董承の曹操嫌がせによっての曹操と献帝への影響
- japonikamai
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曹操さまと献帝は、たぶん董承の嫌がらせ事件(張繍征伐の報告に参内した曹操の首を左右から戟で挟んで歩かせた)からほとんど、もしかしたら一度も会ってないような……。やりとりは全部荀彧を介して文書で行なっていたと思われる。で、ソソさまはもう宮中のことは考えたくもないモードで鄴か前線に。
2014-04-17 20:26:54@sosokan 丞相といえば戦に赴かず宮廷でふんぞり返っている位の人なのにも関わらず、あまり許都に寄り付かなかった所からすると、たびたび暗殺未遂で自分が帝側からあまりよく思われていないのと、内政に詳しい家臣が多かったのと、ワシの想像ですが前線に赴けば色んな土地に行けるからかとw
2014-04-17 20:32:53@rotritter3594 董承の嫌がらせがよほどトラウマだったみたいで、冷や汗ビッショリで二度と参内しなかったと書かれてますので、鄴を気に入ったらもう許都に帰りたくない気持ちもわかる様な気がしますね。暗殺も怖いし許都は居心地悪かったんでしょう。前線で羽を伸ばしてたのかもです。
2014-04-17 20:37:30@sosokan @rotritter3594 献帝にしてみれば曹操によって軟禁されている状態なので、常に解放されるかもしれないチャンス(曹操が消える)を狙ってたでしょうからねえ。
2014-04-17 20:41:27@Golden_hamster @rotritter3594 期待通り、曹操はもうほとんど不在だったわけですよね。考えてみれば、献帝を軟禁して監視する役の筆頭が荀彧なんでしょうか。
2014-04-17 20:43:12@Golden_hamster @sosokan お互いに充分な距離を置いた方がトラブルが起きにくいと考えたのかもしれませんね(^^;
2014-04-17 20:44:23@sosokan @rotritter3594 いや、献帝としては曹操をこの世から消さないと意味がないでしょう。荀彧が政治面を抑え、王必らが兵を率いて献帝の動向を監視していますから。曹操がどこかにいて彼らが従っている限り。
2014-04-17 20:45:47@rotritter3594 @sosokan 「私のことをないがしろにするくらいならもう私のことは放っておいてくれ」とまで言っていますからね。ずっと近くにいたらいずれ何らかの衝突は避けられなかったんでしょうね。後漢の梁冀のようになるか、魏の高貴郷公のようになるかはさておき。
2014-04-17 20:47:34@Golden_hamster @rotritter3594 まあこの世から消さないと意味はないですね、事実が証明するとおり。なるほど、政治面が荀彧、軍事面が王必ですか。
2014-04-17 20:48:52@sosokan @rotritter3594 吉本の乱のときの経緯を見ると、王必が許で兵を握っていたようですね。献帝が奪われることと、献帝が逃げ出すことから守っていたのでしょう。他にも将軍や校尉がいたでしょうけど、多分王必が許にいた将の中では一番重要だったのではないかと。
2014-04-17 20:52:45@Golden_hamster @rotritter3594 王必が殺されたなんてクーデターとしては最悪ですね。緊急度レベル4くらい。
2014-04-17 20:57:09@sosokan @rotritter3594 実際、王必が矢王必になったまま指揮して鎮圧しなかったら献帝はどうなっていたことか。あの事件は曹操の腹心と呼べるクラスの家臣が背いたことと、献帝が支配下を逃れたかもしれないことの2点で大事件だったと思います
2014-04-17 21:00:24あ、王必は乱鎮圧の2週間後にクーデターで受けた傷がもとで亡くなったのだった。王必の最期にソソさまが対面した記述はないから、2週間じゃ戻って来れなかったかな?伝令に時間が掛かるし、そこから軍をまとめて帰還するのにまた時間がかかるか。
2014-04-17 21:12:11