たこ焼きの起こりと明石焼き

5千円くらいのガスの業務用たこ焼き器が欲しい
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ふゅ〜りあす @tebasaki_s

たこ焼きの歴史 具のないたこ焼きというべき「ラジオ焼き」は、「大正末期から大阪市内でもちょこちょこ屋台が出とりました」との証言がある。 今里新地でラジオ焼きを始めた会津出身の遠藤留吉は「ラジオ焼きは子供のおやつの色合いが濃いが、何か具を入れたら大人も喜んで食べるのでは?」と考える

2014-08-29 02:52:55
ふゅ〜りあす @tebasaki_s

コンニャク、刻んだ漬物、えんどう豆と色々試すが評判が芳しくない。醤油で炊いた牛肉を入れてみると当たった。「肉焼き」の評判は口コミで広がり、屋台は繁盛した。 そして昭和10年末、ある初見の客が「なにわは肉かいな。明石ではタコを入れとるで」とつぶやく。

2014-08-29 02:56:59
ふゅ〜りあす @tebasaki_s

当時の明石焼きはだし汁に漬ける事は少なく、具もタコにかぎらずイカ、エビなども使われていたが、「タコか。それはいいな」と留吉。 当時はタコの方が牛肉よりずっと安く、「庶民的な値段は崩せないが、高級品の牛肉を使うのは難しい」と痛感していたせいだ。 腹は決まった。

2014-08-29 03:00:29
ふゅ〜りあす @tebasaki_s

昭和11年、留吉は屋台に赤地に白で「たこ焼き」の幕を掲げた。「ラジオ焼き」が「たこ焼き」に変わった瞬間である。ちなみに屋号は故郷にちなんで「会津屋」にした。 タコ入りのラジオ焼きは同時多発的に生まれ、昭和10年代前半には大阪市内に屋台が複数生まれた。

2014-08-29 03:07:25
ふゅ〜りあす @tebasaki_s

具がタコというの一つをとっても、たこ焼きと明石焼きは相互に影響を受けており、「明石焼きがたこ焼きの源流」と単純に云えないのが分かる。どちらかと云えば兄弟のような存在であろう。

2014-08-29 03:11:24