体験談の話
天王星作戦に参加したソ連軍迫撃砲兵の回想を読んでいるのだけど、包囲環の完成直後、上層部からは「スターリングラードに閉じ込めたドイツ軍の数は4万」と説明されていた。ソ連側も数は足りていなかったので、兵の動揺を防ぐための措置であったらしい(後に上官たちが自らそう白状した)。
2014-10-09 20:34:22逆に、捕虜に取ったドイツ兵の証言によれば、彼らはそもそも「包囲されている」という事実自体を上官から説明されていなかった由。実際、末端の兵士たちにとってはそんなものだったのかもしれない。
2014-10-09 20:37:06勿論、スターリングラード戦は非常に著名な戦いであるから、生き残りさえすれば「真実」を知ることはそう難しくもない。しかしもっとマイナーな戦場であったり、あるいは思い込みの強い人であったりした場合、偽情報をそのまま体験談として語り残してしまう可能性もある。
2014-10-09 20:41:24実際、元ソ連兵の談話を数多く読んでいると、これは明らかに間違っているのでは?と感じることも少なくない。しかしそれは、ある程度までは仕方がないと思うし、ソ連だけに限った話でも勿論ない。あとは、そうした証言を基に事実を再構成していく側が気をつけるだけで。
2014-10-09 20:46:21あるいは、長い年月のうちに忘却したり、偽の記憶が入ったりするケースも考えられる。前にネット上で見た日本の駆逐艦乗りの体験談、レイテ沖海戦のくだりが明らかに我々の知っている戦史と違っていた。敵空母を攻撃した帰りに沈みゆく武蔵を目撃した等、2日間の海戦が凝縮されている感じ。
2014-10-09 20:50:07勿論、だからといってそれらの体験談が無価値というわけではなく、寧ろ逆で、どの部分が鮮烈に記憶されているかを把握する貴重な資料になるかもしれない。ただ、我々が求めるような「客観的真実」そのままではない可能性も大いにある。その辺りをわきまえて接する必要はあるでしょうね。
2014-10-09 20:52:49具体的な戦局の推移とか作戦の進捗、あるいは司令官の履歴や兵器の性能等々、現場で戦っていた元兵士たちよりも21世紀の軍事マニアの方がはるかに詳しいのではないかと思う。知識の量だけなら。
2014-10-09 20:56:52前にも書いたかもしれないけど、亡祖父と一緒にテレビで刑事物を見ていて銃撃戦のシーンになった時、祖父が言ったのは「あんなには当たらんもんやぞ」と。銃は反動が大きいからちょっとでも離れると命中しない、しかし三脚式の機関銃はよく当たったから、これを見ると敵は逃げおった、と。
2014-10-09 21:00:25じいさん、刑事ドラマで何もそこまで…とは思いましたけどね。ただ、こういう細部について鮮やかな記憶を語ってくれるのは、やっぱり経験者ならではなのだろうと思います。たとえ兵器のスペックや戦局については知らない(憶えていない)としても、その部分だけで何物にも代え難い価値がある。
2014-10-09 21:03:18ちなみに祖父は昭和12年の応召、中国(確か長沙の辺り)で戦った後に一度復員し、戦争末期に再度召集されて、最後は八丈島守備隊という戦歴でした。もっとも当初は沖縄に送られる予定が、下関で船待ち中にサイパンが陥落して作戦変更、行き先が変わったと言っていました。沖縄に行っていたら…
2014-10-09 21:15:41天王星作戦に参加したソ連軍迫撃砲兵の回想を読んでいるのだけど、包囲環の完成直後、上層部からは「スターリングラードに閉じ込めたドイツ軍の数は4万」と説明されていた。ソ連側も数は足りていなかったので、兵の動揺を防ぐための措置であったらしい(後に上官たちが自らそう白状した)。
2014-10-09 20:34:22逆に、捕虜に取ったドイツ兵の証言によれば、彼らはそもそも「包囲されている」という事実自体を上官から説明されていなかった由。実際、末端の兵士たちにとってはそんなものだったのかもしれない。
2014-10-09 20:37:06勿論、スターリングラード戦は非常に著名な戦いであるから、生き残りさえすれば「真実」を知ることはそう難しくもない。しかしもっとマイナーな戦場であったり、あるいは思い込みの強い人であったりした場合、偽情報をそのまま体験談として語り残してしまう可能性もある。
2014-10-09 20:41:24実際、元ソ連兵の談話を数多く読んでいると、これは明らかに間違っているのでは?と感じることも少なくない。しかしそれは、ある程度までは仕方がないと思うし、ソ連だけに限った話でも勿論ない。あとは、そうした証言を基に事実を再構成していく側が気をつけるだけで。
2014-10-09 20:46:21あるいは、長い年月のうちに忘却したり、偽の記憶が入ったりするケースも考えられる。前にネット上で見た日本の駆逐艦乗りの体験談、レイテ沖海戦のくだりが明らかに我々の知っている戦史と違っていた。敵空母を攻撃した帰りに沈みゆく武蔵を目撃した等、2日間の海戦が凝縮されている感じ。
2014-10-09 20:50:07勿論、だからといってそれらの体験談が無価値というわけではなく、寧ろ逆で、どの部分が鮮烈に記憶されているかを把握する貴重な資料になるかもしれない。ただ、我々が求めるような「客観的真実」そのままではない可能性も大いにある。その辺りをわきまえて接する必要はあるでしょうね。
2014-10-09 20:52:49具体的な戦局の推移とか作戦の進捗、あるいは司令官の履歴や兵器の性能等々、現場で戦っていた元兵士たちよりも21世紀の軍事マニアの方がはるかに詳しいのではないかと思う。知識の量だけなら。
2014-10-09 20:56:52前にも書いたかもしれないけど、亡祖父と一緒にテレビで刑事物を見ていて銃撃戦のシーンになった時、祖父が言ったのは「あんなには当たらんもんやぞ」と。銃は反動が大きいからちょっとでも離れると命中しない、しかし三脚式の機関銃はよく当たったから、これを見ると敵は逃げおった、と。
2014-10-09 21:00:25じいさん、刑事ドラマで何もそこまで…とは思いましたけどね。ただ、こういう細部について鮮やかな記憶を語ってくれるのは、やっぱり経験者ならではなのだろうと思います。たとえ兵器のスペックや戦局については知らない(憶えていない)としても、その部分だけで何物にも代え難い価値がある。
2014-10-09 21:03:18ちなみに祖父は昭和12年の応召、中国(確か長沙の辺り)で戦った後に一度復員し、戦争末期に再度召集されて、最後は八丈島守備隊という戦歴でした。もっとも当初は沖縄に送られる予定が、下関で船待ち中にサイパンが陥落して作戦変更、行き先が変わったと言っていました。沖縄に行っていたら…
2014-10-09 21:15:41先程の話に関連して、元ソ連兵のインタビューなどを読んでいると、「この人は取材されたから仕方なく答えているけど、本当は戦争の話などしたくないのだろうな」という談話にも出会うことがあります。
2014-10-09 22:37:13考えてみれば当たり前の話で、現代に生きる我々にとって「あの戦争」は半ばファンタジーであり、特別な関心の対象となっている歴史的事件かもしれませんが、当事者にとっては否応なく放り込まれた地獄にすぎず、好き好んで思い出したがる出来事ではないのでしょう。
2014-10-09 22:40:16この点、自ら進んで回想録を出版する方の体験談とは明瞭に異なっていると感じます。体験談では、自分が参加した戦闘の背景や兵力、兵器などにつき曲がりなりにも調べてあるものが多いのですが、インタビューではあまりそういう感じがしない。
2014-10-09 22:43:22