IJET-25基調講演(2014/6/21土)「村岡花子- 『赤毛のアン』翻訳に託した未来への希望」実況まとめ

2014年6月21日(土)に東京ビッグサイトで行なわれた英日・日英翻訳国際会議「IJET-25」の基調講演のまとめツイートです。 村岡花子-『赤毛のアン』翻訳に託した未来への希望 基調講演者:村岡恵理(作家) http://ijet.jat.org/ja/ijet-25/program/keynote - - - 聴講者のお一人である @cop_eku さんによる以下のまとめも併せてご覧ください。ドラマ版との関係性など、様々な意見が出ています。 続きを読む
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Garyou Tensei @Garyou_Tensei

#IJET25 基調講演は #花子とアン の原案 『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』 の著者、作家の村岡恵理さん。講演タイトルは「村岡花子-『赤毛のアン』翻訳に託した未来への希望」 ijet.jat.org/ja/ijet-25/pro… #IJETKEY

2014-06-21 09:54:07
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

本日、6月21日はなんと、村岡花子さんの生誕日! (((知らなかった!))) #IJETKEY

2014-06-21 09:55:23
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

村岡花子さんは最初から翻訳家を目指していたわけではなく、子供の頃から本が大好きで、英米文学に触れて育った。女性が仕事をするのが難しい時代の波に飲まれながら、ペンを放さず、子供も大人も一緒に読める文学の翻訳家となっていった。 #IJETKEY

2014-06-21 09:56:36
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

ドラマ #花子とアン は、村岡花子の翻訳家、文学者としての足跡はライト、友情や家族の側面などを強調。 #IJETKEY

2014-06-21 09:58:28
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

東洋英和女学院(村岡恵理さんご自身もそこの卒業生でらっしゃるとのこと!)の先輩方から、村岡花子の家庭の描写が<「おしん」的なフィクション>である点についてご意見が。 #IJETKEY

2014-06-21 10:00:57
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

「辞書を漬け物石」もフィクション。実在の村岡花子は、本は大切なものなのでまたいではいけない、開いて伏せて置いてはいけないと教わって育った。お酒はまったく飲まない人でした。 #IJETKEY

2014-06-21 10:02:50
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

「(((さては甲州ワインのPRか…?)))」 #IJETKEY

2014-06-21 10:03:53
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

村岡花子は1893年、山梨県甲府に生誕、5歳までそこで過ごす。ドラマでは農家、実際は貧しい商家。父が先鋭的なものの考え方。<思想的アーリーアドプター>。 #IJETKEY

2014-06-21 10:05:14
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

花子はドラマほど甲府弁が堪能だったわけではなかった。父は商売が苦手な商人で、家族が苦労(養子や奉公)したのは実話。しかしその父がいてくれたからこそ、花子は花子として育った。 #IJETKEY

2014-06-21 10:06:51
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

言葉が早く、7歳で大病した際に辞世の詩を詠み、両親を悲しませたエピソードは実話。 #IJETKEY

2014-06-21 10:07:25
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

10歳の時にカナダ人メソジスト派の宣教師たちが設立した学校に入校。 #IJETKEY

2014-06-21 10:08:23
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

先生たちは「赤毛のアン」の作者であるモンゴメリ(ルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery ja.wikipedia.org/wiki/L%E3%83%B… と同時代の人たち。記念写真でモンゴメリと似た服装。 #IJETKEY

2014-06-21 10:10:02
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

ブラックバーン先生にはモデル=ミス・ブラックモアが。寄宿舎で問題を起こすたびに Go to bed! 日本では廊下に立たされたり押し入れに閉じ込められたりするのに対し、当時のイギリスやカナダで定番の謹慎令。部屋にこもって心を落ち着け、反省すべし。 #IJETKEY

2014-06-21 10:11:47
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

花子は謹慎中にそのまま寝落ちすることしばしば。実在のミス・ブラックモアは怒って起こしつつも、笑いをこらえている人柄の人。花子もそれをわかっていた。 #IJETKEY

2014-06-21 10:12:41
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

校庭に飛行機が着陸、はいから姿の生徒たちが大歓喜。ミス・ブラックモアは「この飛行機を私たち人間は何に使おうとしているのか。平和か、あるいは戦争をもっと悲惨にするか、どちらかです。それは私たち人間の大変な問題だから、おぼえておきなさい」と。空襲の概念以前の先見。 #IJETKEY

2014-06-21 10:15:10
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

卒業式の日、生徒たちがミス・ブラックモアを取り囲んだ。厳しさの化身でもある先生の言葉は、その人柄からこそ発せられるものだと知るに至っていた。 #IJETKEY

2014-06-21 10:16:31
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

「人生は進歩である」 ミス・ブラックモアがくれた言葉が花子の心に刻まれた。 #IJETKEY

2014-06-21 10:17:39
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

花子は「自分は素晴らしい言葉を伝えるクッションである」、という使命感を抱いていた。 #IJETKEY

2014-06-21 10:18:19
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

…そのようなクッションになることが、とても好きな人だったのではないだろうか。 #IJETKEY

2014-06-21 10:19:04
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

使っていた聖書にものすごい量の書き込みが。紙を継ぎ足してまでも書き込んでいた。 #IJETKEY

2014-06-21 10:20:16
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

年頃時代を明けても暮れても図書室で過ごした。東洋英和女学校の蔵書はほとんどが英米文学だった。 #IJETKEY

2014-06-21 10:21:06
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

テニスン(Alfred Tennyson) ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2… の詩集。In Memoriam という詩。花子は友情というものに対し、非常に純粋で強い憧れをもっていた。 #IJETKEY

2014-06-21 10:22:18
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

東洋英和の同級生たちの間で「英語の花ちゃん」と呼ばれるように。学科の成績が悪くなると即退校という枠(給費生((?)))ながら、数学の成績は落第点というほどではないにせよ、ギリギリクリアレベルだった。 #IJETKEY

2014-06-21 10:23:27
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

嫌いな学科は一切勉強しなかった。数学は「通してもらった」んじゃなかろうか。 #IJETKEY

2014-06-21 10:23:53
Garyou Tensei @Garyou_Tensei

日本語の感覚にも敏感だった。ペンで生きていきたいと思うようになった。学友たちは家に戻れば素晴らしい縁談が待っている両家の令嬢揃い。一方自分の父は社会主義にどんどん染まっていく。独り立ちの必要性。花子にとって、実家は必ずしも、いつでも帰れる暖かい場所ではなかった。 #IJETKEY

2014-06-21 10:25:17
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