特別攻撃隊について想う
- Lynette_Ellils
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TLが「特攻」の話題で盛り上がっているので、関連して、ものすごく恐ろしい話をしてみます。これからする話は、歴史研究者はあまりしたことがないものです。なぜなら実現しなかったから。しかし計画はあった。日本が、軍が、何を考えていたかを示す、「特攻」の本質の話です。絶対に知っておくべき。
2014-08-03 23:24:47通常「特攻」というと、陸海軍による航空機に爆薬を搭載して突っ込むことを連想するでしょう。詳しい人は、舟艇による特攻もご存知かもしれない。フィリピン戦で始まった航空機による特攻は推進者みずからに「統率の外道」と自嘲されるとおり、軍事作戦上は正道にもとるものとされていました。
2014-08-03 23:29:33沖縄戦になると、数と兵力で圧倒的に米軍に劣る第32軍沖縄守備隊をフォローするのは特攻しかありませんでした。つまり「外道」だったはずのものが「正道」となったのです。この時点で日本がおこなっていた戦争は既に異常なものであることは(軍部にとってすら)明白でした。
2014-08-03 23:32:436月23日、沖縄の組織的な戦闘が終結。大本営が、いや日本が何を考えたかというと、「本土決戦」です。沖縄は「本土」じゃないんですね。とうとう米軍が日本「本土」に攻めてくる、その時に政府、軍の首脳がどう考えていたのか。むろん、勝てっこないことはまともに考えればすぐに分かることです。
2014-08-03 23:37:52政府首脳の中にも、戦争をやめて、降伏し、和平を結ぶべきだという勢力は存在しました。しかし、沖縄戦終結の昭和20年6月の時点では、彼らの主張は「たしかに和平を結ぶべきだが、こうやられっぱなしでは不利な講和となる。一泡ふかせてからにしよう」レベルの認識でしか浸透していませんでした。
2014-08-03 23:41:06では、当時、日本が、軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのでしょう。実はこれは大きな図書館に行けば誰でも確認できます。戦後、参謀などの軍の幹部たちが執筆した「戦史叢書」というシリーズがあります。その中の2冊「本土決戦準備」の九州編、関東編を読めばいい。
2014-08-03 23:45:21他にも色々ありますが、僕のおすすめは「GHQ歴史課陳述録」ですね。これは戦後GHQが旧日本軍の参謀クラス以上の軍人に聞き取りをしたもので、裁判等とは無関係のため、かなり率直な「本土決戦」計画の輪郭が語られています。まあ要は大きな書店や図書館に行けば確認できるってことです。
2014-08-03 23:48:54では、これらから見えてくる「本土決戦」計画とは・・・。まずその規模ですが、大きく分けて九州、東海〜関東です。米軍も前者にオリンピック作戦、後者にコロネット作戦と名付け(合わせてダウンフォール作戦)、日本はほぼそれに対応する準備を進めていたのです。
2014-08-03 23:52:17九州、そして東海や関東での「本土決戦」の内容はどのように想定されていたのか。結論からいうと、これらは【陸上における特攻】なのです。ちょっと理解できませんよね、いきなりは。これまで空・海でやっていた特攻を、陸上で、はるか巨大な規模で決行する。これが「本土決戦」計画の実相です。
2014-08-03 23:56:45やや込み入った話になりますが、大事なところなので、押さえてほしいポイントです。大本営の作戦には二種類ありました。【内部に引き込んでの持久戦】と【水際(沿岸部)での決戦】です。昭和19〜20年春くらいまではこの二つのどちらにすべきかいったりきたりするとイメージしてください。
2014-08-04 00:00:20二つに揺れ動いていたのが、沖縄敗戦もあり、昭和20年春以降、【水際(沿岸部)での決戦】に一気に傾斜します。大本営トップとそれを突き上げる過激派中堅将校たちの判断です。ところがね、沖縄戦を見れば水際決戦なんて無理に決まっているんですよ、米軍は空爆と艦砲射撃がありますから。
2014-08-04 00:05:09この頃は制空権も制海権もありません。水際に精鋭を固めて、上陸しようとする米軍を叩こうとしても、その前にボッコボコ、グッシャグシャにやられることは明白なんです。後ろの兵站運搬も絶たれるので、決戦部隊はまな板の鯉です。そんなことは日本軍のまともな参謀な誰だって分かるんですね。しかし。
2014-08-04 00:07:58大本営の判断はすでに常識を超越していました。沿岸部に集めた部隊はすぐにやられるだろう。そうしたら、間髪入れずに後続の部隊が押し寄せる。それもすぐにやられるだろう。次の部隊が押し寄せる。それらもすぐにやられる(繰り返し)。なんと、こんなものがトップの考えだったのです。いや、マジで。
2014-08-04 00:11:09当時の大本営関係者の証言をたどると、“空と海で特攻をやったんだから、陸上でもやるんだ”ってな言葉が出てきます。「いや、それ犬死にだから、せめて内部に引き込んで地勢を利用して持久・・・」なんて具申なんてムリな空気。だって上からガンガンそういう軟弱な姿勢は許さんという通知がくる。
2014-08-04 00:15:34さて、「本土決戦」において、日本が、軍が、陸上における特攻を敢行しようとしていたことを踏まえて、もうひとつ重大なポイントについて見てみましょう。このまるごと特攻戦において、民間人はどのように位置づけられていたのか?僕やあなたのおじいちゃん、ひいばあちゃんのことです。
2014-08-04 00:18:28米軍が上陸し、日本軍が迎え撃つ、おそらく世界史上最悪の凄惨な戦場が現出したであろう九州南部、相模湾、関東において、当然、沿岸部にはフツーに住民はいる訳です。疎開?していません。そのままでは巻き込まれます。では軍はどんな計画を持っていたのか?・・・答えは、何も考えていませんでした。
2014-08-04 00:22:59ここホントにびっくりするんですが、どの記録、どの証言を見ても、政府も軍も「本土決戦」で沿岸部を戦場と認識しておきながら、そこにいる住民、民衆については、「頭を悩ませた」とか「難問であった」とか言いつつ、なんの対処も講じておりません。要はただ巻き込まれて死ぬだけ。それだけなんです。
2014-08-04 00:27:08「本土決戦」計画については、まだまだトンデモない話がありまくるのですが、キリがないのでこの辺でしめましょう。【特攻は空や海だけではなかった。全国規模で陸上でも行われる予定だった】、【その時、住民は避難もできずただ巻き込まれて殲滅させられただろう】、この二点は押さえられたかと。
2014-08-04 00:30:44いま、日本で、戦争が起きたらどうなるのかをリアルに感じ考えられているのは、沖縄の人間だけでしょう。沖縄では、「本土」では起きなかった、殺し殺される戦争に直面し巻き込まれた。そのリアルから切り離されているから「特攻」が観念化できる。「本土」でもそれは起こりえたことを、知るべし。
2014-08-04 00:34:56twitter.com/unspiritualize… 日本の場合、島国ということもあり今も昔もいわゆるトータル・ナショナル・ディフェンスとは縁がなく、焦土戦術やゲリラ戦などによる持久もほぼ未経験である。焼け野原で良かったとまでは言わないが、本土決戦の犠牲は想像を絶する。
2014-08-04 00:42:29さすがKangKimさん、鋭い。関東に米軍が迫った時点で松代に大本営が移動し、沿岸部で凄まじい犠牲が出た後、上陸した米軍が内陸に侵攻します。実は、軍はここではゲリラ戦を想定していたとおぼしいのです。従って、想像を絶する住民被害が出ていたでしょう。@SleipnirAtNet
2014-08-04 00:47:55米軍上陸前に艦砲射撃と絨毯爆撃、あと2発ほどの地方工業都市への原爆投下…はあったでしょうね。 RT @SleipnirAtNet: twitter.com/unspiritualize… …焼け野原で良かったとまでは言わないが、本土決戦の犠牲は想像を絶する。
2014-08-04 00:50:27米側は米軍犠牲者増加を非常に恐れていましたから、原爆が2発では済まないという意見は実際に出ていましたね。@nuho 米軍上陸前に艦砲射撃と絨毯爆撃、あと2発ほどの地方工業都市への原爆投下…はあったでしょうね。@SleipnirAtNet
2014-08-04 00:54:16「特攻」を抽象的に美化できるのも(あるいは貶められるのも、だが)、それらを形而上のものとしてしかとらえられないからだ。「特攻」は「本土決戦」としてまさに自分たちの身の上に現前しえたものとして向き合わない限り(「私は生まれていなかったかも!」)、「戦争」はファンタジーにすぎない。
2014-08-04 01:01:24