- ashibumi68
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フーコー『生者たちの統治』「オイディプスとは、その定義からして二重の人物です。オイディプスというシュンボロンの二つの半分が、重なり合いながら統一性を回復すると同時に、その奇怪な二重性を明らかにするのです。」
2014-06-08 23:02:37>《〈象徴〉を意味する西欧語(英語のシンボル symbol など)の語源は,ギリシア語の動詞 symballein (〈いっしょにする〉の意)からきた名詞 ★シュンボロン symbolon で,》(つづく) bit.ly/1n0J2Lw
2014-06-09 00:15:41>《何かのものを二つに割っておき,それぞれの所有者がそれをつきあわせて,相互に身元を確認しあうもの=割符を意味した。》 bit.ly/1n0J2Lw ★割符(わりふ) bit.ly/1rYlFJr 割符としてのシュンボロン
2014-06-09 00:26:37神託と予言(テイレシアス)、羊飼いの証言は、シュンボロンとして符合する。しかしその符合においてこそ、奇怪性がある。それは欠如とは無縁なオイディプスの「非ー意識」において働く。オイディプスはこうした働きの主人公ではなく、主体でも犠牲者でもある特異な媒介者である
2014-06-08 23:06:19QT @parergon2 >《神託と予言(テイレシアス)、羊飼いの証言は、シュンボロンとして符合する。しかしその符合においてこそ、奇怪性がある。》 >《オイディプスは〔…〕主体でも犠牲者でもある特異な媒介者》
2014-06-09 00:35:43ハイデガーをパロディすれば、彼はシュンボロンを語るのではなく、シュンボロンが彼という「過剰なもの」において語る。フーコーはこういうことは言わないが、いまでも誰もが「自己について語る」ことを始めた瞬間に、こうしたシュンボロンの奇怪性のとりこになる可能性があるのではないか。
2014-06-08 23:09:21割符≒シュンボロン≒象徴 QT @parergon2 >《彼はシュンボロンを語るのではなく、シュンボロンが彼という「過剰なもの」において語る。〔…〕 ★いまでも誰もが「自己について語る」ことを始めた瞬間に、こうしたシュンボロンの奇怪性のとりこになる可能性がある》
2014-06-09 00:36:58フロイト的解釈を乗り越えようとするフーコーの意図とは逆だが、フロイトが忘れられた現代(ラカンが忘れさせたこと)においてこそ、こうした事態は「発話者」を、「真理」という牢獄に閉じこめてしまうのではないか。
2014-06-08 23:14:18シュンボロンの連鎖はつねに「ほころび」を持つ。オイディプスが独りで父を殺したという発言と、妻の「伝聞」(複数の盗賊)というほころびの謎はついに解けない。このように語れば語るほど、このようなほころびは新たな奇怪性を創り出していくのだ。
2014-06-08 23:17:52QT @parergon2 >《シュンボロンの連鎖はつねに「ほころび」を持つ。〔…〕 ほころびの謎はついに解けない》 >《語れば語るほど、このようなほころびは新たな奇怪性を創り出していく》
2014-06-09 00:38:57オイディプスではなき現代人、上からの「神託」と、偽の預言者、そして下からの偽証の群れに取り囲まれて、「真理を語る」者は奇怪な存在として、排除すらされずに、飼い殺しにされているのではないか。そうした人々をこそ「解放」すべきである。
2014-06-08 23:21:52QT @parergon2 >《「真理を語る」者は奇怪な存在として、排除すらされずに、飼い殺しにされているのではないか。そうした人々をこそ「解放」すべきである。》
2014-06-09 00:40:37バルトの「六〇年代論」はけっして「サブカルチャー」の擁護へと向かうことはなかった。むしろ彼は、それを芸術へと再統合する運動をあえて暴き出すことで、その運動の交差点にきらめく「閃光」を、化学的に記録しようとした。あえていえばそれは冶金術的メディア論である。
2014-06-08 23:28:52QT @parergon2 >《バルトの「六〇年代論」はけっして「サブカルチャー」の擁護へと向かうことはなかった。》《サブカルチャーの擁護が、制度の強化と、前述の奇怪さの増殖へと結びついていたことを彼はすでに自覚していたのであろう。》 bit.ly/1rYoES4
2014-06-09 00:45:51サブカルチャーの擁護が、制度の強化と、前述の奇怪さの増殖へと結びついていたことを彼はすでに自覚していたのであろう。彼が当時「シニフィアン」と呼んでしまったものは「シュンボロン」と同じような、亀裂をはらんだ統一体なのだから。
2014-06-08 23:36:18そしてサブカルチャーの擁護の言説が日本のような社会に蔓延するとき、亀裂からしみ出す毒は、「真理を語る者」を直撃するのである。
2014-06-08 23:39:20ある語りの態勢への嗜癖的な惑溺は、奇怪さの増殖をもつが、「奇怪さへの惑溺」は、真理を語ることではない。むしろ真理はなかったことにされる。 (※これは、ラカン的な剰余享楽「しかない」と思い込むことへの批判に見える)
2014-06-09 01:03:30決まった態勢で語れば語るほど、そのほころびによるシュンボロンの連鎖(奇怪さの増殖)は、いつの間にか生産されたはずの真理を等閑視させる。――みずからの割符に見えるものに夢中になるがゆえに。
2014-06-09 01:12:17>《いまでも誰もが「自己について語る」ことを始めた瞬間に、こうしたシュンボロンの奇怪性のとりこになる可能性がある》 bit.ly/1rYrpCO 「自分語り」の嗜癖性とは別の語りを開く必要がある。
2014-06-09 01:14:53《当事者尊重》の文化の、欺瞞と危険。過激に見えて、徹底的に隠蔽的。嗜癖と抑圧の回路を温存する。▼この回路の総体を温存してみせれば、「良心的知識人」のできあがり。――最低の欺瞞。
2014-06-09 01:19:29QT @parergon2 >《サブカルチャーの擁護の言説が日本のような社会に蔓延するとき、亀裂からしみ出す毒は、「真理を語る者」を直撃する》 ラカンの「サントーム」とそこで語られる享楽が、ベタな《当事者》擁護と重なると最低になる。
2014-06-09 01:26:32擁護する側のマッチョな差別言説と、擁護される側の「ポジションに居直った傲慢さ」が共犯関係でカップリング。▼肩書きと言説のナルシシズムが結びつき、経済的恩恵まであるので、誰もこの嗜癖温存の回路を解除しようとしない。――こうして総体としてダメになってゆく。
2014-06-09 01:31:25@parergon2 個人的であろうと、集団的(われわれ)であろうと、自己について語らないためにはどうするか。反権力の言説に逆のベクトルをあえてすべりこませること、真理を特権化することなく、それぞれの制度における真理の体制を系譜学的に分析すること。
2014-06-09 02:08:54