60年代の論争において客観性や価値中立性が批判されたのは、軍研究プログラムがそれを標榜していたから

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Carnot1824 @Carnot_1824

【再掲】白鳥紀一,「軍関係者と物理学会」,物性研究,13(3),1969 repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/… …より “しかし,半導体国際会議への米軍資金導入以来問題とされてきたのは,まさにその「政治ぬきに物理のことだけを考え」てする行動のもつ政治性であった。”

2014-10-09 06:24:39
Ken Kawamura @ken_kawamura

読んだ>RT。実は60年代以前のアメリカの社会科学でも状況はそう変わらなかったということがSoloveyの論文に書かれていた。60年代の論争において客観性や価値中立性が批判されたのは、軍研究プログラムがそれを標榜していたからだと。 d.hatena.ne.jp/ken_kawamura/t…

2014-10-09 07:45:05
縮限 @contractio

@ken_kawamura このへんはもうちょっと詳しく教えて欲しいな。<60年代の論争において客観性や価値中立性が批判されたのは、軍研究プログラムがそれを標榜していたからだと。

2014-10-09 08:06:08
縮限 @contractio

@ken_kawamura もし、批判というのが「客観的・価値中立的だと標榜していたが、実はXだった」というタイプのものなら、それは──「客観的・価値中立的」というポリシーの批判ではなくて──Xの批判だよね。

2014-10-09 08:08:58
Ken Kawamura @ken_kawamura

これは重要な疑問ですね。で、家に帰ってから再読&考えを整理していたのだが、Solovey(2001)論文に明示的に書いてあるのは、まずは次のような歴史的経緯である。

2014-10-09 23:46:17
Ken Kawamura @ken_kawamura

キャメロット以前の軍研究プログラムを推進するにあたっては「社会科学は冷戦に勝利するための必須のツールなのだ」という明白に政治的な論理だけでなかった。

2014-10-09 23:48:41
Ken Kawamura @ken_kawamura

より中心的には「社会科学は客観的事実を明らかにする科学なのだから、例え軍から資金援助を受けても何ら問題ない」「政治と科学は分離できる」というロジックが(国防総省やSOROによって)実際に用いられていたのだということ。

2014-10-09 23:49:21
Ken Kawamura @ken_kawamura

したがって、キャメロット計画が他国の主権侵害ではないかという政治的スキャンダルになった後において当時の批判者たちが論じたのは、むしろ「規範的分析」を取り戻すべきであるということ、科学が政治的・道徳的含意を持つことを認めるべきだということだった(例えばロバート・ホグスロー)。

2014-10-09 23:50:35
Ken Kawamura @ken_kawamura

その上で、さかいさん的に形式的に考えてみると「Yを標榜しつつ実はXを行う」というような首尾一貫しない・様々な害をもたらすような(政府の)振る舞いが見られたときに、我々が出来る批判には確かに論理的には二通りあるように思われる。

2014-10-09 23:55:25
Ken Kawamura @ken_kawamura

まあ普通ですけど、(1)「ちゃんと掲げた通りにYをやれよ」と批判するか(2)「最初からXを掲げろよ」と批判するかである。

2014-10-09 23:56:31
Ken Kawamura @ken_kawamura

で、論理的にはそのような可能性があるけれども、歴史的事実として当時大きな力を持った(そして後年認識革命などと呼ばれるようになった)キャメロット計画に対する批判のロジックは(2)のタイプのものだった、ということがこの論文には書かれているのだと読みました。

2014-10-09 23:57:11
Ken Kawamura @ken_kawamura

とりあえずそんなかんじでどうでしょう。

2014-10-09 23:57:46
縮限 @contractio

@ken_kawamura 「Yを標榜しつつ実はXを行っていた」と記述できる事態であればこれでよいですが、果たしてそうなのかどうか、という疑問もあります。

2014-10-10 01:17:03
Ken Kawamura @ken_kawamura

というかさかいさんの再度の疑問を受けてちょっと修正すると、キャメロット計画が掲げていた客観性の理念は、政治的なねらいを隠すための装いのようなものではなかった。それはむしろ科学は客観的なものであるからこそ軍から資金援助を受けようがオッケーなのだという形で結びついていた。

2014-10-10 13:42:09
Ken Kawamura @ken_kawamura

だからこそキャメロット計画はただちに結果に結びつかないような基礎研究にも投資することになっていたし、学術研究の慣習にならって機密指定されることすらなかったのである、と論文に書いてある。

2014-10-10 13:44:26
Ken Kawamura @ken_kawamura

おおざっぱに言うと「政治と科学は原理的に分離できるよね」という理念が、政治(的資金)と科学(的研究)の結託を可能にするという関係になっている。

2014-10-10 13:47:24
Ken Kawamura @ken_kawamura

あるいは科学的研究と政治的利用のレベルとか言ってもいいかもしれないけど。

2014-10-10 13:48:30
Ken Kawamura @ken_kawamura

したがって、批判者たちがこの結託を批判するときも、重要な足場となったのは、掲げられた方針(客観性)と実態(政治的・規範的含意)の乖離にではなくて、どこまでが客観性の領分でどこからが規範性の領分なのかという境界画定の問題についてであった、というのは非常にありそうなことである。

2014-10-10 13:51:48
Ken Kawamura @ken_kawamura

つまり、(特に対内乱研究などの)科学の内部にもそれが抑圧的なものであっても現状の秩序を維持することがよいことだとするような規範的前提とか概念が一杯入り込んでいた、というのが批判として重要な意味を持ったのである。

2014-10-10 13:53:28
Ken Kawamura @ken_kawamura

このあたり、様々な批判のタイプを色々識別しないとごっちゃになってやや混乱しそうになる(読者としての感想)。

2014-10-10 13:56:06