三角絞め・フロントチョークなど、今ではポピュラーな技が「広まった」時期について
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今日・明日は第一次UWF無限大記念日から30周年の日。どうしても23日の藤原・前田組対タイガー・高田組の試合が話題になってしまうんだが、画期的だったのはむしろ2日目なんである。2日目のメインがどんなカードでどんな決まり手だったのか記憶してる人はそうそういないのではないだろうか(続
2014-07-23 06:11:26(続き)UWF無限大記念日2日目メインのカードと決まり手はこれである。「前田日明 ○(8:53 三角絞め)× フレンチ・マーテル」・・・「三角絞め」!! 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で三角絞めが高専柔道の専売特許のごとく描かれているために、U系のテクニックに(続く)
2014-07-23 06:12:07(続)あたかも三角絞めなどなかったように思われている。しかし実際には80年代半ばに出た「藤原喜明のスーパーテクニック」「佐山聡のシューティング入門」などの技術書にしっかり三角絞めは出てるんである。…大胆なことを言うならば「U系テクニックはキャッチレスリング(だけ)ではない」(続)
2014-07-23 06:13:04(続)んである。だってそうじゃないですか。そもそも1967年に日プロでカール・ゴッチがゴッチ教室を開くまで、日本のプロレスに関節技・絞め技がなかったのだろうか?そんなことはありえんでしょ。拙ブログにおいて3月に書いたことだが(d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/…)(続)
2014-07-23 06:14:15(続)前ツイートのリンク先を見てもらえばわかるが、木村政彦の愛弟子であった大坪飛車角が、もう一つのUのルーツであるところのアントニオ猪木に三角絞めなどのエッセンスを教えてるんである!(辰巳出版Gスピリッツスペシャル本「アントニオ猪木」での櫻井康雄氏証言)ゴッチが伝えたキャッチ(続
2014-07-23 06:15:50(続)レスリングは確かにU系技術の重要な要素であるが、決してそれだけがUのバックグラウンドではないのだ。さらにはそれだけではなく、80年代に藤原・佐山らがサンボから吸収して取り入れた技術もある。キャッチ至上主義者にはショッキングな話かもだがゴング格闘技07年1月号でサンビスト(続
2014-07-23 06:16:46麻生英孝氏が証言していることだが、藤原・佐山らが麻生氏と交流した時点ではヒザ十字などの足関節の技術の多くをU系の選手たちは知らなかったというのである!ヒザ十字固め、ヒザ靱帯固め、裏アキレス腱固めなどの技は麻生氏から藤原らによって取り入れられた技だったのだ(むろん、ブラジルから(続
2014-07-23 06:18:09(続)留学していたイワン・ゴメスによってもたらされたヒールホールド等の技もある)。「日プロ時代に大坪飛車角から猪木が教えられた高専柔道系を含む寝技」+「カール・ゴッチによってもたらされたキャッチアズキャッチキャン系のサブミッション」+「サンボなどからもたらされた足関節技」(続)
2014-07-23 06:18:48(続)それらを総合したのがまさにU系の技術であったのだ(そしてそれらを最終的にまとめ上げたであろう藤原喜明の労苦もむろん大きい)。それを学んだ前田日明が、無限大記念日の2日目メインという新しいスタイルの船出の舞台において、ぜひそれをプロレスファンの目に突きつけたい、自分たちが(続
2014-07-23 06:19:29(続)血と汗を流して学んできた技術を、このまま埋もれさせてなるものか、そう考えたのはごく自然なことであったのだろう。「前田日明 ○(8:53 三角絞め)× フレンチ・マーテル」という結果はまさにそこから生まれたのであり、当時25歳の前田日明の情熱の発露に他ならないのである。(続)
2014-07-23 06:20:14(続)・・・しかしその「三角絞め」というまさに木村政彦→大坪飛車角→アントニオ猪木→藤原喜明→前田日明という流れで伝えられた秘技は、なぜUWFの決め技から消えてしまったのか?いや、第一次Uの決め技として、前田他の選手らが何度かそれを用いている。だが新日Uターンを経た第二次Uに(続
2014-07-23 06:21:22(続)おいてそれがフイニッシュになったケースは僕の記憶する限り皆無である…要は、前田がそれを排除してしまったのだ。後楽園を聖地としていた第一次U時代と違い、武道館を、西武球場を、そして東京ドームやパブリックビューイングを舞台にせねばならぬバブリー第2次Uにおいて、苦悶する相手(続
2014-07-23 06:22:06(続)の表情が見えにくく動きも少ない三角絞めはふさわしくないものと判断されてしまったのだろう。格闘性よりも大衆への分かりやすさ。従来のプロレスから抜け出すはずであったUにおいて、前田はより大衆に分かりやすい技術を選択してしまったのだ。実際、第一次Uにくらべ第二次は寝技の(続)
2014-07-23 06:23:06(続)緻密さが無くなったというのは第一次からずっと見てきていたファンの一部が口にしていたと記憶する。大衆による理解を求めるあまり、前田は大事なものを見失い始めていたのだ。そしてそのツケがやがて10年後、他ならぬかつての盟友・佐山聡によって突きつけられる…それはまた後日。(この項了
2014-07-23 06:24:38追記。決してU系に対するゴッチさんの影響力をおとしめてるわけではないので(^^;)。影響力のパーセンテージからすれば、ゴッチさん40%、猪木さん30%、麻生氏らサンボ系20%、イワン・ゴメス10%だと思ってます(笑)。さらにそれをまとめあげて50%増しにしたのが藤原組長と(^^)
2014-07-23 06:25:15お、一段落したところで関連質問。自分でもあとで研究しようと思ってたけど、意外と以前からUWFは技を持っている中で「フロントチョーク」だけは体系に無かったんじゃないでしょうかね? VTが始まる前のU系試合で、決まり手がフロントチョークだったことあった?(続く)@fullkichi
2014-07-23 06:27:49というのは、初期は格闘技雑誌でも「フロント"ネックロック"」、首が極まる技、として扱われていたし、そういう用語だという記憶があります。試合が決まるにしても「首が極まる、折れるう!」とギブアップする、という感じの・・・ところが修斗で「小ノゲイラ」こと(続く)@fullkichi
2014-07-23 06:30:11@gryphonjapan 今出てる「UWF30年史」26ページに出てる山崎一夫が89年1月武道館大会でトレバー・パワー・クラークにフロントチョークを極めた試合がそれかと。もっとも当時は「フロントネックロック」と言ってたと思うので、厳密には違うのかもですが(^^;)。
2014-07-23 06:32:34(続く)ペケーニョが、朝日昇ほかをつぎつぎと「落とし」たんで、「ああ、これで頚動脈が絞まって普通の絞め技的に落ちるんだ・・・」と(笑)。それは実際に当時闘ってない観客の言い分で、選手のほうでは一般的な技だったのかな?どーなんでしょう。しかし(まだ続く)@fullkichi
2014-07-23 06:32:37その当事者で、まさに当時「日本で三本の指に入る寝技師」と自他共に認める朝日氏本人が「この技、決まらない技だというイメージや経験則があって、そのつもりで対処してたら落とされちゃった」と証言してたし「フロントチョークで人が落ちるなんて!」的な記事が格通に(続く)@fullkichi
2014-07-23 06:35:04あったという記憶があってね・・・と、ここで@fullkichi 氏から「89年に山崎がその技で勝っている」という調査結果を頂いた。/で、96年のVTJで、ヤマヨシがロープに腕をからめながら この技を使ってヒクソンを苦しめたでしょ。だけど、実は(続く)
2014-07-23 06:38:42ヤマヨシと前田は「ネックロック」の意識だったのかなあ・・・と。あれで絞めて落とすという戦略じゃなかったっぽいね、と。 今では最も成功率が高い組み技の一つであるフロントチョーク。形も単純ながら、VTが入るまでマイナー技だったとしたら不思議ですな・・・てな話。@fullkichi
2014-07-23 06:41:28@gryphonjapan 「フロントチョーク」=絞め技、「フロントネックロック」または「フロントフェイスロック」=首関節技、そのあたりがどう使い分けられてたかにもよりますよねえ。
2014-07-23 06:37:52@gryphonjapan いや、落とすつもりだったけど、脇にロープを抱えたままでは締めにくいというのを考えてなかったためじゃないかと(苦笑)。あれはロープ離して締め直さなきゃいけないんだけど、そうしたら逃げられる&ヒクソンの寝技への恐怖心から出来なかったのでは(^^;;;)。
2014-07-23 06:46:26