- ElementaryGard
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『戦後日本の聴覚文化 音楽・物語・身体』について。ラジオドラマ論が素晴らしい。細野、坂本論はまあまあ。初音ミク論は面白いけど、私ならもう一段上まで行ってみせる。
2014-10-01 03:46:06ミクという、実体どころか吹き替えすらない歌手のライヴが成り立つのはなぜか?簡単。彼女の後ろには誰もいないから。前世紀にホロプロによって開発された伊達杏子DK-96が空振りしたのは、後ろにひとがいるのがまるわかりだったから。 pic.twitter.com/qBIfIPcXj3
2014-10-01 03:55:44それ伊達杏子ちゃう!という鋭いツッコミがありましたが論旨には影響がないと思うので訂正せずにおきます。脳内で補正してあげてください。
2014-10-01 14:59:26DK女史だと、ファンの反応を見ながらホリプロが慎重にコントロールしていく(つもりだった)わけ。ところがミクはそういうのがなかった。幕袖からの操縦がなかった。
2014-10-01 03:57:44同じころ美少女恋愛ゲームのヒロインがアイドルとして成功。なぜ伊達はそうならなかったか。比喩でいうと前者はラジオドラマとしてリアルだったのに対し、後者はテレビドラマとして不自然だったから。
2014-10-01 04:05:36メディアによってリアリティ(日本語ではむしろ「自然」のほうが感じがでるかな)の地平が違う。『カリ城』の姫様が、当時アニメファンのあいだで「ああいう娘は実在するか否か」論争を呼んだそうですが、彼女はアニメというメディアにおける「自然」の地平を攪乱する存在だったから。
2014-10-01 04:07:41同年に公開された『銀河鉄道999』のメーテルと比較するとよくわかる。このひとは「年上の謎めいた美女」という記号であり、たしかに流麗な絵ではあったけれど、アニメにおける「自然」の地平を攪乱するような身体を持たなかった。徹郎がうっかりシャワー中の彼女の体を目にするシーンですら記号。
2014-10-01 04:10:24ここはキャラ/キャラクター論を援用するとはっきりする。『地帝国の怪人』よりも『カリ城』を題材にこの論を応用すると面白いです。
2014-10-01 04:13:14ラジオドラマは三つの要素でできています。①台詞、②音楽、③音響。最初から非常に限定されているから、リスナーもそれが全世界と割り切って楽しむ。そのなかで「自然」の地平はできあがり、引き込まれていく。
2014-10-01 04:15:24テレビドラマ(や映画)は違う。スカートが風に揺れるという些細なことでも、ちょっとでも不自然(CGほか)だと「なんだ」と思われてしまう。
2014-10-01 04:16:40本を一冊読んだ方がまんが百冊よりずっと頭を鍛える。これは本当です。ちょうどラジオドラマとテレビドラマの関係に似ている。前者のほうが受け手が能動的でないといけない分、頭も使うのだから。
2014-10-01 04:18:03ここからキティ論に持ち込めないか…もんもん。 pic.twitter.com/uiedal2VHE
2014-10-01 04:19:17VOCALOID2 初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた (2:26) nico.ms/sm982882 #sm982882 伝説。これがミク投稿の第一号だそうです。2007年。
2014-10-01 04:34:14これは1984年?さすがにリアルタイムでは知らないです。声は『牧場の少女カトリ』の主人公と同じ方で、当時ラジオ番組まであったとかなんとか。むろんこのOVAの主人公としての出演。 pic.twitter.com/KSLYzh43v7
2014-10-01 04:42:20この三者をですね、「キャラクター」とひとくくりにしてしまうと、実はそれぞれメディアの次元が異なることが隠れてしまうのです。
2014-10-01 04:43:26キャラクター論の危うさは、本来別のメディアであるものを「キャラクター」のひとことで同列にできてしまうこと。そして背後にあるもろもろを見えなくしてしまう。
2014-10-01 04:50:53例えば二つ画像をお見せします。ひとつはドラえもん。ひとつはハローキティ。どっちもキャラクターと呼ばれる。 pic.twitter.com/EyHu1xHWGi
2014-10-01 04:51:54しかしながら私にいわせれば、両者はまるで異なるメディア。前者は著作物(ワーク)ですが後者は意匠(デザイン)。
2014-10-01 04:52:48踏み込んだ分析は後日に。とにかくまるで異なるものを「キャラクター」のひとことで同列に置いてしまうことで、どんな隠ぺいが行われるのか。そこにとても興味があります。
2014-10-01 04:54:10補足。今の私たちは、例えば「河の流れのように」と『ノルウェイの森』を「著作物」として同列に考えますね。ですが前者は音楽であり、後者は小説。メディアが違う。それが近代に発明された「著作権」の考え方によって同列にされた。
2014-10-01 05:13:57