戦後の東アジア情勢から眺めなおす日本のアニメ史

このくらい大胆な発想をしないと「アニメ学」は生まれない。
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It happens sometimes @ElementaryGard

韓国も台湾も、アニメ産業は国策として始まった。独裁体制だからこそ可能だった。文化ではなく産業として。日本はそうではなかった。

2014-08-19 13:33:03
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なにしろ台湾では蒋介石のもと、戒厳令が40年間続いた。蒋は1975年にようやく亡くなった。

2014-08-19 13:34:52
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三原龍太郎のクールジャパン論は胡散臭い。日本のおたく文化が世界で人気となっている今経済産業省がセンターとなってソフトパワーとして活用しようとあっけらかんと言い放つ。それってひとが長年かけて開拓した田畑に「これからは我々が指導してあげよう」と口を出すのとどう違う。

2014-08-19 13:38:56
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日本のおたく文化は、極論するならば国の失政から生まれた。それを今度は国の宝と称える神経。いかにもおたくあがりの官僚男子の無邪気なファンタジー。

2014-08-19 13:40:21
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台湾は1971年に国連を追い出された。「常任理事国を下ろされるのなら脱退する!」と。アメリカさまが大陸中国とは対立ではなく握手に方針転換したから。ベトナム戦争を終わらせるには大陸中国と親睦を図ってベトナムを和平交渉の席につかせる必要があったから。いわゆるキッシンジャー外交。

2014-08-19 13:51:40
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といって軍事的理由で台湾とアメリカの関係は衰えず、むしろ太くなった。台湾でのアニメ産業は国策だった。おそらくこのアメリカとのパイプが関係している。70年代半ばにハナ=バーベラ社に送られた台湾人アニメーターは政府の息がかかっていた。

2014-08-19 13:53:22
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韓国でのアニメ産業の発達も国策だった。きっかけは1965年の日韓基本条約の締結。ベトナム戦争の拡大でアメリカが日本と韓国を軍事的拠点として重要視。それで両国の国交回復を強引に促し、日本は当時の国家予算4年分の金を支払わされた。これが韓国の経済躍進の理由。

2014-08-19 13:56:02
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条約が結ばれ、文化交流事業として日本のアニメ関係者が韓国にわたってテレビアニメの制作を指導する企画がスタート。三菱電機が背後にあった。要するに韓国下請けの先駆け。そして生まれたのが『黄金バット』そして『妖怪人間ベム』。

2014-08-19 13:57:42
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日本が台湾と国交回復したのは1952年。例のサンフランシスコ平和条約を受けて。実はその数年前から日本からは旧軍人が台湾にわたって台湾軍を指導していた。大陸中国との軍事衝突(1958年)のとき、この旧日本軍人たちが台湾国軍を指導し大陸中国軍を撃退した。

2014-08-19 14:02:44
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この軍事顧問団「白団(ぱいだん)」は1969年まで活動。興味深い頃にその頃、日本の東京ムービーからアニメーター大塚康生が台湾にわたりアニメーターの育成にあたった。同社の下請けスタジオを育てるのが狙いだった。大塚は中国語ができることもあって慕われた。

2014-08-19 14:05:55
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東京ムービーから他にもひとが指導に出張。そのひとりは、後に故・近藤喜文(『耳すま』の監督)の奥方となる女性。後に『カリ城』の色指定でも活躍。近藤とともに映産労組合の組合員。夫は終生共産党員だったが彼女はどうだった?

2014-08-19 14:09:45
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アメリカの東アジア戦略、それに日本による旧植民地・勢力圏の経済的抱き込み戦略の折り重なるところに、アニメが滑り込んだ。

2014-08-19 14:11:12
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日中戦争は日本とアメリカの戦争でもあった。大日本帝国は張作霖を支援し、アメリカは蒋介石を支援。次のシナの王の候補者をそれぞれ頂いた。が日本は張を見限って爆殺。その後日本そのものが蒋それに毛沢東軍と衝突。蒋と毛は日本という共通の敵を得たことで共同戦線を成立させた。

2014-08-19 14:40:57
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日本は連合国側に降伏を宣言。自動的に日中戦争も終わった。これで蒋と毛は共通の敵を失くし、改めて衝突。アメリカは蒋を支援したが1949年にははっきりと劣勢に立たされ台湾に撤退。その際に北京の紫禁城に残された宝物をごっそり台湾に持っていった。

2014-08-19 14:42:52
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空っぽの紫禁城に毛沢東が足を踏み入れ、中華人民共和国の建国を宣言したのが1949年10月。ラストエンペラー溥儀が去って後長く空白だった中国皇帝の座がこうしてようやく埋められた。

2014-08-19 14:44:35
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その数か月前、古橋廣之進ら日本水泳界の精鋭チームがロサンゼルスに飛んだ。出発前にマッカーサー元帥への拝謁を許されるという栄誉つきで。そして地元の水泳大会で古橋が世界記録をいくつも塗り替え「フジヤマのトビウオ」と称えられた。

2014-08-19 14:47:32
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このとき同じ飛行機に乗っていたのが、映画会社大映の社長・永田雅一。スーパーとは無関係ですよ念のため。彼はもともと保守系政治家と付き合いが広くて、その縁でマッカーサーとも面識があった。映画会社の社長という肩書が元帥には信用された節も。

2014-08-19 14:50:37
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ロスに渡った永田は古橋の活躍を客席から応援。一方でハリウッド社交界にデビューし、ウォルト・ディズニーの兄ロイともある有力日系人の紹介で親交を結んだ。これがディズニー映画の日本での独占的配給の話に至った。

2014-08-19 14:52:43
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アメリカがシナの次の王と期待し支援してきた蒋介石が台湾に逃げ込み、大陸中国は毛すなわち共産勢力のものとなった。アメリカとしてはフィリピン、台湾、そして日本による大陸囲い込みに戦略を切り替えるしかなくなった。

2014-08-19 14:54:26
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古橋や永田のアメリカデビューは、こうしたアメリカの東アジア戦略の変更と無関係ではなかった、と思います。

2014-08-19 14:55:15
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永田はもともと占領軍の覚えが良かった。アメリカから来日したデトロイト銀行頭取ジョゼフ・ドッジを京都で直々に接待し、その縁で渡米で各地の経済人にウエルカムされた。ロイそしてウォルト・ディズニーとも親交を結び、これがきっかけでキャラクタービジネスの方法論が日本に入ってきた。

2014-08-19 14:58:56
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ここから先の話はこれまで何度も語ったとおりです。あ、渡米の土産話はこんな風。永田がふきまくっています。blog.livedoor.jp/hayashida2007-…

2014-08-19 15:00:27
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kumikaoru.otaden.jp/e220711.html 永田とディズニーの関係がきっかけで、日本でどうキャラクターライセンスの考え方が「発見」されていったのかの概略。

2014-08-19 15:02:35
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アメリカを慣性系にして眺めなおすんですよ。そうすると日本アニメ史が全面書き換えできるのです。

2014-08-19 15:03:44