海外派兵で自衛隊員の血が流れることだけじゃなくて、日本国内でテロが起る可能性が高くなったことを心配しないといけないのだ。
2014-07-02 09:41:073,4歳の頃、パリの地下鉄駅構内で発生したテロで重症をおった人々が、地下鉄の入り口から担架で運ばれている光景を見た。その頃はテロが頻発していたため、パリ中のゴミ箱は釘で閉じられていた。
2014-07-02 23:03:23滞在していた場所に爆弾を仕掛けたという脅迫があり、深夜に警察から強制的に避難させられたこともある。結局何もなかったけど。そんな風に、物心つく前の3,4歳頃のフランスでの記憶は、テロに関するものばかりだ。
2014-07-02 23:08:01テロがない国に暮らせるのは本当に幸せだ。日本はいい国だと思う。第二次大戦ではアジアを侵略したけど、その後は(アメリカに押し付けられた)憲法のおかげで、自衛隊は誰も殺さずにここまで来た。かっこいいと思う。誰も殺さない軍隊。
2014-07-02 23:14:18テロは怖いよ、マジで。私も第二次インティファーダ真っ盛りの数年間をエルサレムで過ごしたが、誇張じゃなしに、命からがら日本に帰って来られたと思っている。知人の何人かは、私も毎日のように通っていたヘブライ大学の食堂でテロに遭遇して、一人は奇蹟的に直撃を免れ、髪の毛がちりぢりになった。
2014-07-02 23:23:06「テロ」の思い出は数限りなくある。だが、極度の恐怖や不安から、そうした記憶を抑圧してしまう心理が働くようで、はっきりと思い出せないことも少なくない。
2014-07-02 23:24:39二回目に留学したのは2000年の7月だったが、行ってすぐにシャロンの挑発的行為も手伝い、自爆テロと報復的攻撃の連鎖が3年以上にわたって続いた。エルサレムの中心部からそう遠くないアパートに住んでいたが、週に2、3回テロが繰り返された時期などは、家から爆音を聞くことも珍しくなかった。
2014-07-02 23:29:29「ボム」と鈍い音がしてカミさんと顔を見合す。「もしかして…」それから10分ぐらいしてからアンビュランスのサイレンの音が聞こえてくる。こういうのが週の2、3回普通にあった時期もあった。2002年か2003年か辺りのエルサレムの日々。
2014-07-03 04:35:19テロがあった日は、上空をイスラエル空軍のヘリや戦闘機が飛び回り、「テロリスト」が潜伏しているというエルサレム郊外のアラブ人集落に向けて爆撃や砲撃がなされるのが常だった。一時期は地上戦も展開され、銃撃戦の生々しい音が聞こえてくることもあった。そんなことにも段々慣れてしまうのだが…。
2014-07-02 23:33:59しかしよくあんな環境で勉強してたなと思う。貧乏学生だったし、奨学金も少なかったから、当然ながらバスに乗らざるを得ないわけだが、バスがいちばん狙われた場所でもあったから、もしかしたらこのバスもやられるんじゃないかと何度も思ったものだった。なるべく後ろの方に乗ったのは言うまでもない。
2014-07-02 23:37:30二度目の留学のときはカミさんと行ったのだが、一度、待っていたバス停の一つ先のバス停で自爆テロがあったらしく、地面が揺れるほどの衝撃を感じたという。その時、私はウクライナにいたのだが、彼女はさっき言及したヘブライ大で起きた初テロの前日の同時刻に爆破された食堂でメシ食ってとのこと…。
2014-07-02 23:45:18なんだかんだ言って、一番怖かったのはあれかも。エルサレムの市街からアラブ人地区を突っ切ってヘブライ大学に向かう路線があるのだが、そのバスに乗ってたら、赤信号で停車中のバスの真ん中のドアがいきなり吹き飛ばされて粉々になった。アラブ人の子どもたちが巨大な石をバスに投げつけたのである。
2014-07-02 23:50:59そんなこんなで、今思うと信じられないのだが、戦場カメラマン並みと言えば言い過ぎとはいえ、死んでもおかしくない状況下で勉強してたと言っても過言ではない。でも、日本に戻ってきてあまりに平和なので(原発はさすがに勘弁願いたいが…)、イスラエルでの過酷な体験はすっかり忘れてしまっていた。
2014-07-02 23:56:54エルサレムのテロといえば、キング・ジョージ通りとベン・イェフダ通りの交差点の角にあるピザ屋が思い出される。この店が自爆テロのメッカ(笑)で、テロが起きる度に店は改装され、1、2週間も経つと再開する。それでしばらくするとまた次の爆破が起きる。結局、5回ぐらい爆破されたんちゃうかな。
2014-07-03 00:03:37このピザ屋の件では、さすがにイスラエル人のオプティミズムにあきれたが…。テロがあってもイスラエル人たちが何事もなかったかのように振る舞うのは、敵に弱みを見せないというシオニスト的エートスの顕れなのかと当時は思ったが、今振り返ると、単にテロが日常化して危機感が麻痺しただけだと思う。
2014-07-03 00:07:35平和ボケもあれば、戦争ボケもある。日本とイスラエルはこの点で好対照をなすアメリカの同盟国。集団的自衛権を行使して海外の戦争に参加するようになったら、日本もいくらかは「イスラエル化」するのは必至。「平和ボケ」を矯正するにはいい機会になるかもしれないが(笑)。
2014-07-03 00:11:50と、そんなすっかり忘却の彼方に沈んでいた記憶が、さっきのフランスでのテロ体験のツィートを見て、にわかに蘇ってきた。けれど、思い出しても当時の怖さの感覚がついてこないのは、やはりすでに滞在していた時点で麻痺してしまっていたからだろうか。それとも、日本があまりにも平和なためだろうか。
2014-07-03 00:24:38m.facebook.com/photo.php?fbid… 「自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。」 防空ミサイル部隊にいらした元自衛官、泥憲和さんの訴え。必読。
2014-07-02 22:57:17「他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。 当然ですよ。 だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。 イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか」元自衛官 泥憲和さん談
2014-07-03 00:29:34「軍隊はテロを防げないんです。 世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。 自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。 みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。 自衛隊はテロから市民を守れないんです。」
2014-07-03 00:30:36「テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。 だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。」
2014-07-03 00:33:31イスラエルという「ユダヤ人国家」が続く限り、イスラエルのユダヤ人は永久にテロの恐怖と格闘し続けなければならない運命にある。その行き着く先は、四国と同じくらいの狭い国土の文字通り隅々までが過剰で極端なセキュリティ・システムでがんじがらめになったハイパー武装国家である。
2014-07-03 00:37:37