- Eric_Ridel
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10年くらい前、アエラの記事で「明るい社内失業」というテーマを取材していたら「おれを取材してくれ」という社内のおっちゃんがたくさん名乗り出てきて楽しかったです。笑
2010-11-19 16:13:5210年くらい前、週刊朝日の編集長だった人が退任して、後任の編集長が経費節減のためにまず手を付けたのは、前任者が使っていた会社の携帯電話を取り上げることだった。笑
2010-11-19 16:15:10ある編集長が職を解かれ、まったく仕事のない(書く媒体のない)「編集委員」になった。そういう「編集委員」はよくいる。机もない。論説委員室があって、社説を書く、主幹が社説を書くための取材をする、ってはっきりした仕事がある「論説委員」と「編集委員」はまったく別種です。
2010-11-19 16:17:30社内失業した編集委員のおっちゃんが何をしたかというと、編集部をぐるぐる回って映画の試写会のはがきを集め(山のように来るので編集部の真ん中に積んである)映画をただで見まくることだった。
2010-11-19 16:21:57そういう映画の試写会の招待状を「女の子」にプレゼントするおじさん記者がけっこういて、映画会社がたまりかねて「入場は招待状受け取りのご本人に限る」って印刷するようになった。笑
2010-11-19 16:23:27映画の試写会って行ってみると、そういう「この人は記者じゃないな〜」っておねーちゃんがけっこういて微笑ましいです。ぼくはそういう「おっちゃん」を思い出します。笑
2010-11-19 16:24:27そういえば、官邸や外務省の機密費をもらっていた記者たちの話題はどうなったのかな。忘れちゃいかんすねえ。それに比べりゃ、映画の試写会なんてチンケなもんんだ。笑
2010-11-19 16:25:39マンションで首つり自殺した人のビデオを見た。憂鬱だった。ずっと、カメラに背を向けた彼の顔は見えない。ゆらゆら揺れている彼の体の向こうの、夜の空がものすごく深い漆黒に見えた。
2010-11-19 16:32:27夕刊が来た。「夕刊は記者にも読者にも有害」と初めて社内で言い出したのは入社5年目(1991年)だった。05年の「朝日ともあろうものが」にももう一度書いた。2010年、まだ夕刊を出している。
2010-11-19 16:38:51半年塾の先生でも道路の交通整理でもしてカネ稼いで、後の半年で取材活動する、なんて記者の労働形態もそろそろ現実になってきたのかもね。
2010-11-19 16:43:16記者ってもともと外で取材して歩いているのが仕事なんで、「モバイルジョブ」みたいなもんです。だから携帯電話や原稿のメール送信ができたときはうれしかった。
2010-11-19 16:58:15