- HayakawaYukio
- 1479
- 0
- 1
- 0
3月15日にもっともひどい汚染が生じた。前日の14日23時に原発から出発した放射能霧は、4時にいわきを通過して、6時には関東平野に達した。
2014-05-20 07:32:26福島中通り北部が汚染されたのもこの日だった。15日11時に原発から出発した放射能霧は、18時ころ飯舘・福島・二本松に達した。
2014-05-20 07:32:42この日3度目、夕刻18時に原発から出発した放射能霧は、11時に出発した放射能霧が通った帯のすぐ北側を平行に進んで、双葉厚生病院から吉沢牧場に向かう細い汚染帯を残した。
2014-05-20 07:33:05紀要論文の公開査読 kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-604… 印刷した論文のカラーpdfを置いています。ご自由にダウンロードしてください。再配布も可。
2014-05-20 07:34:313月15日がヤマだったのは、数々の事実からはっきりしている。しかし日本国民は、1号機が爆発した3月12日1536と、3号機が爆発した3月14日1101のそれぞれ瞬間に放射能が出たと、いまでも思い込んでいる。
2014-05-20 07:47:34たとえば、3月15日昼に浪江町津島から脱出した人々は、濃い放射能を含んだ空気を吸うことをかろうじて免れた。しかし、このことはその人たちに積極的には伝えられていない。安心情報なのに、伝えられていない。濃い放射能を浴びてしまったと悔いている人がいまでもいるそうだ。
2014-05-20 07:49:25放射能は、格納容器内の圧力を弱めるために中のガスを逃がすベントという操作をするたびに、大気中に出た。あの2度の爆発のときに出たのではない。
2014-05-20 07:52:04もしベントをしなかったら、格納容器が爆発して、桁違いの放射能が大気に注入されただろう。その悪夢を避けることができたのは、吉田所長の胆力によると信じる人が多い。
2014-05-20 07:54:32▼原発事故で出た放射能の真実 ・放射能はベントしたときに出た。爆発したときに出たのではない。 ・それは風で運ばれてきて、あなたの居住地域の地表にいまもある。いま原発から出ている放射能は微々たるもの。
2014-05-20 08:14:502011年3月の風が、この事故による放射能汚染を決めた。東京に風が向かっていた3月15日に吉田所長がなぜベントしたのか不審だが、風向きを見ている余裕などまったくなかったと考える人が多い。一刻を争うベント操作だったのだろう。
2014-05-20 08:17:42その放射能の害毒は、当初恐れたほどではないことがわかってきた。「追加被ばくマップ kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-621…
2014-05-20 08:28:08福島駅の放射能リスクは交通事故リスクの半分である。「放射能リスクの評価 kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-606…
2014-05-20 08:29:43