返ったら、若い教員は戦争に駆り出されていたので50〜60代のお寺の住職さんとかが先生をしてた。その先生たちの授業が印象に残ってる」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:22:20→「もう2〜3年年下だったら子供だから何があったのか良くわからず、2〜3年上だったら大人びて『世の中そういうこともあらあな』となっちゃう。僕らはそうじゃないんですよ。(山本)直純もそうですよね。」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:26:14→「ちょっと破天荒というか、世の中を信じないというか…『絶対コレが正しい』と思ってたら(終戦で)ひっくり返っちゃったわけでしょ。一番感じやすい年頃。だからちょっとおかしなのが出てくるんですよね。」湯山玲子「石原慎太郎さんが昭和7年生まれですよね」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:30:26ストラヴィンスキー「春の祭典」
(ストラヴィンスキー「春の祭典」モントゥー指揮、ボストン交響楽団)冨田勲「これが終戦後、進駐軍の放送で聴こえてきたんです」(曲を聴いて)「ちょっとひどいスクラッチ(ノイズ)だね。(自分が聴いたのは)これよりは良かったな」→ #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:36:38→冨田「僕が(「春の祭典」で)なぜ舞い上がったかと言うと、地球が誕生する創世記というか、いろいろなものが生命を持って…そんな感じがしたんだよね。すごい曲だな、と思って3日くらい寝られなくて。」湯山「急にこの不協和音ですものね」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:40:56→冨田「物凄く原始的な音楽だし、要するに邪教徒を表してるわけでしょう。だから万人にわかるんですよね。パリでの初演はみんな酔っちゃって大変だったでしょ。僕がシンセサイザーのレコード(「月の光」)を始めた頃、日本で発売できずにアメリカへ持って行ったが」→ #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:46:03→「そこ(米RCA)に『スイッチト・オン・バッハ』を手がけたピーター・マンベスの他にもう一人ディレクターがいて、それがジョン・ファイファー。この(モントゥー指揮)『春の祭典』は彼が二十歳の時に制作したレコードだった。」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:52:13→「僕は『あの曲を聴いて音楽に目覚めた』と話をして、LPを持って行ってたのでファイファーにサインしてもらった。いやあ、奇遇というか世間は狭いというか。そういう因縁があるんですよ。」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:55:05→湯山「『春の祭典』は賛否分かれますよね」冨田「僕は何の予備知識も無かったからね、いきなりこれが聴こえてきて。音楽という感覚も無かったな…なんかこう大自然というか、植物、動物、微生物に至るまで色んなものが生命を持つという感じが最初のところにある。」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 21:59:00→冨田「ところが当時、新宿のコタニでLPが3600円したんですよ。山手線一回り、どこまで行っても10円だった頃」宇川直宏「1ドル360円ですか」冨田「外国のものは全て高いわけですよ。それで親父に平身低頭して小遣いもらって、船便輸送で2枚買った」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 22:03:09→「親父は古賀政男が好きだったけど、そんな高いレコードはさぞかしスゴい音楽が入ってるんだろうと、岡崎から上京してきた時に聴かせろと言ってきた。それが今出たファゴットのハイトーン。親父の頭の上にクエッションマークが出てた。」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 22:06:36→冨田「いいも悪いも判断がつかないと。そうこうしてる間にザンザッザッザッザ、ザンザッザッザッザのパートになって、それが日蓮宗の団扇太鼓みたいだと…当時偉い人がくるとテレビの音も聞こえないくらい鳴らされてた」湯山「当時は新興宗教も沢山出た時代でしたね」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 22:11:44→冨田「だから親父はすっかり『大変なことになった…うちの長男はなんか新興宗教だか邪教徒だかに騙されてるんじゃないか。高いレコードだと思ったがすぐに止めさせなきゃいかん』と。いやあ、ひどい目にあったですよ」 #冨田勲 #DOMMUNE
2014-04-04 22:14:29