【角に始まり角に終る】石川文康

今は亡きカント研究者の石川文康さんの『そば往生』から<臨床哲学>のエッセンスについて学びます。「純粋機械製麺批判」といったところでしょうか。まっ、食べなきゃ始まらない哲学ではありますが・・・
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クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

【角に始まり角に終る1】いかにそば好きといえど、そのもともとの姿を見るといささか幻滅させられる。ソバの実たるや、全身に角(かど)が勝り、忍者の蒔菱(まきびし)さながらの鋭いとんがりをもった醜い姿の一語に尽きる。よくぞこの醜い代物からあの美味が生まれるものだ、とつくづく思う。:続

2014-04-08 16:00:03
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)ところが話は逆である。あの突き出た角が、実はそばの味と栄養の秘密を握っているのである。ソバがどんなに痩せた土壌にも実を結ぶとされるのは、あの出っ張りを利用して、ありとある栄養分をどこまでも貪欲に地中から吸収しているからである。:続

2014-04-08 16:01:27
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)ソバの実の角は、その醜い姿の原因であるとともに、そばの味の原因でもある。実にそばの味は角に始まるのである。(石川文康『そば往生』2002年)

2014-04-08 16:05:52
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

【角に始まり角に終る2】その自然の妙技によって蓄えられた養分と味の可能性を、さらに人間の妙技によって最大限に開花させたのが、何といっても麺としてのそばであろう。そして、その味を最もよく人間の舌に伝えるには、文字通り人間の手ずからの妙技、すなわち手打に勝るものはない。:続

2014-04-09 09:44:42
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)当然のことながら、手打そばはそば粉の割合が高い。そのためまた、腰も強くしなやかである。これらの基本的要因は自明の大前提として、手打そばは人間の味覚によく適合しているように思われる。・・・その秘密もソバの実と同様、角いかんにあるようである。(石川文康『そば往生』2002年)

2014-04-09 09:45:26
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

【角に始まり角に終る3】人間の舌、すなわち味覚は、五感の中で、嗅覚に次いで麻痺しやすくできている。同じ長編テレビドラマを見つづけても、目が疲れることはあっても、視覚そのものが不随になるということはない。延々と音楽を聴いてもいても、耳が遠くなるということはない。:続

2014-04-16 11:05:18
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)ところが、嗅覚に関していえば、同じにおいを一定時間かぎつづけると、いつの間にかそのにおいが気にならなくなる。嗅覚が麻痺したのである。自然界のにおいが必ずしも気分のよいものばかりでないことを思えば、このことはむしろ望ましいことであろう。:続

2014-04-16 11:05:38
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)舌もその点では同様である。味覚も麻痺しやすいのである。麻痺とは、同じ感覚を繰り返し長時間にわたって受けつづけると、その感覚が消滅してしまうことをいう。ところが味覚の場合、特殊な性質がある。単に麻痺するだけでなく、感覚が反転してしまうのである。:続

2014-04-16 11:06:16
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)これがいわゆる「飽き」である。「飽きる」とは、受ける感覚がありあまって、その感覚が嫌いになることをいう。美の感覚が醜に、快の印象が不快に転じることをいう。 ところでそばの場合、このことはどのような意味につながるのであろうか。(石川文康『そば往生』2002年)

2014-04-16 11:06:25
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

【角に始まり角に終る4】飽きの原因が同じものの繰り返しにあるとすれば、そばの場合、さしずめそれは麺の一本一本、同一規格形の単位の繰り返しということに当てはまるであろう。舌は一度に数本の麺の集合を自らの上に迎え入れる。:続

2014-04-17 17:44:48
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)すなわち、一口にしてすでに何本かの麺による繰り返しを含んでいるのである。これはさらに、せいろに盛りつけられた分量を食べ終えるまで、さらに何度も繰り返される。つまるところ、繰り返し自体が二重に繰り返されているのである。:続

2014-04-17 17:45:07
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)その際、もし麺の姿が同一規格であったとすれば、どうなるであろうか。その場合、舌は疲れを感じやすく、飽きやすいはずである。ということは、はじめから同一規格形として作られた機械打ち麺は、そばの味覚を持続させにくくできているということになる。(石川文康『そば往生』2002年)

2014-04-17 17:45:27
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

@greenminkuma :さすが、今は亡きカント研究の哲学者、「飽きる」原因についての本格的な問いかけがなされている。

2014-04-17 17:45:54
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

【角に始まり角に終る5】その点、手打ちはどうであろうか。たしかに手打ちの場合も、麺の形の均等化に努力が払われている。しかし、機械的な画一化からは完全に免れており、一本一本は微妙に異なった太さと、異なった断面、異なった角度を有する。:続

2014-04-18 17:43:34
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)したがってよく見れば、一本一本識別可能である。機械製麺の一本一本が全体のための単位にすぎないのに対して、手打ち麺のそれぞれは、文字通り個性を持った独立体なのである。これはまた、制服と私服の違いに喩えられる。:続

2014-04-18 17:44:04
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)だから手打ちの場合、同じ一本の麺といえど、一端の太さともう一端の太さは等しくなく、包丁の入れられた二つの面も、ある微妙な角度をなしている。その微妙な不揃いさが面白さとなって、舌を飽きさせない原因ともなっている。:続

2014-04-18 17:44:22
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)したがって、手打ちの場合、食べるに及んで腹は満足するが、舌の方は飽くことを知らず、しいていえば、疲れるのは顎だけである。(石川文康『そば往生』2002年)

2014-04-18 17:44:43
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

@greenminkuma :こんな理屈を捏ね回してそばを食べると、なんだか頭が疲れて来そうだが、石川さんは哲学者に気質を遺憾なく発揮して、実に根気よく手打ちそばと機械打ちそばの違いを丹念に観察している。「食べること」と「考えること」の二律背反を実践しておられるようだ。

2014-04-18 17:45:10
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

【角に始まり角に終る6】ところで、ここで角そのものに注目してみよう。そばの角といえば、何といっても麺の四角柱をなす四筋の角である。普通の機械打ち麺は、いわばトコロテン式に押し出されてできあがる。しかし、普通の機械打ち麺は技術的に、:続

2014-04-19 17:05:04
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)「つなぎ」としてグルテンを含んだ小麦粉を多く投入せざるをえない。グルテンとはバネのような性質をもった成分である。したがって、四筋の角は理論的には直角になりそうだが、実際には製麺の際に四角の通り口を通過するその瞬間だけ直角を強いられているだけであって、:続

2014-04-19 17:05:29
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)つなぎ粉の多い分だけ、その弾力性が復元力となって、通過した後は面の断面はもはや正確な四角をなしておらず、すべての角が鈍角化し、結果的には丸みを帯びて形成される。ところが、舌に刺激を与え、味覚を促すのは肝心の角の部分なのである。:続

2014-04-19 17:05:51
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)手打ちの場合、こねて伸されたそばの絨毯は何枚重ねかにたたまれ、その上から包丁が入れられる。ということは、理論的にはじめからくっきりした角度をなすべく作られるわけである。それだけではない。切断されるときに加えられる力と速度は、重ねられた各層を刃が通過し終える瞬間に、:続

2014-04-19 17:06:08
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)それぞれの層に微妙な鋭角を残さずにおかないであろう。手打の場合、つなぎ粉が少なく、復元力がないから、この鋭角は保持される。そのほどよい鋭角が舌を心地よく刺激して、味覚の持続を助けるのである。このように仕上げられた手打麺は、:続

2014-04-19 17:06:27
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)茹で時間さえ間違えなければ、その鋭角をいじらしくもくっきりと留め、艶をなして視覚にも訴えて食欲をそそる。そのため、わたしはそばを食べるとき眼鏡をかけ、しばしその美形を鑑賞することにしている。(石川文康『そば往生』2002年)

2014-04-19 17:06:51
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

@greenminkuma :どうやら石川さんは、江戸流の蕎麦の味わい方を純粋に実践されているようだ。江戸流では蕎麦の「角」を喉越しで楽しむために、ほとんど咬まずにズズーと音をさせるくらいの勢いで啜り込むのが、蕎麦を道楽する玄人の作法だと聞いている。

2014-04-19 17:11:18