塔10月号「十代・二十代特集」を中の人約一名が好き勝手に読む2014[第2回]

「塔」2014年10月号掲載の特集「十代・二十代特集」を、濱松哲朗が一人で勝手に読み込む企画です。 第2回で取り上げたのは、宮崎可奈子、真田菜摘、阿波野巧也の三名です。
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濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-001]それでは、「塔10月号『十代・二十代特集』を中の人約一名が好き勝手に読む2014」第二回を始めます。今回取り上げるのは、宮崎可奈子、真田菜摘、阿波野巧也の三名です。#塔1020

2014-10-14 23:04:42
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-002]大人でも子どもでもなく高台に見下ろす街だけ変わっていくよ /宮崎可奈子「海の街より」#塔1020

2014-10-14 23:06:09
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-003]名詞を同じ水準に並べることが、作者固有の着眼点の発露になることがあります。「大人」「子ども」と「街」を同じ水準で比較しているこの歌は、そういう意味で独特です。ただし、並べた名詞そのものに難点があるようにも思えます。#塔1020

2014-10-14 23:10:07
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-004]つまり、「大人でも子どもでもなく」と言われたら、中間にあるだろう思春期が異様に絶対化されて見えるのです。「街」を見下ろしている歌なのに、実はこの歌は街を見ていない。おのれの思春期を見つめている。#塔1020

2014-10-14 23:12:53
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-005]この作者にとって「大人でも子どもでもな」い『私』とは、何なのでしょうか。それは、この歌だけでは分からないことです。ただし、このわからなさは、楽しめる曖昧さではなくて、名詞の並列の厄介さからくる面倒のように思います。#塔1020

2014-10-14 23:16:21
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-006]思春期に入りしころから潮風の香りしみいるこの街に住む /宮崎可奈子「海の街より」#塔1020

2014-10-14 23:16:43
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-007]「入りしころ」「しみいる」と、動きが見えやすい歌です。「いる(入る)」という音を(後半は複合動詞だが)繰り返すことで、少し構成を整えにかかっているのもわかります。少し欲を言えば、潮風の香りがどこに「しみいる」のかを詠んでほしかった。#塔1020

2014-10-14 23:20:16
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-008]山とつく地名に長く住まうけどわたしはやはり海の住人 /宮崎可奈子「海の街より」#塔1020

2014-10-14 23:21:54
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-009]同じ県内でも、海側の人とか山側の人とかいう言い方をする地域があります。「海の住人」とはなにも漁師町とかそういう意味ではなくて、あくまで海の見える街に「わたし」が住んでいる、ということでしょう。魔女宅かよ、というツッコミは却下。#塔1020

2014-10-14 23:24:10
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-010]この作者の場合、海の街なのに「山とつく地名」があることに着目したわけですが、固有名詞を出してしまった、地名そのものの面白さに頼ってしまっても良かったのではないか、とも思います。個人情報になるから、避けたのかも分かりませんが。#塔1020

2014-10-14 23:26:34
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-011]ところで、宮崎可奈子といえばこの特集に赤裸々な恋のエッセイをぶち込んでくることで、僕の中で勝手に有名ですが、今回のエッセイは普通ですね。もう「大人」ということでしょうか。#塔1020

2014-10-14 23:28:40
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-012]商品がふわりと置かれた瞬間にこれは私のものだと思った /真田菜摘「私の買物」#塔1020

2014-10-14 23:29:35
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-013]清々しいまでの自分勝手さです。これは私が買うためにここに並んでいるのだと、ほとんど一目惚れに近い。一度や二度、そういう経験をされた方もいるでしょう。「ふわり」がいいですね。具体的に何が置かれたか分からなくても期待してしまう。#塔1020

2014-10-14 23:32:07
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-014]落ちにくいルージュはどれも高価なり可愛い値段のもの二つ買う /真田菜摘「私の買物」#塔1020

2014-10-14 23:33:25
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-015]タイトルや、ここまでの歌を見てもわかるように、真田菜摘の7首は全部買物ネタ、買物連作です。連作中には「スカート」「ルージュ」「手鏡」といった、女性(女子、と呼びたい気もする)のアイテムが並びます。#塔1020

2014-10-14 23:35:25
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-016]ところで、このルージュの歌はやはり三句目の「なり」に目がいきますね。ここだけ文語の助動詞が紛れ込んでくる。「なり」や「たり」や「り」はどういうわけか、口語発想の人でも無意識に使ってしまう文語助動詞ですね。#塔1020

2014-10-14 23:39:29
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-017]それを是とするか否とするかは人によって様々でしょうが、これの歌が仮にすべて文語だったら、とてもいびつなものになってしまうことは誰でもわかります。 (改悪例) 落ち難きルージュはどれも高価なり可愛き値段のもの二つ買う #塔1020

2014-10-14 23:42:52
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-018]「落ちにくいルージュ」や「可愛い値段」というフレーズを活かしたい歌なので、ここを文語にしたらとても気持ちが悪い歌になりますね。かといって、「高価だし」等にして句切れを無くすと、締まりのない歌になります。「なり」は意外といい働きをしているようです。#塔1020

2014-10-14 23:45:19
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-019]なんでもない日なのだけれどプレゼントこの手鏡は母に似合うから /真田菜摘「私の買物」#塔1020

2014-10-14 23:45:36
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-020]雑な批評をしますと「ほぼ日かよ!」で終わってしまいますが、三句切れとなる体言止めが、少し舌足らずに感じられてしまう点は指摘しておくべきでしょう。要するに、体言止めは難しいということです。#塔1020

2014-10-14 23:48:30
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-021]あなたとの短い会話 ゆっくりと土の山をくずしている重機 /阿波野巧也「スペシャルサンクス」#塔1020

2014-10-14 23:49:08
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-022]一字空けの効果を考えてみましょう。これはまず、空いていないと「会話」が「ゆっくり」であるように読めてしまうので、何らかの手立てが必要な点は、皆さん納得がいくかと思います。そしてここでは、読点や句点よりも、一字空けの方が適切でしょう。#塔1020

2014-10-14 23:51:23
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-022]この歌の一字空けは、二つの場面の連関をある程度切り離して読ませようと仕向けてきます。短い会話の瞬間性と、ゆっくりと動く重機の継続性。この二つを対比させつつ、同時に描くとすれば、こうしたレトリックに行き着きます。#塔1020

2014-10-14 23:54:49
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[02-023]作者はエッセイで漫画の話をしていますので、漫画のコマ割りで考えますが、これは例えばページ目一杯、あるいは見開きを使って、会話する二人と、工事現場という背景とが描かれたものでしょうか。あるいは、重機の動くコマと、セリフの吹き出しのみが延々続くものか。#塔1020

2014-10-15 00:00:03