林衛氏の【被害を出した大川小、被害の出なかった相川小と雄勝小。裏山の条件に違いはあったのか。裏山登り比べ】まとめ

2011.3.11 東日本大震災の津波で、すぐに裏山に逃げずに児童108人の7割に当たる74人が死亡した石巻の大川小。一方、もっと条件の悪い近隣の相川小、雄勝小の二校では、三階まで波を被りながら、学校にいた児童全員が山に登って無事だった。大川小の裏山は登りにくかったのか? 科学コミュニケーターの林衛氏が、現場に行って裏山登り比べを実施。
23
林 衛 @SciCom_hayashi

大玉村,福島市とまわり,昨晩から石巻。今日はこのあと,雄勝小,相川小,大川小の裏山を探索してみます。助かったのはみな裏山があったから。大川小だけは,避難が遅れてしまいました。登りやすさを自分の足で比べてみたいのです。

2014-06-11 09:01:53
林 衛 @SciCom_hayashi

宮城県教職員組合による東日本大震災をふまえた学校防災チェックシート。 最悪だった大川小の記録もある。 pic.twitter.com/y2UBmbXqhX

2014-06-12 15:01:01
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

大川小被災。豊富にあった避難場所。 待機していたスクールバスでピストン輸送すれば全員連れていけた峠トンネル手前。広場になっている。 pic.twitter.com/vYc7pQW07a

2014-06-13 12:11:37
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

大川小学校敷地とつながる法面途中にあるたたき台。校庭,校舎,北上川,対岸を見渡せる。 2010年6月には低学年(3年生)が写生の授業で登っているのを,校長先生が撮影,保護者に写真を頒布していた。ここも避難場所として考えたにちがいない。 pic.twitter.com/gE0jgBP0rP

2014-06-13 12:30:03
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所。法面途中のたたき台から,校庭,校舎,北上川,対岸を見渡す。同じ角度からの写真を校長先生が撮影,保護者たちに頒布していた。児童も教員もよく知っていたはず。 pic.twitter.com/vlwSGWyrnP

2014-06-13 12:35:07
拡大
リンク t.co Twitter / SciCom_hayashi: 宮城県教職員組合による東日本大震災をふまえた学校防災チェック ... Connect with your friends — and other fascinating people. Get in-the-moment updates on the things that interest you. And watch events unfold, in real time, from every angle.
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった避難場所の一つ,たたき台への上がり口。約10mに立つ津波到達点の上だが,いかにも子どもたちが喜んで登りそうな斜面。「危ないから登ってはダメ」と先生たちが注意していたのも,簡単に登れるからでしょう。 pic.twitter.com/GDJh4Je9u6

2014-06-13 12:39:58
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

11日に石巻で,避難が遅れた大川小,避難が間に合った雄勝小,相川小の裏山を登り比べてきました。先生方や子どもたちの気持ちになっていろいろと考察してきたのを写真とともに授業後にツイート続きします。

2014-06-13 12:59:17
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,木立に囲まれた裏山の写真1 2014年6月11日の登り口の状況。「立入禁止」の看板が立った影響と,春から初夏への季節が進んだ結果として,草ボウボウ状態になっていた。 pic.twitter.com/GY8x7wxSN8

2014-06-13 15:14:00
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,木立に囲まれた裏山の写真2 被災後の写真。被災時も,こんなけもの道がついていたと思われる。ついていなくとも入り口は緩斜面で入りやすい。以前,椎茸栽培にも利用していたとの記録あり。 pic.twitter.com/oZKOQGlEmi

2014-06-13 17:52:32
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,木立に囲まれた裏山の写真3 これも,被災後の春先,草が生え始めの季節。「山は遊び場だった」との生存児童の証言を,検証委員会は何度要望しても報告書に盛り込もうとしなかった。 pic.twitter.com/YZolmyWPi0

2014-06-13 17:55:15
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,木立に囲まれた裏山の写真4 これも春先に撮影されたもの。津波到達点より高い位置まで楽々登れた。児童も教師も,ここへの避難を考えたにちがいない。 pic.twitter.com/irHjTwaF48

2014-06-13 17:57:39
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,木立に囲まれた裏山の写真5 6月11日に登っていった裏山。下草が生えているのと,曇りとはいえ梅雨のあいまで足下が滑りやすかった点が,春先とのちがいだと思われます。 pic.twitter.com/hlOmquv5Uu

2014-06-13 18:44:49
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,木立に囲まれた裏山の写真6 緩斜面に続くやや急な斜面。足下を踏みしめないと登れず。ただし,針葉樹の枯れ葉や土壌が厚いので滑っても応急処置が必要な創傷にはなりにくい(スカートや革靴だと困難か)。 pic.twitter.com/bv8Ha696xc

2014-06-13 18:48:03
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

大川小の裏山の斜面がきつかったという指摘は,おそらく登り口から5分以上登ったこのあたりの斜面での経験からきたのだと思われる。津波の難を逃れるのは,この手前で十分。ここまで登る必要はない。@SciCom_hayashi

2014-06-13 18:50:11
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,木立に囲まれた裏山の写真7 急斜面がどこまで続くのかと思ったら約14分で林道に到着。あるとわかっていたら林道を目標に登れる。メガネを失った生存教諭が,児童の「眼」を借りて通ったのもここだろう。 pic.twitter.com/mj5P9cp3uX

2014-06-13 18:54:06
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,林道に続くバットの森 H19(2007)年に大川小児童gあ,のバットの原料アオダモなどを植樹。高学年児童は3年前に経験していたか,植林を知っていたはず。裏山は高学年児童中心の探検遊びの場だった。 pic.twitter.com/464UHzxerF

2014-06-13 19:00:51
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,林道から自動車整備工場側を見下ろす 林道をいくとやがて,反対側の自動車整備工場がみえてくる。山に避難した生存児童,教員も,この道をとおり整備工場側に降りていったのだろう。 pic.twitter.com/e6zimhm7i4

2014-06-13 19:02:41
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所の続き,林道からの下り口。 小学校裏から緩斜面,さらにやや急な斜面,林道を通り,バットの森に寄り道,途中で写真を撮りながら歩いてきて約40分。避難を提案した児童や教員は,このルートを意識したのだろう。 pic.twitter.com/Q4uZRQ0ugM

2014-06-13 19:05:25
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

大川小には,すぐ登れるコンクリートで平に整備されたたたき台のある法面,登りやすい木立のなかの斜面,やや急だがその先に開けた林道に続く急斜面,バットの森など子どもたちが探検していただろう裏山があるのがよくわかった。 裏山への避難が津波より危ないと考える根拠はとくにないとわかった。

2014-06-13 19:10:22
林 衛 @SciCom_hayashi

避難した雄勝小,相川小の裏山については,追ってまた夜に。たたき台ほど楽に登れる裏山はなかったが,それでも登っていったとわかった。

2014-06-13 19:11:53
林 衛 @SciCom_hayashi

豊富にあった大川小からの避難場所のうち、最も簡単に登れた法面のたたき台。写真前後に20mくらいカーブしながら続く。コンクリート製で平ら。200人は軽く避難できる場所があった。 pic.twitter.com/5dSOYO9iCU

2014-06-13 19:46:02
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

北上川やや下流側からみた法面と手前の登り口。遺族から提供を受けたもの。法面の植樹はいまほどのびていなかった被災時は、さらに上の段にも登れるのも可能だっただろう。校舎の横に避難用の台があったわけだ。倒木もなし。 pic.twitter.com/2Fcq5KHdNo

2014-06-13 19:54:20
拡大
林 衛 @SciCom_hayashi

高学年男子中心に山さ逃げよと強くいった子がいたのも、ふだんから先生たちが学校の時間のあいだに「山へはいかないように」といっていたのも、今回歩いて写真をとってみて、また、遺族から提供を受けた写真をあえあせてみて、よく理解できた。みなさんは、これら写真をみてどうお考えになりますか。

2014-06-13 20:01:00
林 衛 @SciCom_hayashi

児童の家族、地元で暮らしてきた家族たちが、きっと山や峠に逃げていただろうと大川地区が孤立、連絡がとれず、ようすが確認できなかった3月11日の夜に無事だと信じながら翌日以降の救援に備えていたと口々に語るのも土地勘と避難場所が結びついていたからだ。高台がなかった仙台平野とはちがった。

2014-06-13 20:07:07