「ミステリとは何か」思索過程の備忘ツイート(その2)
1)ミステリを書き始めた頃は「ミステリとは何か」など考えたことも無かった。そこに「既に在る」ものについて考察するのは時間の無駄であろう。だが、書き始めて早々「壁」にぶち当たった。作中で殺した人間で墓地が作れるほど「殺人事件」を起こし「密室」も拵えてみたが、どうにも納得が行かない。
2014-05-11 11:27:192)そもそも兄の真似をしてミステリを書き始めたのだが、年齢差以上にセンスの差に打ちのめされてしまった。そこでふと我に帰り、自分が好きで書いているこのミステリって何なんだと思うことができた。そこが分からないままセンスに任せて書く才能が無かったことは今思えば「幸運」だったとも言える。
2014-05-11 11:31:413)疑問を抱いてなければ、中学の図書室で中島河太郎さんの『推理小説の読み方』を手にとることも無かっただろう。その中で『モルグ街~』に先立ち、ポーがディケンズの連載中の小説『バーナビー・ラッジ』に対して真相を指摘する投書をしていたことを知り、ずっと心に引っ掛かり続けることとなった。
2014-05-11 11:33:494)ミステリが如何に誕生したかというプロセスをなぞることは「ミステリとは何か」を考える上で有効な方法の一つだ。煎じ詰めれば『モルグ街~』とそれまでの文学とは何が違うのかということ。そうなるとポーを取り巻いていた時代とポー自身に何がしかの「飛躍」があったことを想定せざるを得ない。
2014-05-11 14:51:035)雑誌編集者としての一面と詩人としての一面も考察する必要がありそうだ。雑誌編集者として部数を飛躍的に伸ばしたポーは一方で『黄金虫』で懸賞小説の賞金を得る投稿家でもあった。つまり送る側と受ける側の両方に立脚していたわけで、大衆娯楽としての雑誌文化の隆盛を外部要因として踏まえたい。
2014-05-11 14:55:416)また『バーナビー・ラッジ』にポーの詩『大鴉』のような鴉が登場している(Wikiソース)ことなど、同時代に生きる作者と読者の双方向性がその新しい「運動」の面白さを主導している原動力だったのではないかと推定できる。これはクロスワードパズルや犯人当ての挑戦状とも連動する動きだろう。
2014-05-11 14:59:107)そうなるとディケンズ(『大鴉』引用)とポー(真相当て)は『バーナビー・ラッジ』の上で相互にやり取りしていたことになる。これは文豪が物語を一方的に投げ与えるだけという「在り方」とは決定的に違う。相互に影響を与え合い立場の互換も生じる文学は実は「ムーヴメント」と呼称できるものだ。
2014-05-11 15:21:488)それは他方において『大鴉』が朗読者を作者の位置に一時置いてしまうことで「物語」を受ける「目的」が伝える「手段」に逆転したように、伝える技法そのものの「目的」化を促す。『大鴉』の詩において内容よりもフレーズ(nevermore)や韻が特筆されたように。つまり「トリック」である。
2014-05-11 15:34:519)外部要因としての雑誌文化の隆盛、内部要因としての「手段」の「目的」化、これらを統合的に概念モデル化するならば、近現代における「読者層」の出現と軌を一にするものではないか。それは近代的市民生活の萌芽の時代でもあり、いわゆる警察(機構;探偵含む)が登場するのもこの時代なのだ。
2014-05-11 17:43:0810)「読者層」からの次代の「作者」の出現、あるいは小説という「テキスト」に留まらない盤上での読者と作者のやり取りによる合作的創作行為がミステリの本質と言えるのではないか。それまでの文学との違いは「読者」の創作参加にある。読者が読むという行為を加えることでミステリは完成を見る。
2014-05-11 17:56:5211)言い換えれば、読者の読み解く力や方向性で作品の印象から評価まで大きく左右され兼ねないということだ。大の大人が時に、こめかみに青筋立てて口角泡を飛ばしながら激論を戦わせるのも、その作品の完成に自分自身が深く関与してしまっているからに他ならない。作品の否定は自分の否定と同義だ。
2014-05-11 18:05:2412)そうした「読者」自身を作品に内在させる仕組みは、一人称にして記述者というワトソンを始め様々な形を採る。肝心なことは警察(機構;探偵含む)が登場する「犯罪エンタテインメント」はミステリの一形状に過ぎず、「読者」の干渉を拒むならば、それは先祖返りと評さざるを得ないということだ。
2014-05-11 18:19:09残業が長引きご飯を炊く気力もなく、おにぎりを買いにファミマへ。ついでに朝日新聞買ってきて件の記事ににやついている。名探偵について、おおむねそつなくまとめている感じ。ただ、司祭という表現は誤解を招くのではと危惧している。旧来のものに取って代わったのではなく、そこで「生じた」からだ。
2014-05-19 21:23:26恐らく繰り返しになってしまうが、欧米流のミステリ定義の警察(機構;探偵含む)の発足以降というのはどうも言葉遊びというか対象への鋭い突っ込みに欠けている。朝日新聞の「都市化の産物」も「教会の存在感の喪失」とは即ちそれに代わる「警察」の発生を別の表現で言い表しているのと変わらない。
2014-05-19 22:20:44近代がもたらしたのは「大量の無名の死」ばかりではない。「大量の無名の読者」も新聞・雑誌のカンブリア爆発によってもたらしている。それまでの文学が「形式的」にではなくガチに献辞者に読んで頂くために書かれてきたとするなら、近代文学は「顔の見えない大量の読者」に向けて書かれている。
2014-05-19 22:29:43献辞者だけに伝われば良いなら「符丁」で煙に巻けば良いが、同じ情報を共有し、同じ結論を作者と読者が得られる条件として科学や論理が介在する。それが「大量の無名の読者」との対話や挑戦も可能にする。「死」は新聞・雑誌が好んで取り上げる題材であり、そのDNAがレリックスとして残っている。
2014-05-19 22:49:00「大量の無名の読者」と交流するからこそ「フェア・プレイ」も必要になる。論理やフェア・プレイあるいはトリックや死体や名探偵が「要素として」登場するからミステリなのではない。それらは必然性があって選択されている。作者と読者が共通して納得できるならば異世界でも謎理論でもOKであろう。
2014-05-19 23:13:08ミステリにおける「死」について補足すると、多少言葉遊びになるのだが「死体」をめぐるストーリーであり「死」自体とはアプローチが異なるように思う。「死」を囲い込んでいた宗教的・哲学的・倫理的な壁の外側に引きずり出して「死+体」=オブジェ化し遊戯的に扱うことが可能になったのだ。
2014-05-20 07:46:27それは「死」が新聞・雑誌の記事や読み物として擬似的に日常的に読者の目に触れ、読まれる機会が飛躍的に増大する過程と連動している。戦争による「大量の無名の死」は同時にそれに駆り立てられ命を落とした読者自身の身内の身近な「死」であり、「死」の一般化による「死体」化を促している。
2014-05-20 07:55:47(RT言及)honkakuと言ってもここでは「新」まで全部のことなのか…。まあ欧米流のミステリ概念って探偵(警察機構)の誕生以降という自己規定に一応納得してしまってるので、探偵のお話に落とし込まれるのはある意味必然のなりゆきだよね。これは「言霊」と言うより「哲学」の問題。(続
2014-10-13 13:51:44