- southmtmonk
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今年はアイヌの歴史、文化を勉強する!と、ここでツイートして早8か月。自分のことをする合間に、本を読み、人に聞き、儀式にもおじゃまさせて頂き、いろいろ学んできた。そして、興味は他の北方先住民の文化にまで広がっていってる。確実に自分自身の生涯を通して学ぶことになってしまった気がする。
2014-08-30 21:41:11僕のツイートを、ずぅ~~~っと遡れば、わかります。ちゃんと思い出せないけど、2011年の4月あたり。 → 「なぜアイヌに興味をもたれたのですか?」
2014-08-30 22:26:132011/4 アイヌのことばについて
子供の頃、なんとなく『スピカ』はアイヌ語だと思っていた。高校の頃に調べたらラテン語で、なんかちょっとがっかりしたのを思い出した。アイヌ語の響きが美しくて、いろいろ調べたのもその頃だ。小学校3年の時に母がくれた『コタンの口笛』は、今も子ども文学の中で一番好きな気がする。
2011-04-20 03:16:12今でも『コタンの口笛』を思い出すと、胸が苦しくなったり、元気がでたり、明るい陽の光や月夜の光を感じたくなったり、知らない言葉を覚えたくなったり、カーテンの色や壁紙の色を考えてみたり、文章が書きたくなったり、絵が描きたくなったりする。
2011-04-20 03:24:51「ならさん!ぐなぃーぐもにー。スピカはアイヌ語じゃなくて残念だったけど「かわいい」は「ピリカ」っていうんだってw 響きがスピカっぽい。」 ← 常識じゃ!この歌を知っておるか?♪ピリ~カ、ピリカ、タント、シリ、ピリカ、イナン、クル、ピリカ、ヌンケ、クスネ~、ヌンケ、クスネ~♪
2011-04-20 07:02:14アイヌ語で好きな言葉はいろいろあるけれど、あんまり知られてなくて、でもみんな知ってる言葉だと『ラッコ』と『トナカイ』。
2011-04-20 04:00:34唐突に思い出すアイヌ語シリーズ・・・ワッカナイとかのナイは沢。弘前にもサンピナイ、トコシナイという地名がある。
2011-05-04 03:52:44トコシナイ(十腰内)は「外れの沢(小川)」サンピナイ(小比内)は、わからないけどヒナイ(比内)は「小石・沢」。ワッカナイはわっかんない~w → 「そうなると…ワッカとサンピとトコシが気になる」
2011-05-04 04:17:46Wikiより → 「稚内とはアイヌ語のヤムワッカナイ(yamwakkanay)からきており、「冷たい水の流れる沢」という意味である。」
2011-05-04 04:18:51実家の方では猫のことを『ちゃぺ』と総称するのだけれども、『ちゃぺ』はアイヌ語で『猫』です。『ししゃも』や『となかい』は標準語になっているけれど、『ちゃぺ』は方言で残っている。小学校の頃、家で飼ってた猫は『ちゃこ』であった・・・最初は『ちゃぺこ』だったような・・・
2013-12-23 21:47:472013/12 父方の祖父とアイヌコミュニティーの同化について
父、祖父が神主をしていた古い神社があって、父は僕が生まれる頃に辞めて公務員になったのだけれど、その神社の元々の人は、江戸時代に津軽藩(当時、弘前藩)で津軽地方のアイヌコミュニティーを同化政策によって和風に変えていった人であった。そのため変えられる以前のものに興味があったのだ。
2013-12-23 21:28:56昨夜、ジャパングラフを読みふけったりしてたのは、片付け途中によくある脱線現象。でも、さらっとだけど、いろんな本を読み返した。原発関係の本もあるしアイヌの歴史文化関係のものなど。アイヌ文化には元々興味があって独学していたのだけれど、もっと詳しく学びたくなった。
2013-12-23 21:23:14実家で暮らしていた頃、中学の正門を右に出て、すぐにまた右に曲がったあたりに『東北アイヌ(人、ついたかも)協会』という表札を掲げた家があって、確かそこの子は同じ学年だったのだけれど、クラスも違い口をきいたことはなかった。だいぶ前に帰省した時、訪ねてみたが区画整理されてしまっていた。
2013-12-23 21:53:36かつてはアイヌ語ではなく『蝦夷言葉』と呼んでいたそうで、日本語とはまったく違う言語です。ヨーロッパには、アイヌ人がヨーロッパ人の起源に関係していると思われた時代があって、多くのアイヌ研究がなされました。僕はアイヌやネイティブアメリカンの信仰、文化をかなりレスペクトしています。
2013-12-28 05:05:142014/1 樺太の終戦について
自分が生まれた時、父方の祖父母は既に亡くなっていて、祖父母の思い出と言えば母方の『じっちゃ』と『あば(ばっちゃ)』のことになる。じっちゃは千島列島や樺太でも働いた(主に炭鉱)人で、いろんな話を聞いておけば良かったと悔やんでいる。
2014-01-03 15:25:16ネット検索しても出てこないので、ちょっと自信が無いけれど、千島(列島)の英語名のクリル(諸島)はロシア語でアイヌのことだった気がする。だとしたら北方領土のみならず千島列島(と、樺太もかな?)は元々はアイヌ民族のものかもしれない。自分にとって今年はアイヌ文化を学ぶ年に決めました。
2014-01-03 15:30:11樺太や千島には憧れがあるけれど、終戦直後の話は悲しいことばかりだ。地上戦は沖縄だけではない。当時は日本領だった樺太でも対ソ連と行われた(日ソ不可侵条約を破棄して進軍してきたソ連軍と終戦後数日間も!)。沖縄のように一般住民の自決もあったが、何故か語られない。
2014-01-03 18:15:23戦争はそこで暮らす人々を滅茶苦茶にしてしまう。国境周辺に住む人たちには、歴史に翻弄された話が多い。小学校の時に習った『最後の授業』というアルザス・ロレーヌ地方の話しを思い出している。ドイツに占領された村の小学校の話。「今日はフランス語で行う最後の授業です。」と始まる・・・。
2014-01-03 18:20:58沖縄のことに比べて樺太でのことがあまり語られなかったのは、戦後の状況からみてソ連の圧力があったからだと思うのだが、戦後そこが日本ではなくなったというのが大きいと思う。興味のある人は調べてみればわかるけど、郵便(逓信)局の女子職員、病院の看護婦さんたちの自決などは資料があります。
2014-01-03 23:46:53