- FukushimaKokugo
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福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
これまで数多くの「保護者」と関わってきたが、なんでもかんでも主語を「子ども」にする親は胡散臭いと思う。おそらくその半分は親が「させたい」だけなのに、子どもが「したいと言っている」と表現する。苦笑しか漏れない。
2014-09-26 14:08:50
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
一方で、「させたい」ばかりの親も困る。子どもの積極性の有無が外から感じられなくなるほどの勢いだと、それはそれで困る。
2014-09-26 14:10:52
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
「どこまでを親が主導し、どこからは子どもに任せるのか」の境界線を意識的に持っている親を、優れた親と呼ぶ。自主性尊重に偏りすぎてもだめだし、主導しすぎてもだめ。
2014-09-26 14:16:55
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
多くの親には「子どもの自主性尊重しなきゃ脅迫観念」みたいなのがある。そりゃそうだ。子育てとはそういうベクトルになるものだから。幼子のころはなんでも親が世話していたが、子どもはどんどん成長し、世話をやめるべきタイミングを考えなければならなくなる。
2014-09-26 14:22:16
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
だからといって、中学受験の進学先を完全に子ども任せにするなどというのはおかしい。親のほうが圧倒的に情報を持っているのだから。親の役目は、大人ゆえの情報を子どもにしっかり与えること。与えに与えること。しかるのちに、最終的な選択を子どもに任せること。塾の選択などについても、同じ。
2014-09-26 14:24:15
福嶋隆史@ふくしま国語塾
@FukushimaKokugo
大切なのは「選択してあげること」ではない。「選択する〈能力〉を与えてあげること」。それこそが、親・教師には求められる。過度な自主性尊重あるいは放任主義の親・教師は、その〈力〉を与えるということすらも放棄するから、罪深い。最終的選択は放任すればいい。ただし、選択する力を与えてから。
2014-09-26 14:32:28