『鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴』関連のイベント『倉石信乃×金村修』の対談のまとめ
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今日は鈴木清展関連イベント、倉石信乃×金村修対談(+増田玲)を聞きに行ってきた。いつもTwitterでは皆さんから情報得るばかりなので今日は珍しく此方から発信してみようかな、とりあえず家ついたら。
2010-11-19 22:18:10今日の対談での一つのキーワードは「両義性」だったと思う。つまり鈴木清は両義性を持った写真家だった、と。「スナップショッターとしての歩行者=能動的であると同時に、写真に対して盲目=引用などの受動性を持ち合わせていた写真家」(倉石)
2010-11-20 00:56:28↓「手の作家(手作りの写真集)である一方、眼の作家(展覧会やプリント)でもあった」(倉石) 「“炭鉱”を撮りつつもドキュメンタリーになりえない」(金村) 「コンポラ的白枠と“炭鉱”というトポスの両立」(倉石) 緻密な設計図と“破壊”の展覧会場 などなど
2010-11-20 00:56:37↓このような両義性――矛盾するものを否定ではなく肯定して受け入れていくのが鈴木清のスタイル。そのスタイル故の語りにくさ/語られにくさが、鈴木清にはあるとの指摘も。また、同時代の写真家(プロヴォーク・コンポラ写真家)との関わりについては、「良い意味でも悪い意味でも孤立してた」(金村
2010-11-20 00:56:55↓鈴木清が他者性や受動性(テクストや映像の引用)によって自身の作品を広げていた事に関して、標識の写真を例に森山大道との比較を倉石さんがしていた「大道がメディア論的複写だったのに対して、鈴木は自伝性の裏打、私小説であると同時にフィクションでもある(ここでも両義性)」
2010-11-20 00:57:08↓金村修に言わせるとテクストの引用については「自分の物は自分の物、他人の物も自分の物」(笑い)また、実際に写真学校で鈴木から教えを受けた金村が「生徒の作品を講評するのではなく自身の作品を通して学ばされた」というように作家的な教え方をする人だったらしい。
2010-11-20 00:57:18↓増田さんが『漸進快楽写真家』から「写真を失敗する権利」(僕自身は「決定的瞬間」の否定と解釈してるんだけど、ここでは広い意味での失敗について)を引いて、失敗も鈴木から教わったのかという質問に対して「現像温度を聞いたらそんなのテキトーにやれと言われた」(金村)
2010-11-20 00:57:29↓鈴木清の破壊(100℃フィル現、ギャラリー内に池を作ってそこに展示etc)の側面は、創造の基礎という土台があるからこそできたこと、とZEIT-FOTO SALONでの額装で横並びの(普通の)展示の完成度の高さから金村が指摘。なるほどそれは今回の近美の展示からもわかる!
2010-11-20 00:57:38↓最後に「何を撮った写真家だったのか?」という増田さんの質問に対して「何でも入れられる洗面器」(金村)これはなかなか的を射た発言だと思った。ちなみに今日の金村さんはお酒飲んでませんでした。
2010-11-20 00:57:52まぁあと倉石さんの興味深い話――今日の芸術におけるモラトリアムとしての「模型」と「写真の確定性を引き受けるための鈴木清のマケット」の関連の話と、何を撮った写真家?に対する倉石さんの答え――はうまくまとめられないので他の人に任せます。。
2010-11-20 01:08:50