大井を看取ったのが敷波という史実の話

大井っちの最期を看取ったのが敷波という史実をアッピルしたかったので手元にある木俣滋郎『日本軽巡戦史』から当該箇所を引用してみた。 だいぶ略したので気になる人は図書館や古書店で現物も確認してくださいな。
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浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

大井っちの最期を看取ったのが敷波だという史実の認知度が高くない気がするのでアッピルする必要性を感じる #艦これ

2014-04-21 19:12:42
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

木俣滋郎『日本軽巡戦史』から大井戦没の箇所を抜き出してみようかと思ったけど長居のでTwitterに貼るのには向かないと思った(こなみ #艦これ

2014-04-21 19:22:01
姫上沙月@ @satsuki_h

@asagihara_s 図鑑で大井の隣に居るのか敷波なんだよねぇ。

2014-04-21 19:23:49
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

北上さまが3番艦、大井っちが4番艦なのに図鑑番号は大井っちがNo.019、北上さまがNo.020なのはNo.018の敷波と大井っちを並べるためだったのか……? #艦これ http://t.co/i9Iiv12epZ

2014-04-21 19:27:19
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浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

木俣滋郎『日本軽巡戦史』より 「任務を果した大井は青葉や鬼怒と合流するため仏印のサン・ジャックを経由し、シンガポールへ向かうこととなった。昭和十九年七月十八日の午後二時、大井はマニラ湾を出た。始め二十二ノットでジグザグし、敷波を大井の左斜め前三千メートルに配する。(続

2014-04-21 19:33:48
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)ところが風波が強くなり小さな敷波の苦労が手にとるようにわかった。そこで翌十九日に入ると敷波を千メートル後方の単縦陣とし、速力も十八ノットに落した。空は鉛色にどんよりとし、海面は白波がたつ。つまり敵潜水艦の潜望鏡を発見しにくい状況だったのである。(続

2014-04-21 19:35:35
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)(中略)七月十九日の朝フラッシャーは一万四千メートル彼方に大井を発見して潜行した。ひる十一時三分には大井はフラッシャーの左斜め前方にあったので敵は艦首発射管から攻撃しようとする。斜めにスレ違う格好だ。当時、風速十六メートルの風が吹き、時々スコールが降るという天気だった。(続

2014-04-21 19:37:30
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)敷波は千メートル後方にあった。二隻は南西に向けジグザグする。ジグザグのため三分後、二隻の位置関係が変った。フラッシャーは全速力で大井の行く手を通りすぎ大井の右後方へ抜けた。そして艦尾発射管から十一時十分(いずれも現地時間)、四本の魚雷を発射する。(続

2014-04-21 19:39:58
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)潜行してから二十四分後のことだった。その時、敷波はフラッシャーのわずか四百五十メートルにあったという。他方、大井は見張員を十六名に増やして、警戒していた。ひる十二時十四分、見張員は「雷跡ッ。右艦尾!」と叫んだ。同時に掌航海長も「雷跡、艦尾に近い!」と叫んだ。(続

2014-04-21 19:42:35
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)二人の発見者がいずれも左舷にいたので哨戒長は左舷の誤認ととっさに判断、「面舵一杯!」を下命した。やはり左舷の後部機械室に魚雷一本が命中した。浸水のため艦尾は二メートル沈下し、右舷後部から十三分後、重油が漏れて火災が発生する。(続

2014-04-21 19:45:24
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)(中略)船体は真横から風波を受けた。船体の震動がはげしいので第二次攻撃が危険と知りつつエンジンを止め、損傷が拡大するのを防ぐ。敷波は四分間に爆雷十五発を投下したがフラッシャーはいち早く現場を去っている。(続

2014-04-21 19:50:28
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)(中略)第一回目の攻撃より一時間半の後、フラッシャーは第二次攻撃を企図して二千九百メートルまで大井に接近する。大井はストップしたまま左舷に傾いていた。敵艦は艦首発射管から四本の魚雷を発射した。(続

2014-04-21 19:53:18
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)(中略)フラッシャーの魚雷は三本とも、敷波の前方を走り去った。大井を狙ったのに敷波は「自分が狙われている」と思ってしまう。この間、大井は右舷に三十度、傾きつつも一番、二番カッターを下した。(略)エンジンをかけると震動のため大井は船体が切断しそうだった。(続

2014-04-21 19:54:56
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)(中略)今やどうにもならなくなった大井は前部機械室にも浸水が起こり、やむなく敷波がサイゴンまで曳航することとなった。ロープの準備も整った。フラッシャーは暗くなってから浮上し、僚艦のアングラーとクレーベルにも位置を打電して「大井を逃すな!」と連絡する。(続

2014-04-21 19:56:53
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)(中略)フラッシャーは深度四十五メートルに再び潜航、接近してきた。ちょうどその頃、大波を受けた老兵、大井は夜五時二十五分、船体がメリメリと不気味な音をたて始める。艦長は「総員、上へ!」を命じた。(続

2014-04-21 19:58:49
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)(略)やがて大井の船体は四番砲の付近――艦橋の部分で切断してしまう。このあたりの人員は直下沈下のため海に巻き込まれた者が多い。(略)大井はとうとう夜五時二十八分――魚雷命中より五時間十四分後、艦尾から沈没していった。(続

2014-04-21 20:00:40
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

承前)(略)敷波は始めフラッシャーを警戒していたが大井の沈没後、約一時間後、内火艇を下して波間の生存者をさがし、大井の艦長以下三百六十八名を救助した。(略)大井の生存者は敷波に乗って、仏印のサン・ジャックを経由、七月二十二日、シンガポールに到着した。

2014-04-21 20:02:58
浅木原忍@31日西う25ab @asagihara_s

以上長々と木俣滋郎『日本軽巡戦史』から大井っち戦没の状況を引き写してみた。細かいところはだいぶ略したので現物も図書館なり古書店なりで確認してくださいな

2014-04-21 20:04:14