責任・他人への呪詛・親

連ツイをまとめました。結城メルマガ http://www.hyuki.com/mm/
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結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

木曜日なので、久しぶりに連ツイをしようと思います。とはいっても、何か考えていたテーマがあるわけではなくて、いつも通りふわふわした話になると思いますけれど。

2014-09-04 18:25:09
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

むかしむかし、いつごろのことだったか「ネクラ」「ネアカ」というキーワードが流行したことがありました。結城はこのキーワードがすきじゃなかった。あまりにも単純な量子化だなあと思って。私の目に「真面目でこつこつやるタイプの人」がある局面で「ネクラ」とラベリングされるのに憤ったことも。

2014-09-04 18:27:11
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

逆に(良いというニュアンスで)「ネアカ」と呼ばれていた人に対して、結城は(この人は何も考えていないだけでは)と思うこともよくありました。ということで、まあ、自分自身を「ネクラ」「ネアカ」で分類するとしたら「ネクラ」に入るので、どちらかといえば「ネクラ」に好意的なスタンスでした。

2014-09-04 18:28:50
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

よい書き手は読者から学ぶ(文章を書く心がけ) note.mu/hyuki/n/n22c40… [自動投稿]

2014-09-04 18:30:02
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

結城は基本的に、男女問わず真面目な人、コツコツ進む人は好きです。少しくらい不器用でも、何か自分のやりたいことを進めていくようなタイプが好み。多少KYでもかまわない。「これをやっているのが私です」というような人が好きです(善し悪しではなく好みの問題として)。

2014-09-04 18:30:49
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

小賢しく立ち回ってうまいことやる人よりは、ちょっとしたことにおたおたしたり何もないところでつまずいて自己嫌悪に陥る人の方に荷担したい(その人がまっすぐな志をもっているなら)。

2014-09-04 18:32:24
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

まあ、でも、そんなことは結城の個人的な好みの話なので、当人にとってはどうでもいい話ですよね。

2014-09-04 18:33:09
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

結城はよく「保証」や「責任」について思います。日常的にときどき耳にしますよね、「保証する」とか「責任を取る」とかいう表現。結城はよく、あれってどういう意味を持つのかな、と思います。あなたは思いませんか? 会社で仕事をして、失敗して、「責任を取って」辞める人がいます。それって、

2014-09-04 18:34:51
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

それって、「辞める」という行為で「責任を取った」ことになるのだろうか? このことは、結城が小学生の頃からの疑問でした。そしていまでも解決していない疑問です。この「責任」という言葉の意味が50過ぎた身にもよくわからない。責任を取る、という言葉と、辞める、が結びつかない。

2014-09-04 18:36:26
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

「責任を取る」で、結城がよく理解できるのは、たとえば身寄りがない若者と何らかの関わりがあって、「責任を取って」経済的な支援を30年くらい続ける。それは、責任を取る、という表現にふさわしい行為のように感じる。

2014-09-04 18:38:13
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

とツイートして気付いたのですが、結城にとって「責任」というのは「継続」に非常に関連が深い言葉なのだということ。「辞めて終わり」や「○○して終わり」というのは責任という表現となじまない。「ずっと〜し続ける」は責任になじむ。そんな語感を持っている。

2014-09-04 18:39:55
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

話は変わる。前も連ツイしたことがあるけれど、実はほんとうの意味で「責任」は誰も取れないという話題。

2014-09-04 18:40:54
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

たとえば……そうだなあ。結城が比較的理解できる話題としては、あるIT会社に新卒の若者が入社してきた、という状況を考えましょう。その若者は先輩から「これからは○○の時代だから、これを習得せよ」と言われる。素直な若者は熱心にそれを学ぶ。何年も掛けて。がんばって。でも、

2014-09-04 18:43:04
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

でも、その若者はあるとき「はっ」と気付きます。この技術はこの会社固有のものであった。もしもこの会社がつぶれたら、自分の学んだことは無に帰するのではないか?そしてさらに気付いたこと。自分に「○○の時代だよ」と言った先輩はすでにこの会社を辞めてるじゃん!えっと、自分はどうする?

2014-09-04 18:44:44
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

このような状況で、若者は自分にしょうもない情報を吹き込んだ先輩(元)社員に「責任」は問えない。問うたとしても、(元)社員は何もできない。つまり、自分がこれからどういうキャリアパスを描くかというのは、(誰が何とアドバイスしようとも)《自己責任》なのだということ。

2014-09-04 18:46:31
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

自己責任。誰かがあなたにいう。「こうせよ、ああせよ、こうするな、ああするな、この人を信じろ、この人を信じるな」…この言葉に従うかどうかは、あなたの個人的な判断(そして自由)なのだ。

2014-09-04 18:47:35
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

従ってもいい。従わなくてもいい。どちらでも自由。従うべきか、従わないべきか、それは場合によるし、何が正解かは誰にもわからない。

2014-09-04 18:48:25
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

まちがったアドバイスを聞いたけれど、めぐりめぐってうまくいくこともある。逆にただしいアドバイスを聞いたけれど、結果的にその人を破滅に導くこともある。その判断は誰にもできない。

2014-09-04 18:49:27
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

だから、とてもシニカルに聞こえるかもしれないけれど、自分の生き方を決めるのは他者まかせではいけない。「すべて自己責任なんだ」と覚悟して進まなければならない。さもないと、

2014-09-04 18:50:40
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

さもないと「あの人が言ったからこうなった」「あの人の言うとおりするべきじゃなかった」「あの人が私の人生をだめにした」「あの人が」「あの人が」「あの人が」……という繰り言で、残りの人生を送ることになる。

2014-09-04 18:51:43
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

そして、悲しいことに、そういう人は世の中にとても多い。自分の(貴重な)残り時間を、《他人への呪詛》で埋め尽くそうとしている人たちである。

2014-09-04 18:52:35
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

話は変わる。世の中の人を見ていると(結城の周りの狭い世界でさえ)さまざまな人がいる。誰もがうらやむような環境(人間的・経済的…)に居ながら、朝から晩まで愚痴ばかり言っている人もいる。逆に「私だったら一日でも耐えられない」というような逆境の中で笑顔を絶やさずにいきいきしている人も。

2014-09-04 18:55:05
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

結城はいつも不思議に思っている。結城はクリスチャンだから、キリストを信じている人はみんな生き生きしている……と言いたいけれど、残念ながらそうではないようだ。教会に通っていても不満たらたらな人はたくさんいるし、牧師先生や周りの人に毒吐いている信者は存在する(多くはないが)。

2014-09-04 18:56:39
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

でも思うのは、「自分」ばかりを見ている人は多くの場合(すべてではない)、すごく苦しそうである。自分は綺麗か。自分は能力高いか。自分はかっこいいか。自分はあいつより金持ちか。自分はモテるか。自分は自分は自分は自分は自分は自分は……という人ははためにも苦しそうである。

2014-09-04 18:58:24
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

軽やかな人もいる。クリスチャンかどうかとは関係なく「自分を忘れているような人」だ。(自分以外の)何かに夢中になっている。趣味でも、異性でも、仕事でも、何でもいいけれど、夢中になっている。ある意味では「無私」になっているのかもしれない。そういう人は軽やかに見える。

2014-09-04 19:00:33