初期キリスト教における転生観の由来~ユダヤ教における伝統と古代エジプトにおける転生観の変質についての試論
さっきの点について昔聖書研究会で議論したが、正統教義の側に立つ月本先生に剣もほろろに否定された覚えがある。ヨハネ福音書9.1「この人が生まれつき盲人なのはこの人が罪を犯したためなのですか」という弟子の問いは「前世で罪を犯した」という転生観が前提の問いではないかと言った覚えがある。
2014-09-12 10:54:31モーセはエジプトの神官家系説、エジプトの神官も一緒に出エジプトした説、言語化される以前の認識レベルでエジプトの死生観を共有していた人々が出エジプトした説、などをとれば、イスラエルの伝統に輪廻観がない、とは言えないのではないか説
2014-09-12 16:07:46この説もあながち無視できないものがあると思います。 RT @bcphysis イスラエルの伝統に輪廻観がない、とは言えないのではないか説
2014-09-12 17:47:22ただ、エジプトの信仰では、肉体にまた魂が戻ってくるので、いわゆる輪廻とは信仰形態が違う。@bcphysis
2014-09-12 21:15:50RTありがとうございました。これはこれで全くその通りと思います。この件について、この後少々tweetを続けてみます @komorikentarou ただ、エジプトの信仰では、肉体にまた魂が戻ってくるので、いわゆる輪廻とは信仰形態が違う。
2014-09-13 01:15:36小森健太朗さん @komorikentarou が呟かれていた、以下について、この後、適当な可能性を書き連ねてみます。/「ヨハネ福音書9.1「この人が生まれつき盲人なのはこの人が罪を犯したためなのですか」という弟子の問いは「前世で罪を犯した」という転生観が前提の問いではないか」
2014-09-13 01:18:12立証責任も実証可能性も無いですし参考文献も特に挙げないのでそのまま鵜呑みにはしないようご留意を。さて、まず、これについて、「そもそもモーセがエジプト出身なので、出エジプト関連で、転生という概念はイスラエルの伝統として抱え込まれているであろう」という仮説を前提としておきます
2014-09-13 01:21:42次の前提としては、3つの不可避な現象を挙げておきます。「時空間の隔たりによる情報伝達率の低下」と、「時間経過にともなう言語の変化」、また、「多種多様な文化との混淆による各種様式の変化」
2014-09-13 01:24:52歴史的事実としての情報は、「ヨハネ福音書」は早くても西暦100年以後の成立であろうとされており、モーセが出エジプトをしてから1,000年超の時間が経過していること、また、古代エジプトにおいても死生観が意図的に変更を加えられたことがありました(イクナアトンさんの改革)
2014-09-13 01:29:09さて、仮説に対する一つの疑問は、「エジプトの転生はもっと物質的なところに依存しており、それはミイラなど、戻ってくるべき器や、その人の名前をしっかり残しておくことからも明らかである。生まれつき盲人、というと、赤児からの再生が前提とされるのではないか」
2014-09-13 01:30:58さあそれでは、最初に挙げた前提をもとに、疑問に対する可能性を並べてみましょう。何度も言いますが無責任です。その1、モーセあるいはその従者らの転生観は、エジプト伝統の物質的転生観ではなく、当地における異端的転生観である精神的なそれであった
2014-09-13 01:33:17エジプトにおける正統派であるなら出エジプトなんてしなくていいわけで、モーセらは、アメン=ラーではなくアトンを奉ずる異端だった、というのは、一神教、という点を持ち出すまでもなく分かりやすい構図です。転生観もそちらに引きずられていた可能性はあるのではないでしょうか
2014-09-13 01:35:10その2、長い年月を経ることで、物質的転生観が霊魂的転生観へと変化していった。これはかなりヴァリエーションがあるのだと思っていますし、複合的である可能性も十分に高いでしょう。要因を並べ立ててみます。言い伝えが変化した(経年による、または、土地移動にともなう環境の変化による)
2014-09-13 01:38:30言い伝えは変化しなかった(が、同じ語を使っていても、意味・用法が変化することにおいて意味が変わった:シニフィアン=シニフィエのディレンマ) 東方との接触による変化(アッシリア、アケメネス朝、アルサケス朝、インド)
2014-09-13 01:41:56特にインドとの影響っていうのは、少し留保すべきところがあると思っています。分かりやすく飛びつくなら、アレクサンドロスの遠征以後によってガンダーラ美術が成立したかのように、そのタイミングでインドの輪廻転生観が西方へと流れ出た、という見方があります
2014-09-13 01:43:57が、そもそも、インドにおいて輪廻の考えが出てきたのは、ブラーフマナ文献群においてであり、これはアレクサンドロスより数百年も前、ブッダよりも前なのですね
2014-09-13 01:47:36とすると、「インド・ヨーロッパ語」という括りが示しているように、ヴェーダ語の成立過程、あるいは、エジプト⇔ヒッタイト⇔インドあたりの繋がりを意識する必要があるでしょう。人も考え方も使われることばも、流れゆくものです
2014-09-13 01:48:33ちょいと脱線しましたが、ラクダという移動手段を早くから有することに成功して、大移動が長らくおこなわれ続けていた中央アジアという土地では、我々が通常考え得る以上の交流があったと見ておいて、考えすぎ、ということはありません
2014-09-13 01:50:22話がだいぶ東方との接触で留まりましたが、もう一つの要因、西方、ギリシアにも目を向ける必要があり、ここで注目すべきは、前世や死後を肯定したプラトンではなく、前世を否定しているアリストテレス学派の支配力と思います
2014-09-13 01:54:51初期キリスト教徒は、当然、ローマ領においては異端で、「暗がりに集まって悪いことしちゃったよって独白しあう変なやつら」でした。食いてえモン食って身体に悪いことあるか、といわんばかりに、満腹になったら嘔吐してまた食うようなローマ人(まあ、富裕層)からしたら、異様に映るわけです
2014-09-13 01:56:10逆に言えばキリスト教徒側からすると、そんな現世享楽的なローマ人に対しては、「お前らなあ」となるわけで(ニーチェがこのあたりを文献学的に読み解いてルサンチマンと称したのは好例) で、そこではアリストテレス的な前世からの因果なんてない世界観が共有されている
2014-09-13 01:59:51すると、やはり「ルサンチマン」(便利なので使います)からは前世も来世も肯定したくなる思想が出てくるのは必然的かな、と思いまして、これは、最初に出した「ヨハネ福音書」に限らず、同時期くらいに書かれていたらしい「ナグ・ハマディ写本」の中にもかなり見られます
2014-09-13 02:02:37これがやがて国教となって、キリスト教が体制化されていくと、徐々にその味が薄れていきますが、ましてや中期~後期中世にアリストテレスの復権なんてことになったら、ローマ・カトリックとしては輪廻転生なんて大々的に否定されて当然ですよね
2014-09-13 02:05:33えー、何だか寄り道しまくりで、最初の「エジプトの転生観と初期キリスト教の転生観って違うよね?」というところからはだいぶ離れてしまいましたが、「まあ違って当然っていうだけの時空間の隔絶はあるよね」という当たり前の結論に対する遊びということで……
2014-09-13 02:08:03そもそもキリスト教がキリスト教になったのは、「キリストの復活」を弟子がすさまじくフィーチャーしたからですけれども、その力点って、「復活」ではなくて「私達に代わって原罪を負った」っていうところに置かれるので、「復活したこと自体」って、そんなに驚かれてないですよね
2014-09-13 02:10:02