人間の歴史の中の富士山─火山大好き火山たんが語る
- kisopsy_kun
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この後、午後8時くらいから今夜の連続ツイートをしていくんだよ~。内容は「火山と信仰について」みたいな感じを予定しているんだよ。
2014-07-22 19:42:04…よし、それじゃ今夜の連続ツイートを始めていくんだよ!今回は「火山と信仰について」みたいな感じで話していくんだよ~。
2014-07-22 20:03:54火山は、世界中で信仰の対象となってきたんだよね。その中には「高い山だから」という理由で信仰された火山もあるのだけれど、やっぱり火を噴く山は畏れられてきたんだよ。今日はまず、日本で古くから信仰されてきた富士山について話すね。
2014-07-22 20:07:59現在、富士山を祀っている代表的な神社は「富士山本宮浅間大社」だね。全国で1000を超えるとされる浅間神社の総本社だよ。この神社では主に木花咲耶姫という神様を祀っているんだよ。 pic.twitter.com/ge2PjuMP6U
2014-07-22 20:13:19木花咲耶姫さまは、富士山の神格化である浅間大神という別名があるんだよ。だから社名が浅間というんだよね。こういう事は割と知られているかな?けれど、木花咲耶姫が祀られるようになったのは江戸時代になってからの事なんだよね。
2014-07-22 20:16:18本宮浅間大社が現在の場所に移されたのは806年の事、それから数百年も経った頃に祭神が現在と同じ木花咲耶姫になったみたいなんだよ。どうしてそういう事になったのか、その辺りの事も今日は見ていくね。まずは、富士山が歴史にいつ頃くらいから登場するかを見ていくよ。
2014-07-22 20:19:09理科年表や気象庁活火山総覧を見てみると、富士山の最古の噴火の記録は781年と書かれているんだよ。この記述は朝廷のまとめた歴史書が元になっているんだよね。けれど、それ以外の書物などでは、それ以前の富士山の噴火の様子が記されているんだよ。
2014-07-22 20:23:44例えば、万葉集に何回も登場する歌人・柿本人麻呂の歌にこんなのがあるんだよ。 富士のねの 絶えぬ思ひを するからに 常盤に燃ゆる 身とぞなりぬる
2014-07-22 20:25:23この歌は、だいたい西暦700年頃に書かれたとされているんだよ。歌の意味の解釈をすると長くなっちゃうから今回は省かせてもらうけど…この歌の「常盤に燃ゆる身とぞなりぬる」は、富士が燃えているという事を前提に書かれているんだよね。
2014-07-22 20:27:43ここでの富士が燃えるとは噴火か或いは火口の光が雲に映る火映だと思われるんだよね。つまり、西暦700年頃には富士山は活動的で、それが歌詠みの人たちにも知られるくらい有名だったという事なんだよ。
2014-07-22 20:30:06それでも朝廷の歴史に出てこないって事は…被害になるくらいの噴火には至ってなかったという事なのかな?781年の噴火では、降灰で被害が出たという事が記されているんだよ。
2014-07-22 20:32:58その頃の富士山への信仰はどうだったかというと…当時は富知神社や現在の「富知六所浅間神社」、そして山宮浅間神社などがあったんだよ。この中でも、富知と書かれる系統の神様はフヂと読まれて、主に水の神様とされて崇められてきたんだよ。
2014-07-22 20:41:00富士山の近く、特にこれらの神社がある現在の富士宮の辺りは白糸の滝などで有名なように地下水が豊富なんだよね。これは、富士山に降った雨が溶岩流を伝わって流れてくるからで、まさに富士山からの恵みなんだよ。
2014-07-22 20:43:45それに対して、現在の山宮浅間神社の場所にあったのは、浅間系統の神様だよ。おそらく、昔はアサマと読んでいたんじゃないかな?群馬と長野の県境の浅間山や阿蘇山のように、アサマやアソという言葉は昔は火山という意味だったんじゃないかと考えられているんだよ。だからアサマの神は火山の神だね。
2014-07-22 20:46:57山宮浅間神社は名前の通り、富士山に近い場所にある神社なんだよ。この神社は、本殿が無く富士山に向かっての遥拝所があるというのが特徴なんだよね。 pic.twitter.com/dZ8ln3ApLy
2014-07-22 20:50:20このような神社の関係は、西暦800年からの延暦の噴火で一気に変わるんだよ。この噴火では、当時の幹線道路・東海道の一部だった足柄峠が火山灰などで埋まって使えなくなってしまったんだよね。
2014-07-22 20:53:20この時、朝廷には東海道を早く復旧させて交通を安定させる必要があったんだよ。その理由は、その頃に東北で行われていた蝦夷の討伐だよ。情報の伝達、物資や兵士の輸送に重要な幹線道路が塞がれてしまったんだよね。
2014-07-22 20:56:01この事に対しては、直接的には少し南にある箱根峠を整備する事で対処したわけなんだけど…当時、噴火っていうのは山の神の怒りだと考えられていたんだよ。また富士が怒って東海道が使えなくなってはいけない…そう考えた朝廷は、富士の神様をなだめようとするんだよ。
2014-07-22 20:58:47その方法は、水の神であるフヂ神ではなく、火の神であるアサマ神を大々的に祀る事。その為に、富知神社を元の場所から遷座させ、そこに山宮浅間神社からアサマ神に来てもらったんだよ。それが現在の富士山本宮浅間大社なんだよ。
2014-07-22 21:01:24ちなみに、この本宮浅間大社の造営は当時の平城天皇が命じて、征夷大将軍・坂上田村麻呂が行ったとされているんだよ。日本史で名前を聞いた事のある人は多いかな?蝦夷討伐のリーダーが行ったなんて、明らかに軍事的な背景があったと感じるよね。
2014-07-22 21:06:15しかも、浅間神を祀ったのは現在の静岡県である駿河国が初めで、この時点では現在の山梨である甲斐国は祀られていなかったか、あっても小規模だったんだよ。まずメインの幹線道路のある駿河国から…という事なんだろうと推測されるんだよ。
2014-07-22 21:10:57甲斐国では、864年からの貞観噴火で溶岩流によって被害を受けたんだよ。この溶岩流が、約1200年後の現在は青木ヶ原と呼ばれているんだよね。この時になって、朝廷は「甲斐国でも浅間神を祀れ」と命令するんだよ。
2014-07-22 21:13:42ちなみに、この噴火の記述を見ていると「溶岩流が駿河と甲斐の国境を超えた」と書かれているんだよね。噴火の始まった地点は現在では山梨県なんだけど、当時は富士北麓の何処かに甲斐国と駿河国の境があったと推測されるんだよ。
2014-07-22 21:16:36