日本の古代って、要するに豪族が治める小国が林立してて、漢委奴国王印だとか、魏志倭人伝の邪馬台国だとかは「倭」という大きなくくりの中の一つの国だったわけだよね。
2014-10-02 18:08:05邪馬台国は、中国の通訳が日本人の自称する国名を聞き取って音訳したものなわけだけど、この音は「ヤマタイ」ではなく「ヤマド」「ヤマト」みたいな感じだったという説があるので邪馬台国が最終的に他国に対するヘゲモニーを確立して大和政権、つまり後の日本国になったというのはわりとそれっぽい
2014-10-02 18:10:51まあ、もとは豪族連合なので、兵制としては各地の豪族が自分の軍を持ってる形だったわけだけど、律令制の導入で全国の戸籍を作成し、そこから徴兵するというかたちになる。あらためて考えるとすごいね。この時代の日本って、中央集権の徴兵制国家だったんだなあと
2014-10-02 18:14:27中央集権の律令制が次第に崩壊して、徴兵とかできなくなってくると、戦争技術を家業にした下級貴族の「武士」が台頭してくるわけだけど、これ天皇の皇子が多い時とかに源とか平の氏を与えて臣籍降下させたものがだいたいはじまりっぽい。源平藤橘というけど、武家として有名なのは源平だよね
2014-10-02 18:22:03要は「貴族の中で軍事力持ってる家です」ってのが当時強くなって、政権を担うまでになるということで。朝廷と貴族のという雅なサークルから外れた政権は東国に拠点をおいた源頼朝から始まる。
2014-10-02 18:26:39源頼朝が鎌倉幕府を作ったのが、徳川まで続く武家政権のはしりというイメージはあるけど、徳川みたいな確立した行政拠点と比べると鎌倉幕府はなんだか微妙
2014-10-02 18:28:56なんで源頼朝が古色蒼然たる「征夷大将軍」の位をもって「幕府」を設営したのか、なんだかよくわからないんだけど、これが室町、徳川まで利用されちゃうんだよね
2014-10-02 18:33:31平家以来、武家政権はだいたい皇室の権威を利用しつつ、皇室を上回る実力を持ってたのだけど、それを制度にまで高めたのが徳川政権で、これはもう、完全に皇室を名分的に将軍家の下に置いちゃったわけ
2014-10-02 18:37:17明治の初期、律令国が一瞬復活するんだけど、東北地方とかほぼ全部で陸奥の国なので、でかすぎるから、陸前、陸中、陸奥にわけたりしてるんだよね。この地名、今でも残ってるよ。
2014-10-02 18:46:16明治時代に制定された日本の省庁って律令制時代に起源を持つものが多くて大蔵省なんてのもそうだよね。明治時代はある意味平安時代まで戻ってたのかあ
2014-10-02 18:50:01