武力以外の安全保障技術

安全保障についての議論が昨今かまびすしいが、武力だけを安全保障技術だとみなす風潮が強い。しかし武力は極力使用すべきでない最終手段(しかも悪手)であり、その前に様々な優れた安全保障技術がある。それをまとめてみた。
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shinshinohara @ShinShinohara

安全保障の手段は昨今、軍事力だけのように考えられている。しかし手段は古来いろいろある。歴史書を紐解けばかなりバラエティに富む手段を見つけられる。正々堂々としたもの、美しいもの、軟弱とも思えるもの、様々だ。軍事力はそのうちの一つでしかない。だから孫子でも戦争は極力避けるものとした。

2014-08-15 23:12:41
shinshinohara @ShinShinohara

ガンジーの非暴力・非服従という手段。すでに軍事的にイギリスに支配されていた状況下では軍事力で対抗すべくもなかったが、非暴力・非服従は実に有効に機能し、結果的に独立を勝ち得る結果となった。ガンジーのこの戦術は、「イワンのばか」をヒントにしたのであろうか、と思えるくらいそっくり。

2014-08-16 06:21:47
shinshinohara @ShinShinohara

トルストイ「イワンのばか」では、国中がイワンの影響を受けて木訥に農業にいそしむように。無抵抗のこの国に目を付けた隣国、略奪と暴虐の限りを尽くした。しかしイワンと同様ばかになった国民は「何でそんな事するの?」と嘆くだけ。やがて恥ずかしくなった兵隊は戦意を失い、撤退した。

2014-08-16 06:25:19
shinshinohara @ShinShinohara

ガンジーは「イワンのばか」を意識的に戦術として採用した。国の独立を回復するためとはいえ、暴力には訴えない。しかし暴力に服従もしない。インド人の見せる大いなる「徳」とイギリスの強欲。イギリス政府が「恥ずかしくなり」、撤退を余儀なくされることを狙った。その狙い通りの結果となった。

2014-08-16 06:29:34
shinshinohara @ShinShinohara

南アフリカのマンデラも、ガンジー主義を踏襲した。かつては武闘派だった彼は、投獄中に白人も憐憫を知り、恥を知る人間だと気づいた。ならばその道徳心に訴えるガンジーの戦術が有効だと気づき、やがて成功を収めた。「人心を得る」は安全保障の極めて有効な手段。

2014-08-16 06:35:14
shinshinohara @ShinShinohara

アウンサン・スーチーは穏健派だが不屈の精神の持ち主として海外に人気が高く、政府も無視できなかった。せいぜいなんきんするのが関の山、殺すことはできなかった。無法者に思える政府でさえ、人心を得たものに危害を加えることには慎重にならざるを得ない。人心は最大の安全保障。

2014-08-16 06:38:04
shinshinohara @ShinShinohara

暴かれていない墓はないと言われる中国において、この人の墓だけは盗掘するわけにいかないと1800年も無事に済んだ墓がある。劉備玄徳の墓。人民を愛し、貧しいものにも優しく接した彼の人徳は、悪逆非道の盗賊さえ墓荒らしを躊躇わせた。人心を得ることの力。

2014-08-16 06:41:38
shinshinohara @ShinShinohara

晋の文公は何十年もの流浪の末、60歳を過ぎてから晋の君主についた苦労人。流浪の中で世話になった人に「もしあなたと戦うことがあったら三舎だけ軍を引きましょう」と約束。流浪人の戯れ言と本気にされなかったが、君主となって実行。それにより人心を得、覇者として名を馳せた。

2014-08-16 06:54:41
shinshinohara @ShinShinohara

妲己の魅力にとりつかれた殷の紂王。油を塗った銅柱を渡らせ、炎の中へ滑り落ちる様をみて笑い興じ、人心を失う中で、週の文王は徳を積み、人心を得た。軍事力では圧倒的だったはずの紂王は最終的に負けてしまう。人心は武力を超えて勝敗を決する。

2014-08-16 07:00:48
shinshinohara @ShinShinohara

劉邦はろくすっぽ勝った試しのない男であった。 しかし彼には蕭何という優秀な番頭がいた。劉邦が何度負けて帰ってきても食糧を潤沢に供給し、支え続けた。その結果、「劉邦のところなら食える」と、負ける度に大きくなるという特異な現象が起き、ついに天下を取った。

2014-08-16 07:05:25
shinshinohara @ShinShinohara

これに対して項羽は極めて強力な軍事力を誇りながら人心を少しずつ失い、ついに「四面楚歌」に陥った。勝つ度に人心を失った項羽、負ける度に人心を集めた劉邦。最終的に勝ったのは、人心を集めた劉邦だった。

2014-08-16 07:08:11
shinshinohara @ShinShinohara

徳川家康も、目覚ましい勝ち方をしたことがなく、どちらかというと負けっぷりの目覚ましい武将であった。しかし何度負けても支え続けてくれる家臣団のおかげで勢力を次第に拡張、秀吉が天下を取ったときにはいつの間にか最大の領土を確保し、最終的に関ヶ原で勝利した。家臣の人心を得た結果。

2014-08-16 07:11:36
shinshinohara @ShinShinohara

一時的な勝利は武力によって定まる。しかし長期的視点でみた勝者は、人心を得たかどうかで決まる。武力だけに依存し人心を失うものは、春秋戦国時代をみてもことごとく滅亡している。人心は最大の安全保障だといえる。

2014-08-16 07:15:55